4話 猫娘マオ

「うーん……むにゃむにゃ。……ここは……?」


 猫のような耳と尻尾を持つ少女は、しばらくしてゆっくりと目を開けた。どうやら寝ぼけているようだ。勇者はすぐに左手で彼女の体を抱き寄せ、右手で口を塞ぐ。


「シーッ! 静かにしろ。警備兵が隣の部屋を調べているみたいなんだ」


「んーっ!? んんーっ!!」


 口を塞がれた少女はジタバタと暴れ始めた。しかし、勇者の力には敵わない。


「何か言いたいことでもあるのか? いいから静かにしろって! ――痛っ!?」


 彼女が思いっきり噛みついてきたせいで、左手を口元から離してしまった。それと同時に、右手も強く掴まれてしまう。彼女がギロリと睨んできたため、勇者は思わず怯む。その隙に、彼女は素早く飛び退いて距離を取った。


「あたいの寝込みを襲うとは……いい度胸じゃねぇかよ」


「ち、違う! 誤解だ!! 俺は君を心配して……」


「その割に、ずっとあたいから手を離さなかったじゃねぇか。『警備兵は別の部屋に向かった』って言ったのにさ……」


 彼女は顔を赤くしながら、さらに後ろずさりしていく。そして、後ろに何があるか気づいた。勇者もそちらに視線を向ける。


(さっきの本棚ばかりの部屋とは真逆の印象だな……)


 そこには、華やかな金色の家具が置かれており、きらびやかな宝石類が飾られていた。掃除も行き届いている。そして何よりも目を引くのは、大きなふわふわのベッドだ。


(ここは……来客用の部屋か?)


 見たところ高級そうなものばかりであるため、おそらく間違いないだろう。


「ははっ。とりあえず寛ぐとするか!」


 そんな部屋にあるベッドに、少女は勢いよくダイブした。うつ伏せのまま、枕を抱きかかえる。彼女の服装は、ボロボロになった布きれのようなものなので、色々と際どいことになっていた。


(目のやり場に困るな……)


 そんなことを思いながらも、勇者はそれを口に出したりはしない。彼が黙っていることをいいことに、彼女はゴロゴロと転がり始めていた。やがてその動きが止まると、彼女は顔を上げる。


「へへっ……。勇者様……」


 少女がなぜか嬉しそうな表情で呟く。


「そ、そのことだが……。どうして俺が勇者だと分かったんだ?」


「ええっと。その前に、あたいが誰なのか分かるよな?」


「ふむ。どこかで見たような気もするんだが……」


「はぁ!? もしかして忘れたって言うのかよ!?」


 猫のような耳と尻尾を持つ少女は、信じられないといった様子で驚いていた。だが、すぐに気を落ち着かせるように深呼吸をする。どうやら気持ちを切り替えたようだ。


「じゃあ、大きなヒントをやるよ!」


 彼女はベッドの上で立ち上がると、勇者の目の前に向けて軽快にジャンプした。そして、彼女が床に降り立つ直前に、その姿を変化させた。そこにいたのは少女ではなく――灰色がかったペルシャ猫であった。緑色に光る小さな球体――シルヴィが、その猫の鼻先に止まる。


「……あっ」


 そこでようやく思い出した。彼女の正体を。


「お前は、賢者ミアの幼なじみのマオじゃないか!」


 勇者は興奮した様子で、猫の姿となったマオを抱き締めた。顎を撫でたり、お腹をくすぐったりして、たっぷりと彼女を愛でる。


「このこの~。猫化状態のお前は本当に可愛いな~」


「にゃ、にゃああぁっ!!」


「そうか、そうか。そんなに嬉しいか~!」


 明らかに嫌がっているマオであったが、勇者は全く気づいていない様子である。猫相手であることをいいことに、顎やお腹に加えて、胸やお尻なども触りまくっていた。


「ふしゃーっ!」


「いてっ!?」


 とうとう我慢できなくなったマオは、勇者の指に噛みついた。さらには彼の顔を引っ掻き始める。勇者は痛みのあまり、慌てて距離を取った。そして、マオがその隙に人間の姿に戻る。


「勇者様……エッチすぎだろ……!」


 マオは顔を赤らめながら、胸やお腹を守るように両手で押さえていた。そんな彼女を見て、勇者は慌てて頭を下げる。


「す、すまない! つい我を忘れてしまって……!」


「はぁ? そ、それだけで済ませるつもりか?」


 マオが不満げな表情をすると、勇者はビクッと体を震わせた。そして、彼なりの最大限の謝意を示すことを決断した。


「ごめんなさい! もうしません! 許してください!!」


 それはそれは見事な土下座だった。しばらくは不機嫌そうな目でそれを見ていたマオだったが、彼の頭部に異変を感じたようだ。


「……あれ? 勇者様の頭に、何か付いているぞ?」


「え? こ、これは狼の耳……。あれ? 消したつもりだったんだけど……」


 勇者は自分の頭に手を伸ばしてみる。そこには狼の耳があった。今の彼は人型に変身しているので、通常であれば人間の耳があるはずなのだが……。


「勇者様。あんたが生存している理由に、その奇妙な狼の耳……。あたいに説明するべきなんじゃねぇのか?」


「……ああ」


 観念したように、勇者は大きく息を吐いた。彼は『神からチート能力を授かり、好きなものに変身できるようになったこと』や『この世界に再転生してから起きた出来事』を説明していく。それからしばらくして――


「なるほどねぇ」


 マオは納得したような素振りを見せた後、腕を組んで考え込んでいた。しばらく沈黙の時間が流れる。そして、彼女は勇者の手を握り、穏やかな笑みを向けた。


「あんたが生きてくれていて良かった。そして――いい作戦を思いついたぜ!!」


 彼女は自信ありげにそう言う。その自信に対応しているのか、彼女の耳と尻尾が激しく動いていた。どうやら興奮しているときに現れる特徴らしい。


「クソ貴族ケイン――あいつの右腕にルークとかいう兵士がいるんだ。勇者様がそいつに変身して、あたいを捕虜にしたことにすればいいんだよ。そうすれば、ミア様のところに行けるはずだ」


「確かにそうかもしれないが……。そう簡単にいくかどうか……」


 勇者は不安そうな表情を見せる。しかし、マオは自信満々だ。彼女は勇者のチートじみた変身能力に期待し、彼をじっと見つめる。その様子からは、『マオわくわく』という効果音まで聞こえてきそうだ。


(仕方ないか……)


 ここまで期待されたら断れない。それに、マオが喜んでくれるなら、それでいいかと思うのだった。チート能力があるのだから、いざとなればどうとでもなるだろう。


「わかった。やってみるよ」


 勇者はそう答えた。とはいえ、ルークとは一度会っただけの関係だ。ちゃんと変身するためには、集中する必要がある。イメージが大切だ。これから変身能力を使うという、明確なイメージが。


(変身と言えば……これしかない……!)


 彼は立ったまま姿勢を正す。そして、まるで戦隊ヒーローのようにカッコいいポーズを決めた。その後、両腕を大きく広げて叫ぶ。


「変……身……!!!」


 その瞬間――彼の体は光に包まれたのだった。

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