第5話

 今日一日の最後となる六時間目は、体育の授業。

 男女ともに、グラウンドに出てサッカーを行うことになっている。


 サッカーや野球と言った球技は、男子もそれなりに経験値や知識がある者が多くなるわけであって、毎回それなりにガチな試合を繰り広げる。

 一方で、女子はちょこちょことボール蹴ったりして、あとは男子が無駄に熱戦を繰り広げているのを観戦するだけの平和的な時間となっている。


「頑張ってー!」


 ただ、こうして女子が見て応援してくれていることは、男子たちにとってはまた一つモチベーションを上げる一要因となっている。

 運動が出来る者は率先してボールを持ち、シュートやドリブルを繰り広げる。


 そんな中でも、各クラスに際立ってうまくて目立つやつがいるもの。


「おいおい、傑のやつ何でサッカー部じゃないのに何であんな球捌きエグイんだよ……」


 現在、クラスを二チームに分けて試合を行っているが、啓太と裕也が同じチームで、傑が相手チームとなっている。

 その傑が、ボールを持つと足にボールが吸い付くようにして、ディフェンスに入っている男子を軽く二人ほど振り切っている。

 容姿の良さと、切れの合う動きで一部の女子から黄色い声援が飛んでいる。


「だってあいつ、元々中学までサッカー部だったって言ってたしな。しかも、中学の総体の時に県ベスト4まで行ってた時のレギュラーだったらしいし」

「何で弓道部入ったんだよ……」

「なんか、ずっと前から弓道はしたかったらしいけどな。中学じゃ中々無いし、高校でやっと出来るって入学して間もない頃、めっちゃ喜んでたからな」


 もちろん、傑の実績を知っているサッカー部は、徹底して傑を勧誘したが、それを振り切って今の弓道部に所属している。

 こうしてサッカーから離れて少なくとも一年以上は経過している。

それなのに、今でもこれだけの球捌きが出来るくらいなのだから、当時はどうしても入部させたかったに違いない。

 現にサッカー部の顧問であり、この授業を受け持つ体育教師は傑の動きを見て、なんとも言えない表情をしているわけで。


「なるほどなぁ……。でも、”現役サッカー部”なら流石に止められるんじゃね?」

「おいおい。それってまさか……」

「ということで、啓太。あの無双してる傑を止めに行ってこい!」

「マジかよ……」


 実を言うと、啓太はサッカー部。

 実績こそ傑に全く敵わないが、同じように小さい頃からサッカーをしている。


「たまにはそういうところも見たいし、何なら傑も対峙してみたいって言ってたし! ほら、いけよ!」

「うー、適当にサボれると思ったのに……」

「女子も見てるし、瑞希ちゃんも見てるんだぞ!」

「内海が見てようが関係ないっての……」


 乗る気がしないが、裕也に無理やり背中を押されて前に出されるとそこに向かって傑がドリブルしながら近づいてきた。


「啓太! 現役サッカー部の力、見せてくれよ!」

「マジで止めに行くってことでいいのか?」

「ああ、友人だし遠慮しなくて構わない。ここでかっこ悪くとられても、恨んだりしないよ」

「よし、分かった」


 ボールを持つ傑の正面にぴったりと立つ。

 傑は現役サッカー部顔負けのフェイントをかけてくるが、動じることなく動きに付いて行く。

 そして、足とボールが最も離れたポイントを狙ってうまく傑からボールを奪い取った。


「……くっ! 流石だね」

「いや、普通凄いぞ」


 その後も何度か対峙したが、啓太はすべて傑からボールを奪い完全封殺した。


「くーって、あんなにサッカー上手かったの……?」

「啓太か? あいつ、普通にやべぇよ。ディフェンスだから普通の人から見たら、あんまり目立たないだけでな」


 試合が行われているコートの外で観戦していた瑞希は、啓太の動きを見て思わず驚きをそのまま口にしてしまった。

 そこに、程よくサボっていた裕也が、ライン際まで寄ってきた。


「見てる感じだと、四宮君も相当うまいよね?」

「うん、異常なくらい上手いよ。でも、啓太が想像以上なんだよなぁ。足早いし、相手の動きの読む力おかしいし、身体も大きいから体格負けしないし」

「そ、そうだったんだ……」

「一年生の頃に、クラスマッチでサッカーあったろ? 俺たち一年から同じクラスだったけど、傑が突破できない相手はいなかったし、啓太を抜ける相手も誰も居なかったからな」

「で、今その矛盾対決でくーが抑えているということ?」

「そゆこと。これで少なくともこの高校の同学年で啓太を突破できる奴なんて、存在しないってことなんだろうな」


 その後も啓太と傑は激しいマッチアップを繰り広げて、この時間は終わりを迎えた。


「いやぁ、やっぱり啓太には敵わないか。どうやっても抜ける気がしなかった」

「いや、ブランクが長いのにあれだけ出来るのがおかしいぞ」

「四宮君っ! 凄くカッコよかった!」


 お互いの動きを讃え合っていると、先ほどまで観戦していた同じクラスの女子達が傑の元にやってきた。

 傑は、啓太との会話に割り込まれたことに、ちょっと困っている顔をしている。


「あ、俺がボール片づけてくるよ」

「……ごめん」


 女子が傑と話をしたいことは言うまでもないので、傑が持っていたボールを片付けに行くということで、その場から離れることにした。

 その意図を把握している傑は、申し訳なさそうな顔をしたが、気にするなと小声で伝えてその場から離れた。


 傑は学年でもトップクラスにイケメンだし、やはり守るよりも攻める方が華があるので、女子達のああいった反応はよく分かる。


(まぁ、それでも羨ましいんだけど)


 そんなことを思いながら、ボールを片付けるべく体育倉庫の方に向かう。


「くー、お疲れっ!」

「ぐふっ!」


 突然後ろから、聞きなれた声と共に背中に張り手を喰らった。

 もちろん、その不意打ち攻撃の主は言うまでも無く瑞希である。

 傑のところに女性ファンが出来て羨ましいと思っていたが、一人だけこうしてきてくれた形になった。

 ただ一つ残念なことに、ファンでもない上に彼氏持ちであるということだが。


「あれ? あの動き見てたら、後ろからでも分かってるものだと思ったのに」

「いや、気抜いてるから分かるわけないって……!」

「あはは! でも、さっきはかっこよかったぞー! あんなにサッカー上手かったんだね」

「一応高校でもサッカーやってるしな」

「だとしてもすごいって、前橋君が色々教えてくれたよー?」

「裕也のやつ、いつの間にか居なくなってると思ったらそんな話してたのか……」


 そんな話を瑞希としていると、体育教師がこちらに向かって走ってきた。


「紅林、ちょっと話したい。今、いいか?」

「あ、はい」


 当然断るにもいかず、急いでボールを戻そうとした。


「あ、私が片付けとくからいいよ。くーは先生のところに行きなよ」

「ありがと、助かる」


 瑞希が啓太からボールを取ると、片付けをすると申し出てくれた。

 彼女の善意にお礼を言うと、彼女は笑顔で頷いて体育倉庫の方へと向かって走って行った。


「すまんな。呼び止めてしまって」

「いえ。話と言うのは……。”例”のことですか?」


 啓太としては、なぜこうして呼び止められたか理由は分かっていた。


「そうだ。なぜ、いきなり”部活を辞める”などということになるのか。何かあるならちゃんと話して欲しいのだが」

「……家庭内の事情です。それ以上のことは、例え顧問であっても言いたくはありません」

「確かに、家庭内事情と言うのであればこちらとしてはそこまで引き留めることは出来ないかもしれない。ただ、お前はこれからのサッカー部に必要不可欠な存在になる。もし何か悩んでいるのであれば、一緒に考えて行けば……」


 啓太は、現在サッカー部を辞めようとしていた。

 数日前に退部届を出しに行った時には、顧問が飛び上がって「何の問題があるのか」と随分と焦った顔をしていた。

 啓太としては、その時から「家庭内事情によるもの」と一貫して言っているのだが、退部届をすんなりと受理とはいかず、未だに顧問との話し合いが続いている。


「部活よりも、家庭事情を見て優先したいことがある。こればかりはどうしようもありません。そして、話したいことでもありません」

「そ、そうか……。ならば、少し親御さんとお話させてもらえたりしないだろうか?」

「そこまでしないと退部届って受理されないのですか? 自分はスポーツ推薦でこの学校に入っているわけでも、奨学金を貰っているわけでもありませんが!」


 あまりにもしつこい上に、「親と直接話したい」などと食らいついてきたために、思わず苛立って声を張り上げてしまった。


「嫌な思いにさせたのなら、すまん。だが、もう少しだけ考えて欲しい。こちらとしてはいくらでも待つから」

「……変わることはありませんけどね」


 何故か最後は啓太の方から捨て台詞を吐くようにして、その場を後にした。


「くっそ……」


 何故、こうもすんなりと事が収まらないのか。

 その苛立ちに、まだ顧問が近くに居るのに思いっきり地面を蹴ってしまった。

 砂利や小石が転がって、乾いた砂ぼこりが風の流れる方向に流れていく。


「ゴホッゴホッ!」

「え?」


 まさかまた人がいるとは思わなかった啓太は、思わず飛び上がってその砂ぼこりが流れた方向に視線を向けた。


「うう、狙ってやったとしたら流石にひどいぞ」

「あ、あれ。まだ居たの? ってか、すまん」

「いや、大丈夫」


 砂埃のせいでちょっと涙目になっている瑞希を見て、申し訳なさから先ほどまでの怒りがどこかへと飛んでいってしまった。


「ここで何してたの?」

「んー? まぁ、六時間目でもう放課後だし? 一人寂しく撤収するくーを待ってあげてもいいかなって思って……」


 と、いつも通り話していた彼女だが、途中からやや申し訳なさそうな顔になった。


「……ごめん、嘘。本当はさっき先生と揉めてるの、通り過ぎる時に色々聞いちゃって。何か……何も出来ないって分かってるのに、いつもはあんなに落ち着いてるくーが感情的になってるとこ見てさ……」


 要するに、いつもと違う自分を見て心配になってくれているということらしい。

 ただ、余計なおせっかいをしてしまっていると思っているようで、加えて盗み聞きしたような形になったことへの罪悪感からか、彼女は非常に弱弱しい顔をしている。


「ごめん、そこまで心配してくれて。ちょっと色々あって部活辞めるって言ったら、話がすんなりいかなくてさ」

「まぁ今日の動きを見ても、その気持ちちょっと分かっちゃうな。でも、どうして?って、言えるわけないよね。先生にも言ってないし、前橋君もそんなこと一言も言ってなかったから、知らないってことだもんね」


 いつも明るい彼女だが、ここまで真面目に言葉を並べてくる。

 自分にとっては、唯一と言って良い理解のある女の子の友達。


 彼女になら、話してみてもいいかもしれない。そう思った。

 いや、先ほどの話でのフラストレーションもたまって、どこかへ吐き出す場所を無意識に求めているのかもしれないが。


「……実はな、数日前に母さんが手術したんだ」

「え、手術……」

「とは言っても、がんとか命にかかわるような病気じゃない。”子宮筋腫”っていう最近ちょっと女性の間で増えてきてるやつでな。手術した方が良いってなった」

「い、命には関わらないことは良かったって言っていいのかな……。手術してるからそれも不適切か。だとしたら、ごめん」

「いや、良いんだよ。気を遣ってくれてありがとな。女性の病気だし、こうして手術って言うとやっぱり裕也も傑も言葉に困るし、変に気を遣いそうだからな。だから黙ってた」

「なるほど、だからさっき『親御さんと話がしたいって』先生が言ったときに怒ったんだ」

「そういうこと。……負担になるようなこと、させたくない」

「くーが部活を辞めて、お母さんのサポートをするってこと?」

「普通に生活することは出来るけど、手術して体のバランスも崩れてるからな……。それにうちには妹がいて、今年は受験生。しかも父親は単身赴任中。手術の日程決めたあとに決まっちまって、なんともタイミングが悪いわな」

「おおぅ、そういうことか」


 妹が受験生ということはともかく、まさか手術予定を決めたあとに、父親の単身赴任が急遽決まって重なってしまうという不測の事態が起きた。

 家事もそうだが、思った以上に体力を使う買い出しなど、自分が率先してやるべきだと啓太は強く感じていた。


 そして、ここまで啓太が部活を辞めてでも母親のサポートがしたいと思うのには、まだ理由があった。


「……俺が悪いんだ。反抗期で、ずっと母親を困らせてきたから。毎日朝早くから弁当も用意してくれてたし、家事だって一人で全部やってもらってたのに……」


 中学に入った頃から、勉強のことを中心に親と喧嘩することが多くなった。

 父親には勝てなくても、母親にはやはり体格上勝るようになってきてより反抗的な態度を取ったりしてしまっていた。

 そのことが今回のような形となってしまったのだと、啓太はずっと自分自身を責め続けている。


「……私の意見だけどさ、聞いてくれる?」

「うん」

「反抗期なんて、いくらでもある。私だってそうだもん。くーは周りよりも人一倍優しいし、しっかりしてるよ。それは、普段喧嘩ばかりしててもお母さんはきっとわかってると思うよ。だから……そんな自分を責めちゃダメ」


 瑞希はそう言うと、啓太の頬を両手で挟み込んだ。


「まぁ医学のことはよく分からないけどさ、くーに対するストレスでなったとしたら、多分大半の高校生の子供を持つお母さんが今回の病気になっちゃうと思うけどな……」

「……そうかな?」

「そうですよ。お母さんになったことは無いが、同じ女性と言う身からしてちょっとは信じてもらってもいいんじゃないかな!?」

「確かに、それはあるかも」

「だろぉ~?」


 彼女の言葉に、思わず啓太は少し笑みを浮かべてしまった。

 その上がった口角の所をつままれて、ぐにぐにと弄ばれてしまう。


「まず第一に、くーは本当に部活辞めちゃってもいいの?」

「本当に、とは?」

「部活辞めてお母さんをサポートするのもいいと思うけど、そんな自責の念からじゃダメ。少なくとも、純粋に助けたいって気持ちは伝えないと、お母さんが申し訳なくなっちゃうよ?」

「言われてみれば確かに。『それなら辞めるな』って言われそう。正直なところ、サッカー部内は人間関係のトラブルとか多すぎて嫌気が差してる部分もある。そのストレスも、母親に当たってたところもあるからな…。今回こうなって、環境を切り替えつつ母親のサポートが出来るこの上ない機会だと思ったってところがあるな」

「それなら素直にそう言ってみるのもありなんじゃない?『ぶっちゃけ部内の雰囲気酷くてコリゴリしてるし、時間空いて勉強もっと出来るし、それに遊べるし?』みたいな!」


 瑞希は、啓太が一人では考えていなかったような考えを次々に出してくれる。

 それを聞いて、いかに自分が閉鎖的な考え方をしていたかを考え直させられる。


「……こんなに色々と聞いてもらった上に、アドバイスまで貰ってしまうとはな」

「感謝しかないだろう?」

「ああ、感謝しかない」

「って、私がうっかり聞いちゃったことは良くないことなんだけどね。でも……やっぱりくーって真面目で優しいんだね。あと、不器用すぎ! そういうところ、またこうして知れて良かったかも」


 これだけ重い話を受け止めてもらっただけでなく、いつものようなあまりにも可愛い笑顔と共に、自らを肯定までしてもらった。

 どうしても、彼女のことがあまりにも魅力的に見えてしまう。


 それでも、彼女には彼氏がいる。この事実は変わらない。

 狂いそうになる気持ちを必死に押さえ付ける。


「しかし、大きな借りを作っちまったな。正直、誰にも話せずに悩み続けるんだろうなって思ってたし」

「ふふん、もっと褒めてもいいぞ?」

「俺に何が出来るか分からんが、何かあったらサポートするぞ。困ったことが無いなら、多少悪い悪戯しても全然構わない」


 自分からそう言いながらも、おそらく彼女が選ぶのは後者だろうと思った。


「じゃあ、両方で! 私、欲張りだからさ! くーがくれるなら、全部欲しいっ!」


 彼女は「あなたがくれるものなら全て欲しい」と求めてきた。

 正直、本気で言っているのかは分からない。

 おそらく後者は間違いないが、前者を必要としているのかは分からない。

 でも、嬉しそうに笑う彼女に求められると、断るという選択肢は無くなっていく。


「しゃーない、どっちもな。了解」

「うんっ! 律義なくーならそう言うと思ったよ!」


 小さな約束事を作った啓太と瑞希は、クラスのみんなよりも大幅に遅れて教室へと戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る