第6話

 放課後。

 裕也や傑、瑞希と別れた後、啓太はそのまま下校してとある大きな地域病院へと自転車を走らせた。

 駐輪場に自転車を駐車させ、病院内に入ってとある病室へと向かう。


「母さん? 入るよ」

「あ、うん。いいよ」


 空間を隔離するカーテンを一言理を入れてから開くと、病衣を纏った啓太の母親が雑誌を開いて読んでいる最中だった。


「体調は変わりないの?」

「うん。別に心配しなくたって、もうすぐ退院なんだから」

「それなら良かった」


 反応を見る限り、術後の体調は良好であるようだ。


「そんなことより、璃奈とはちゃんと仲良く生活出来てるの? それだけが母さんにとって今一番の心配ことなのだけれども」


 璃奈と言うのは、啓太の妹である紅林璃奈のことである。

 啓太とは年の差が二つあり、高校受験を控えている受験生である。

 兄として見ても非常に可愛らしいのだが、如何せん年が近いので喧嘩もよくしてしまう。

 それに加えて、璃奈の受験生&反抗期と啓太の反抗期&部活などのストレスがぶつかり合って、さらに喧嘩が激しくなることも少なくなかった。

 そのことについて、不安と言われてしまうとやはりこういったことによるストレスのせいではないかと心が痛む。


「大丈夫。二人だと意外に落ち着いてるよ。その……お互いに母さんに申し訳ないって感じてて、ちゃんと協力し合ったりしないとダメだなってなってるから」

「別にあんたたちのせいではないから、それは気にしなくていいのよ。ちゃんと仲良く過ごせてるなら、それで大丈夫」

「ちゃんと接すると、意外とあいつ素直だな。最近じゃ分からない問題とか、『教えてくれ』って聞いてくるくらいだし」

「な、何で私の話をしてるの!?」


 啓太が母親に二人での生活を含めて璃奈の話をしていると、大きな声と共に制服を着たその当事者が姿を現した。


「こら! 他の人も居るんだから静かにしなさい」

「ご、ごめんなさい……」

「お前も来たのか」

「うん、今日はね。ちょうど学習診断テストの結果が返ってきてさ! 頑張ったから見て貰おうかなって!」


 そう言うと、璃奈は自分のカバンから採点された解答用紙を取り出して母親に出した。


「随分と成績が上がってるじゃない。なんだかんだ頑張ってるのね」

「とにかく自分なりに頑張ってみたら、いい結果になったみたい。このまま頑張って続けるね」

「確かにかなり点数が上がったな」

「……まぁ、兄ちゃんに教えてもらったところも役に立ったよ。数学とか社会とかは教えてもらわなかったら分からなかったところあったし」


 普段なら、母親の前でこんなことは絶対に言わないのだが、テストでいい点が取れてご機嫌なこともあって、そっぽを向きつつ礼を言ってきた。

 そんな妹の反応に啓太は肩をすくめたが、見ていた母親は安心したと言わんばかりに笑っている。


「璃奈。テスト頑張ったし、一階の売店で好きな物買ってきていいよ」


 母親が財布を開くと、小銭を璃奈に渡した。


「ほんと!? やった、アイス食べたかったんだよねー! 兄ちゃんも一緒に買いに行く?」

「俺はここに居るから、好きな物をゆっくり選んできな」

「んじゃ、余ったら兄ちゃんの分も買ってきてあげる」


 そう言うと、小銭を握りしめて妹は病室から出て行った。


「……上手くやってるって言うあんたの言葉は、よく分かったわ」

「おう。だから心配はしなくていい」

「ご飯とかも任せちゃってるけど、どうしてるの?」

「適当にある物や安売りしてるものを使って料理してるよ。今はスマホさえあれば、レシピなんてどうにでもなるしな……。あいつも好き嫌いせずに食ってくれるし」

「あんたがそんな器用なことをするなんてね……。正直コンビニとかインスタントばっかりかと思ってたのに、想像以上にしっかりしてるのね」

「さあ、どうだか」


 親が二人ともいないとはいえ、高校生と中学生の二人で一週間くらいならちょっと楽しく背伸びしている時間にしか感じていない。

 しっかりしてるかどうかは、自分でも自信を持つことなど出来ない。


 普段の家での生活の話が落ち着いてきたところで、啓太は今回切り出すべき話を話すことにした。


「あのさ」

「うん?」

「俺、部活辞めるわ。ってか、もう退部届を出した」

「退部届をもう出したって……。いきなりだね」

「ちゃんと話しなくてごめん。でも、ちゃんと理由はある」

「母さんがこうなったからってことかい? なら、それは気にする必要はないけど。そんなことで辞める方がこっちとしては複雑なんだけど?」


 ここまでは、瑞希が相談に乗ってくれた通りだった。


「確かに、母さんのサポートをするって言うことがメインの理由ではある。手術して体の負担が大きくなってる中で、買い物をしたりするのは重労働だ。それに、璃奈だって受験だし、勉強以外の負担をあまりかけさせたくない。だからそう言った体力の必要のあることは俺がしていきたい」

「……確かにその気持ちは嬉しいよ。でも、あんたはここまでサッカーをあれだけ頑張って来たじゃないか。こんなことであっさり辞めちまうのは、絶対に後で後悔するだろうに」

「……実はな、その部活も内部がグダグダでな。男女関係や上下関係が悪化してて、真面目にやっても良いことが無い。その……ここ最近ずっとイライラして母さんに当たったりしてたろ? そのストレスもあるんだよ」


 この退部という決断をしようと考えるに至った経緯を、瑞希の言う通り全て母親に全て打ち明けた。


「そうだったのかい……。そのことを一言でも言ってくれりゃあ良かったのに」

「すまん、それは何というか……反抗期というか。ちゃんと言えば良かったね」

「事情はよく分かった。でも、せっかくここまでやって来たのにあっさり辞めてもいいのかい?」

「別に俺は全国やプロを目指してるわけじゃないから、辞めることで出来る時間は今の璃奈を見習って勉強時間を増やしたりすることにするよ」

「あんたがそこまで言うなら、そうしたらいいよ。確かに、今後は買い物が特にしんどくなるのは事実だろうから、体力があって唯一の男でであるあんたに任せるとするかね」

「うん。っていうか、顧問が未だに退部届を受け取らないって問題もあるんだけどね……。止める権限ないくせに、止めようとしてくるから今日も軽くキレちまった」

「気持ちは分かるけど、学校生活もあるからあんまり先生に大きな態度を取らないようにはしなさいよ。どうにもならないなら、母さんが話付けるから」

「ごめん、その方が早いかもしれない。本当はこうなることだけは避けたいって考えてたんだけどな……」

「それぐらいなら大丈夫から、話がいつまでもまとまらない時はまた相談しなさい」

「うん」


 瑞希がくれたアドバイス通りに話すと、すんなりと今後の話がまとまった。

 まぁ、妹の成績が良かったこともあったかもしれないが。


「ま、買い物は休みの日や一定の日にやってくれたらいいよ。勉強ももちろん大事だけど、空いてる時間があるのなら遊んだりもすると良いよ。あんたにはこれまで勉強しろ勉強しろと言い続けてきたからね。今も勉強面、生活面どちらも真面目にやってるし、その調子をキープしつつ、人様に迷惑をかけないのであれば、遊んで帰ってきてもいいから」

「お、おう……」


 小さい頃から勉強勉強とうるさく言ってきていた母親からのらしくない一言に、思わず困惑してしまった。


「あんたも高校二年生。気になる子の一人や二人くらい、いるんじゃないのかい?」

「な、何だよいきなり!」


 まさかの言葉に、啓太は思わず驚いてたじろいでしまった。


「いやぁ、今のあんたの顔を見てるとちょっとね。女の子の雰囲気がすんのよ」

「ど、どういうことっすか……?」

「直感だけど、今仲良くしてる子いるでしょ?」

「……さぁ?」


 母親に追及されて真っ先に出てきたのは、言うまでもなく瑞希の事だった。

 仲もいいし、いつも彼女の見せるしぐさや表情、発する言葉に惑わされそうになってしまう。

 そのためか、ちょっとだけ間をおいてとぼけるという、一番ダメな回答をしてしまうことになった。


「ま、羽目を外さない程度に今を楽しみなさい」

「余計なお世話だっつーの……」


 母親の勝ち誇ったような笑みが無性に腹が立つので、軽めの反抗期言動が出てしまった。


「いぇーい、大福アイス買ってきたー!」


 ちょっと母親とはしたくない話のテーマになりつつあるところに、アイスを買ってご機嫌な妹が帰ってきた。

 アイス一つでここまで無邪気に喜ぶ妹を見ると、足りない頭でそれなりに悩んで、仲のいい女の子に相談した後にこうして話をしているわけなのだから、ちょっとの違和感ぐらい感じられてしまいそうな気がした。


「兄ちゃんの分も買ってきた」

「いいのか? これ二つ買うなら、もっといいアイス買えたんじゃないのか?」

「今日はこれが食べかったし、まぁ……兄ちゃんと一緒に食べるのはたまにはありかなって思ったから」

「そ、そうか。ならありがたくいただくかな」

「だから、今日もしっかり晩御飯よろしく。おいしくなかったら、このアイス代の倍は徴収するわ」

「あいあい、ちゃんと作るわ。試験の復習は問題ないのか?」

「ちょいちょい分からないとこある。兄ちゃんって数学と社会以外ならどれが対応出来るの?」

「理科の地学と化学なら行けるかな」

「うっわ、音や光とかはダメなんだつっかえな。まぁ地学や化学も分かんないとこあったらありがたく聞かせてもらうけどさ」

「物理は許せ、苦手なんだ」

「お願いだから、今後も二人はこれくらい仲良くしといてね? 母さんとしては助かるから」


 そんな啓太と璃奈のやり取りを見て、母親はいつも以上に嬉しそうな表情を見せている。

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