第14話 出版に向かって 壱

「それから、お須磨の方さま。何枚か絵を拝借できましょうか」

「絵を?」

「はい。お須磨の方さまの絵がどのようなものか、塩沢さまに知っていただき、絵師となることを許可していただかなければなりませぬ」

「わかりました。では、その絵をお使いになってください」


 この雄々しい、まぐわい絵をか。

 時限爆弾にも等しい危険物だと理解できない危機管理のなさに、自分が全力で守らなければと使命感を燃やした。


「いえ。もう少し控えた絵を。まずは、お須磨さまの実力を知っていただくことが肝要。風景画や着物を着ている人物絵をお願いいたします」

「……あ、無難な絵ということですね」

「その通りです」


 初っぱなから摩羅もろ出しの交合絵を見せれば、塩沢は卒倒するどころか発狂する。まずは須磨の実力を認めさせ、絵師として正式採用されるのが先。

 引き出しをごそごそしていた須磨が、


「――では、この辺りでどうでしょう?」と十数枚の絵を手渡す。

「拝見します」


 庭の花々の絵、着物を着ている男性、花咲き誇る女性の姿絵。丁寧に色も塗られていて、どれも文句なしに上手い。十分に評価される。


「結構です。ではお借りいたします」


 塩沢に認めてもらえば出版が叶う。そのために、須磨に渡す小説も清書しなければならない。


「忙しくなるな」




 ◆出版へ向かって




 高遠は御広敷おひろしきの裏にある勾欄こうらんへ足を運び、控えていた五菜ごさい字本問屋じほんどんや、鶴屋への文を渡した。

 五菜とは気軽に外へ出られない女中に替わり、買い物をしたり、文を届けたりと外へ出る用事を受け持つ男性使用人のことだ。


「頼むぞ」

「はい」


 使用人は文を懐に収め、高遠の視界から消えた。


 ――さて、あとは鶴屋の登城を待つだけだな。


 大奥には基本男性が入れないため、鶴屋には女将おかみにきてもらうようしたためてある。江戸城諸門の通行手形である鑑札もバッチリだ。

 高遠も気軽に外へ出られない身の上だし、今は目立つことは避けたい。慎重にことを運ぶためにも鶴屋に御城へきてもらう必要があった。


 ふぅとひと息吐く。

 日中の仕事をこなし、夜は遅くまで須磨へ渡すための原稿の清書で毎日寝不足だ。それでも疲労感より充足感の方が大きく、身体は気力に満ち溢れている。

 須磨の絵を見たときの塩沢の驚きは、思い出すだけで口元が緩むのを止められない。大抵のことには動じない厳格な人が、目をぱちくりさせ、


「まぁ、なんと……お須磨さまにこのような才があるとは」と驚き、見入るさまは滅多に見られない貴重なものだった。


 須磨の絵に惚れ込んだ高遠も鼻が高い。

 その隙を逃さず、須磨の報酬となる男色本購入の特別許可も得て、須磨はやる気を漲らせている。

 人の喜びとは様々な形をしている。

 例えば御中臈おちゅうろうだけでなく、お目見え以上のほとんどの人の娯楽は、外側から供給されるもの、着物や簪など身を飾るものであったり、代参の帰りの寄り道など、消費することや遊興にある。


 しかし、須磨は『生み出す』喜びを知っている。


 それも、とびきりの才能の持ち主。

『創作』という自らの内側から溢れ出る衝動に近い感情を形にする喜びを知ると、娯楽はただ消費されるものではなくなる。

 己の血肉とし、新たに生み出す原動力となるのだ。見た景色、風の匂い、まだ見ぬ世界を教えてくれる文字――。

 一生ものの、究極の趣味だ。

 高遠もそれに囚われたひとりだ。


 ただ、その形が男色本という胸を張って言えるものではなかっただけで。

 しかし、それが今やどうだ。財政難という時代の波に飲まれそうな大奥の助けになるかもしれないのだ。やるならば必ず成功させなければならない。


「――よし」


 今日の務めを果たすために、千鳥ちどりへ向かった。



 ***



 三日後、江戸城大奥へ鶴屋の女将がやってきた。御使番おつかいばんが高遠の待つ部屋へ案内すると入り口で手を突き、


「お初にお目にかかります。鶴崎吉左衛門つるさきよしざえもんの妻、佐枝さえと申します」と名乗った。


 淀みのない品のある声だ。

 姿もさすが老舗の字本問屋の女将とあって、丸髷まるまげから覗く赤い珊瑚の簪や鹿の子の着物も品が良く、所作も堂に入ったものだった。

 キリリとした眉が特徴的で、そつのない印象を受ける。


「うむ。わらわは高遠と申す。城まで足を運んでいただき感謝するぞ」

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