第18話 出版に向かって~心浮き立つ 伍

「塩沢さま。今は、庶民の生活を軽快に描いた滑稽本や、『東海道中膝栗毛』など旅のなかで繰り広げられる話を読み、風景画で旅に行った気分になるなど、読んでいて楽しいものや、特に好色本など、娯楽性が高いものが人気を博しております」


 そこで一旦言葉を切る。

 ここは大きく出て、勝負をかけなければならない。


「ですので、お須磨の方さまの絵を存分に活かした、錦絵にしきえの華やかな表紙絵ならば娯楽に飢えた者たちの目に必ず止まりましょう。そうなれば、千枚振舞せんまいぶるまいとて夢ではないと考えます。それに――」


「なんじゃ?」


「今の本の売り方は『一年切り』と呼ばれ、同じ作品を何度もるのではなく、短期で売り切ってしまう方法を採るので、店側も販売に力を入れます。ゆえに手っ取り早く金が大奥に入ってくるのです。初めは気休めにもならぬ額でしょうが巻数が増え、増刷がかかってゆけば、決して採算が合わない賭とはならない――。と考えます」


 これは都合の良い、言ってしまえば希望的観測による仮説でしかない。確かに初版は須磨の絵で一定数は売れるだろう。しかし、肝心の中身がスカスカだったら二巻以降は売れることはない。

 増刷がかかるかどうか。

 それは、高遠の書く小説の面白さにかかっている。売れるかなんてわからない。鶴屋の主人と須磨の評価を信じるかしないのだ。そして、現段階で成すべきことはこの出版計画をとおすこと。

 高遠の説明を聞き終えた塩沢は、


「なるほどの」と塩沢は扇子を手の内側に打ち、

「よく税の条件を呑ませたな。対価はなにを支払った?」と細い目の奥に本心を伺うような鈍い光を灯させて問うた。


「わたくしの小説三作の出版権と、お須磨の方さまの絵を余所で描かせないこと、でございます。鶴屋にすれば、売りものになる小説と絵が独占できる旨味もありましょう。ずいぶんと考えておりましたが、最後は受け容れました」


 それから、と高遠は続ける。


「大奥の人間が書いたと知る者を最小限にするためにも、今後、出版が継続されるならば鶴屋のみで行い、余所よそへは頼まぬつもりでございます」


 話し終えると、「ようやった」と塩沢は手の内に扇子を打った。

 パン、と小気味好い音が鳴る。


「そこまで奥のことを考える心遣い、誠に立派よ。滞りなく進めるがよい」

「では、御右筆ごゆうひつを同席させ契約を結んでも?」

「よい。許す」

「――は、ありがたき幸せ」

 

 すべてが順調に滑り出した。これも須磨がいてこそ成った話だ。なんとしでも成功させなければならない。



 ***



「さて、誰に頼むか……」


 自室で濃いお茶を飲みながら、高遠は、契約の際に同席させる御右筆の人材について思いを巡らせていた。大奥には現在六名の御右筆がいる。彼女たちの仕事は多岐にわたる。

 諸向への達書たっしがき、諸家への書状、諸大名の献上品から日記など、大奥でなにが起こったかをつぶさに書き記し、高遠たち御年寄に報告するのが役目だ。


 しかし、真に重要な仕事は膨大な数の書き付けを検分し、下調べを行い、可否すべきことのみを高遠たちに伝えることだ。


 身分は高くないが、大奥でなにが起こっているかを誰よりも正確に知るのは彼女たちだ。今回は契約を結び、出版の取り決めがなされるまでは極秘事項。口の堅さが必須条件だった。


「うーむ……。お須磨の方さまの絵は年末までには仕上がるから、鶴屋には年明け早々に登城とじょうしてもらい、契約を結ばねばならぬ。やはり、ここは古参の者に頼むのが吉か」


 そろそろ御右筆から表使おもてつかいへの出世コースに乗せてやってもいい女中、藤巻ふじまきという女性にゅしょうがいる。出世を仄めかせて頼めば間違いなく働いてくれるだろう。

 よし、と決めて部屋方の霞を呼んだ。


「なんでございましょう」

新弐ノ側しんにのかわへ行って、右筆ゆうひつの藤巻に五ツ半(二十一時)に、わたくしの部屋を訪ねるよう伝えよ。……内密にな」

「――かしこまりました」

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