第20話 出版に向かって~須磨の事情  柒

「――創作……描くことは、お須磨の方さまにとって生きる甲斐なのですね」


 高遠が優しい眼差しを向ける。

 須磨は真っ赤になりつつ、「はい」と答えた。

 しかし、不思議だ――と高遠は思った。


 確かに須磨は控え目だが、この癒やしというか、やんわりした雰囲気は、わたしが、わたしがと前に出ようとする女性とは違う意味で魅力的だと思える。寵愛を巡っての押しが強い女子おなごばかりでは、上様もうんざりするような気もするのだ。

 須磨のやんわりとした和むような雰囲気は、上様もお気に召すのではと思えるのだ。現在、須磨に上様のお渡りはないが、昨年までは時折、お召しがあったと記憶している。


 ――少し踏み込んで聞いてもいいだろうか? 


「お須磨の方さま。少々、伺ってもよろしゅうございますか?」

「なんでございましょう?」


 須磨は首を傾げる。


「昨年までは、上様のお召しがあったというのに、なぜ、今年になってからお渡りが途絶えたのかと思いまして」

「ああ……」


 そう言って、須磨は眉を八の字に下げて答える。


「わたくしの絵を描く特技に、飽きられたのでしょう」


 単純なことだというように須磨は答えた。


「え? では上様は、お須磨の方さまが絵を描かれることをご存じなのですか?」

「はい。それゆえ、飛び抜けて美貌があるわけでもなく、年増になった、わたくしをお召しになられていたと思います。でも、きっと、もう、面白みもなくなってしまったのでしょうね……。もともとは一介の女中であったわたくしに、上様が名前を尋ねられたことじたいが奇跡のようなものですから」


 そういえばと高遠は思い出した。


「お須磨の方さまは、もとは御三之間おさんのまにおいででしたな」

「はい、そうです」


 御三之間は出世のスタートで、御台所みだいどころの水回りの世話をする、お目見え以下のお役目だ。

 高遠たち御年寄の用事も受け持ち、なにかと忙しく、高遠もここで大奥の成り立ちを身体にたたき込んだ。


 上様のお目に止まることも、まずないのでおきよ――、いわゆる処女のまま勤めを果たすことがほとんどだ。それがどうして上様のお目に止まったのか――?

 高遠の視線に気付いた須磨は、少し言い淀みながら答えた。


「……わたくしは、その、昔から手先が器用で、なかでもことが得意でした。それで、御台さまのお呼びがあり、御前で弾く機会を得たときに、お褒めの言葉を賜ったことをきっかけに御次おつぎとなって、御台さま付きの女中になったのです」


「遊芸で、御台さまをお慰めしたのですね」


「そうです。それで上様が御台さまをおたずねになったとき、ちょうど、わたくしが箏を弾いているときで――、『水が流れるがごとき音色ではないか』と上様よりお褒めの言葉をたまわったのでございます。そして、わたくしの名を尋ねられられ……」


「なるほど。それで御台さまが」

「はい。高遠さまのご想像どおりです」


 上様が名を尋ねるということは、上様のしとねに呼んでもよいということだ。御台所は己の権勢を保つために、須磨を上様に差し上げたということだろう。


「それで、お手つきになられたと」

「はい」

「しかし、上様は、お須磨の方さまが絵を描くことを、いつお知りになったのです?」

「えっと、その……」


 須磨はもじもじとして、頬を赤く染めつつ言った。

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