第65話 最終話

 政務所に集まった面々は口々に思いを述べる。叶が、


「町奉行所の多田越前守ただえちぜんのかみらが『出版物は一般商品とは異なる性質のものである。贅沢品とは別物として扱うべきだ』と幕府に言上ごんじょうしたそうですわ。出版統制だけでなく芝居も制限され、不満を抱えた民がいつ暴動が起こさないとも限らない事態を重く見たとのことですが……。幕府はそれを受け容れざるを得ない状況まで追い詰められた、ということですわね」


 中野も、


「然り。新規商品停止令を再検討するとのこと。事実上、出版統制が解除されたということですな」と相槌を打つ。


「押さえつけられていた民衆は、解放された娯楽に飛びつき、書物問屋や字本問屋に人が詰めかけているそうで、今、本屋は大にぎわいだそうです。高遠殿の本もますます売れましょうな」


 ふたりから向けられる瞳に高遠は答えた。


「それより、大奥に財源が戻される決定がなされたことの方こそ朗報かと存じます」


 塩沢は沢渡主殿頭の衰退の日を見越して、根気よく幕閣との面談を繰り返し、大奥の財政復興を叶えるべく奔走し、その策が実を結んだのだ。まだ数年は全額というわけにはいかないが、それでも半分以下から三分の二まで戻ったことは大きい。

 買い物に手間賃を取る方法を続ければ、十分に催事が行え、大奥は華やかに咲く。咲き続けることができる。


 これからも質素倹約の布令は見直しが入り、江戸だけでなく、どの藩でも活気が戻っていくだろう。物が動けば人も動く。一揆を挫くために行っている農民たちへの施しも、もっと広まるはずだ。そうすれば米の生産も増える。

 塩沢が口を開いた。


「――沢渡主殿頭の時代が終わろうとしておる。それでも、我らが成すべきことに変わりはない。大奥が滞りなくあるように務めることだけじゃ。お前たちの働きが肝要。各々、励むように」

「――御意」



 ***



 そして天保十四年。沢渡主殿頭は失墜。

 二年半に渡る天保の改革は終焉を迎えた。

 質素倹約を廃止する布令が発令されると、くすんでいた江戸の町は活気を取り戻し、株仲間が復活したことで物流が戻った町には売ることができなかった品がすぐさま並び始めた。もう、奉行所のお咎めはない。耐えに耐えていた商人だちは、


『今、売らねばいつ売るというのだ!』


 と、商人魂を漲らせ、大奥にもこぞって登城し、御城はてんやわんやの大賑わいだ。

 衆議の場も以前のようなくすぶりは微塵もなく、すべてにおいて順調に運営が進められ、そうして迎えた翌年の春。高遠の本がついに上方で販売された。

 これも大きな評判を呼び、大奥に多額の印税が入るようになった。

 そのことを衆議の場で報告すると塩沢が言った。


「高遠よ」

「はい」

「お前のお陰じゃ」

「なにがでございましょう?」


 塩沢は愉快そうに笑った。


「わからぬか? 大奥が困難であったとき、お前の賭けが、大奥を思う心が我らに力をもたらしたのじゃ。大奥はお前の男色本に救われたのよ」


 高遠は目をしばたたき、慌てて手を突いた。


「そのようなお言葉、もったいのうございまする」

「よって、その忠義の心に褒美をあたえる。今より良い部屋を与えよう。そこで執筆活動を続けるがよい」

「え?」


 高遠は驚き、全員を見渡した。

 叶も中野も微笑んで頷いている。ふたりとも塩沢がなにを言うのか知っていたようだ。


 もう、隠れて書く必要はないのか。


 大奥へ奉公に上がったとき心にあったのは、出世して、ひとり部屋を得て、自由に小説を書いてみせるという野心だった。それが叶っただけでなく、小説が本となり、須磨という得がたい相棒も得ることができた。

 その上、執筆を許可され、今以上によい部屋が与えられるという。書きたくて、書きたくて仕方なかった少女時代の夢が叶い、小説家としてあり続けてもいいと提示されている――。

 目の奥が熱くなり世界がゆらりと緩んだ。そっと指先でぬぐい、全員に向かって、


「ありがとうございまする……」と深く頭を垂れた。


 そこに塩沢の声が降る。


「本の税だが、今後、半分はお前のものとせよ。労働の対価は支払われるべきものじゃ。異論はなかろう?」


 高遠は深く平伏したまま、再度、告げた。


「高遠あかね、今後も全身全霊をささげてお勤めを果たして参ります――」



 大奥はかつての賑わいを取り戻し、高遠は忙しい日々を過ごしつつ、陽の当たる眺めがよい部屋で心置きなく男色本執筆を行い、ベストセラー作家として実績を積んでいる。

 須磨とともに男色本について語らう時間を楽しみ、新作ももう少しで書き上がる。目下のところ、それを須磨に渡すことが楽しみだ。

 高遠が得た金子の半分も須磨に渡すことを決め、須磨もプロの絵師として活動を始めた。

 金子を受け取ってもらうのに難儀したが、「どちらが欠けても本は出版できない、わたくしたちは一蓮托生の仲でございましょう」と言い聞かせ、創作においては対等の関係であることも言い含めた。

 千人を抱える大奥は今日も華やぎ、


『大奥に存在するという、作家と絵師は誰だろうか?』


 そんな噂を鉄壁の無表情の下に隠して、今日も御年寄の仕事場である千鳥の間へ軽やかに歩を進めるのであった。


 ***


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