第66話 番外編 須磨の心意気 壱
「お須磨の方さまが好きな絵師とはどなたでしょう?」
高遠が問いかけた。
わかっていただけるかしらと思いながらチラと視線をあげると、そこには穏やかな瞳がある。
御年寄という大役に就いているだけに厳しい面を持つ方で、『鉄面皮の高遠』なんてあだ名が付いている。そのとおりほとんど表情が変わらないお方であるけれど、わずかな目元や口角の動きで怒っているのか、興味がないのか、楽しいのかなどは理解することができる。
絵描きの性かしら? と感じつつも最近では以前ほど怖いという感情はなくなり、なにをお考えかしら? など興味がわくことが増えた。
今の高遠の問いかけは単に興味がわいたのではなく、自分の意見を聞きたい問いかけだとわかったので、少し言いよどんだものの答えることにした。
「わたくしが好きなのは
「あの煙のように消えてしまった写楽ですか?」
「はい。わたくしは、あのお方の絵を見てから『特徴を示すもの』ということがいかに大切であるかを学んだのです」
彗星のように現れてわずか十ヶ月で忽然と姿を消した謎の絵師。自分は創作上の高遠の小説に対する絵を描いているので、文章から得られる特徴と読んだ上で浮かんだイメージを最大限活かして魅力的に描く工夫をしているけれど、基本は美しさを押し出した絵になる。
それは『売る』ことを目的とするための戦略として正しいあり方だと思うし、高遠の小説にはそうさせるだけの力がある。
描かせてもらえることを誇りに感じている。
けれど、自分はそれだけで終わってよいと微塵も思っていない。むしろそうではないものを描く練習こそ美を描くためには欠かせないことだと信じている。
醜いものは醜く、ふくよかな者はふくよかに、人の姿を依代としたあやかしや神ならば、どこかに人ならざる畏怖を描くため異質である要素を取り入れる。絵から心根をも読み取れるように。
だからこそ、歌舞伎役者から不興を買った写楽の絵が好きなのだ。
絵師も商売であるからトップスターである役者から贔屓を受ければ仕事が増える。そうなると必然的に美しさや凜々しさを前面に出して喜んでもらえる絵姿になる。浮世絵は現代で言うなればプロマイドだ。ファンとしては最高の推しを手にしたいので、やはり『格好いい』『美しい』が望ましいに決まっている。
でも、と須磨は思う。
――それは『役の絵』であって『役者の絵』ではないのじゃないかしら。
役者という人物が演じることで登場人物になるのだから、そこには役所の持つ『劣』や『醜』と呼ぶべき面もあるはず。
鷲鼻であるとかほうれい線とか。その不完全さは完璧なものより人目を惹くし、須磨はそこに魅力を感じる。そこにあるべき色ではない色を差し入れるだけで絵はぐっと表現力を増すように。
赤と黒のあいだに差し入れた一筋の緑があることで画面が引き締まるとでも言ったらよいのだろうか。
しかし、この手法を役者は好まなかった。
自分の顔の劣っている部分を描かれることは誰だって不満だ。しかも役者は人気商売。劣る部分を描かれるのは食い扶持に直結する。そんな表現はごめんこうむりたいのが人情だ。
そんなことをたどたどしく高遠に伝えた。
高遠はム、と口元すぼめる。これは不機嫌になったのではなく考えている状態だ。文章を書く人なので思考を言語に置き換えている。その時間を須磨は待った。
「――確かに写楽の絵は評価のある絵師と比べて人物の特徴を押し出しておりますな。確かにのっぺりとした『美しい絵』のなかにおいて人目を惹く魅力を持つとわたくしも思いまする。お須磨の方さまの絵も、受けとはいえど眉が凜々しく太く、筋肉もあり男らしさを失っていないところなど似ているところもございますな」
「はい。わたくしが高遠さまの小説から感じる受けは『
「わたくしも男前受けは実によきものと考えております。いつも絵を拝見するのが楽しみなのですよ」
「あ、ありがとうございます。わたくしが高遠さまに絵の選出をお願いいたしましたのも、高遠さまの言わんとする人物像から逸れていないかが気になっているからでございます。やはり、そういった『誇張』すべき点が合わない場合もございますので……」
高遠の眉が小さく八の字を作る。
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