第53話 空気の壁と致命の一撃

 槍猪パイクチャージャーの怒りに燃える目が真っ直ぐに俺を捉える。


 まさか「壁落とし」でも仕留められないなんて……!


 俺は驚愕して奴を見上げた。


 さすがの槍猪パイクチャージャーもまったくの無傷というワケではなく、その巨体のそこかしこは傷つき、辺りに血を飛び散らせている。

 顔は特にひどく、左半分が潰れたように落ちくぼんでいた。何より目を引くのは、最大の特徴だった前に突き出す牙が、二本とも折れていることだ。


 でも足はしっかりと地面を踏みしめ、奴の重量を支えている。


 重傷なのは間違いないけど、まだ向かってくる……!


 俺の考えを肯定するかのように、槍猪パイクチャージャーはひときわ巨大な咆哮を空へと放つ。

 音の圧力だけで体が吹き飛びそうだ。


 そして長い咆哮も終わらぬ中、奴は予備動作無しでいきなり俺に向かってのだ――!


「ぐっ!?」


 突進――というよりは体重に任せての体当たり。

 牙は折れていようとも、額と前脚の鎧皮は健在だ。


 予備動作が無く突然だったこともあって、壁も回避も間に合わない。咄嗟に腰の剣を抜き放って奴の鼻先から身を守る。


 けど、衝撃はいなせても勢いを殺しきるのは不可能だ。


「うわっ……!」


 俺は槍猪パイクチャージャーの突撃に弾かれ、後方へと吹き飛ばされた。

 蹴り飛ばされた小石のように宙を舞う俺が、向かう先には壁。石造りの市壁だ。


 まずい……激突する……!


「くっ……透過っ……!」


 ギリギリで《壁透過》を発動させた俺は、そのまま市壁をすり抜けて街の外へ。

 その直後――


 轟音と共に突き破られる市壁。

 精緻な職人技によって積み上げられた石材のひとつひとつが、無残にも崩れ落ちていく。


 瓦礫と土煙の向こうから現れたのは、もちろん槍猪パイクチャージャーだ。

 俺を追ってきた。

 なんて執念深さだっ――!!


 槍猪パイクチャージャーは真っ直ぐ俺に向かってくる。

 それも問題だけど、このままじゃ奴に踏み潰されるより前に、地面に激突して死ぬことになる。何とかしなければ……!


 吹き飛ばされ宙を舞う俺の視界に、空、地面、そして未だ勢いが衰えない川の激流が映り込む。

 なんとか水面に落ちれば……? いや、これだけの勢いだとそれも危険だ。

 それなら――


「《壁作成》……!」


 俺は吹き飛ばされていく方に向かって、念じた。


 すると次の瞬間、俺の背後からが吹き荒れ、俺の身体を受け止めた。

 大幅に勢いが削がれゆく中、何とか姿勢を立て直す。そして徐々に近づきつつある地面側にもを作って、落下の衝撃を和らげた。


 最終的に、俺はふわりと危なげなく地面に足を着けることができた。


 …………やった!

 できるかどうかは賭けだったけど、上手くいった!


 俺は試みが成功したことに、安堵のため息を吐く。

 けどその余韻に浸る間もなく、槍猪パイクチャージャーはもう目の前まで迫っていた。


 迷ってる暇はない。


 俺はできる限り姿勢を低くして、自分の目の前に壁を作る。高さは無いけど、厚みがあって絶対に倒れない一枚岩の壁だ。


 そして自分と槍猪パイクチャージャーの中間に向かって念じる。


「《壁作成》!!」


 一見、俺と奴のあいだには特に何も出現していないように見える。

 けど実際は違う。俺がスキルを発動させるのと同時に、破裂するような強風が辺り一帯を襲い、地面から砂や小石が吹き飛ばされていく。


 その中心でもろに突風を受けた槍猪パイクチャージャーはたまらず進路を逸らして、俺の横を駆け抜けて行った。


 壁に守られていた俺は、なんとかその場に踏み止まる。


 ……いけるっ!


 その手ごたえに、俺は思わず拳を握り締めた。



 先ほど落下の衝撃を和らげるために作ったのは風の壁――空気の壁だ。

 どこかで聞いたことがある。物体は早く動くほど空気の壁にぶつかって、勢いを削がれたり、真っ直ぐ進めなかったりするものだって。


 だからより高密度な空気の壁を作ってその中に突っ込めば、吹き飛ばされた勢いを殺せるし、猛烈な速さで突進してくる槍猪パイクチャージャーの進路を逸らすこともできるんじゃないか……そう考えた。


 そして結果は予想通りだった。

 まあ空気の壁というより、それが元通りに広がろうとして吹き荒れる風が、大きな役割を果たしていた感じだったけど。


 でもこれなら槍猪パイクチャージャー突進チャージを止める――ことはできないまでも、受け流せる。

 攻撃をやり過ごしつつ、もう一度「壁落とし」をぶつける好機さえつかめれば……。


 勝利への道筋が見えてきた。


 周囲の様子を窺うと、幸い付近の掃討は大部分が済んでいるようだ。

 冒険者やグラミー団長たち戦士団員のみんなが、予想以上に奮戦してくれたおかげだろう。


 これならしばらくのあいだ、壁の穴はミナやムル、回復したソフィア団長たちが守ってくれるはずだ。

 俺は目の前の槍猪パイクチャージャーにだけ集中していればいい。


「《壁作成》!!」


 再度突進してきた槍猪パイクチャージャーを、同じ方法でいなす。

 その巨体故に、風の影響も受けやすいんだろう。空気の壁は奴にとってかなりの障害になっている。


 けど、安定してきた防御面に比べて、攻撃については中々糸口がつかめない。


 なにしろ街の外に躍り出て以降、槍猪パイクチャージャーは一度としてその足を止めないのだ。


 足を止めたら「素材化」による地面崩しを喰らうと分かっているのか、はたまた単純に十分な広さがあるから止まる必要がないのかは分からない。


 さっきから何度か「壁アッパー」も試してみているけど、猛烈な勢いで動き回る上に、一度見せたことで警戒されているみたいで、ことごとく回避されてしまう。


「でも、有利なのはこっちだ……!」


 止まらずに動き回る奴と、スキルを使い続ける俺。

 このままだと、どっちの体力が先に尽きるかという勝負になってくる。


 一見、スキル疲労から回復して間もない俺の方が不利に思えるけど、実のところはそうじゃない。

 何しろ俺には二五〇人もの仲間がついてるんだから。


 時間が経てば、周辺の掃討を終えたグラミー団長を始めとする仲間が救援に来てくれる。

 そうなればミナやムル、ソフィア団長たちも壁の穴に留まってる必要はない。


 槍猪パイクチャージャーは既に重傷を負っている。その上走り回って疲労した状態とくれば、負ける道理はこれっぽっちもない。

 もし俺が体力切れで倒れたとしても、後は仲間たちがカタを着けてくれる。


 勝負が長引けば長引くほど、追い込まれるのは槍猪むこうの方だ。

 俺はただ、自分の体力の消耗を最小限に抑えて時間を稼げばいい。



 ――そんな油断が槍猪あいてに伝わったのか。

 それとも奴自身、このままじゃ負けるということが分かって勝負に出たのか。



 突然、槍猪パイクチャージャーが咆哮を上げ、その全身が輝きに包まれた。

 かすかに尾を引くその光の正体は、スキルエフェクト


 俺は一瞬、何が起こったのか理解することができなかった。


 魔獣が……スキルを使った……!?


 驚く俺を他所に、エフェクトに包まれた槍猪パイクチャージャーの全身が炎に包まれる。

 同時にその速度がぐん、と飛躍的に増した。


「なっ…………!?」


 あまりの出来事に立ち尽くす俺。すぐに我に返ると空気の壁を作りだそうと手をかざしたけど――


 一瞬の遅れが明暗を分けた。俺が壁を作るより早く、炎の塊と化した槍猪パイクチャージャーの鎧皮が俺の身体を捉えたのだ。


 まるで破城鎚で打たれたかのような衝撃が、全身を貫く。

 体幹の骨が砕け、内臓が揺さぶられ、


 あまりの痛みに、


 まずい――早く、空気の壁を作って、少しでも槍猪こいつの勢いを、削がなくては……


 そう焦る中で、あろうことか、俺は致命的なミスを犯した。


「か、《壁……消、去》っ…………」


 なんと、《壁作成》を使おうとして――逆に《壁消去》を発動させてしまったのだ。


 当然空気の壁は作られず、槍猪パイクチャージャーの勢いを削ぐものも、吹き飛ばされ地面に叩きつけられる俺を受け止めてくれるものも無い。


 肩から落ちた俺は、そのまま川面に揉まれる落ち葉のように地面を転がった。

 全身が地面によって削られ、血の跡を残しながら、やや離れたところに突き出ていた岩に激突する。

 それでやっと、止まった。



 まず い 早く立 たないと



 俺を突き飛ばした槍猪パイクチャージャーは、そのままの勢いで突進してくる、はず。

 踏み潰される。


 けど、全身にまったく力が入らない。うつ伏せに倒れたまま、指一本を動かすこともままならないのだ。


 でも立たないと。


 ミナやムル、それにリナとも約束した。また四人で暮らすって。

 そのためには誰一人、欠けるワケにはいかない。俺を含めて。


 俺は全身の力を振り絞って、地面に腕を突き立てる。

 激痛に耐え、そのまま何とか上体を持ち上げた。


 けどその動きはあまりに遅い。


 おまけにどういうワケか、槍猪パイクチャージャーの方に向かって猛烈な風が吹いている。

 まるで奴が風を吸い込んでいるみたいに。


 これじゃ次の攻撃を避けるのは不可能だ。


 クライス――




 必死に立ち上がろうと藻掻く俺。

 けれどいつまで経っても槍猪パイクチャージャーの追撃が来ることは無かった。


「ゴッ、ぼっ――」


 代わりに聞こえてきたのは、何か液体が噴き出すような――いや、液体を吐き出すような音だ。


 なんだ……?


 俺はやっとの思いで首を巡らせ、音のした方を見る。


 そこにいたのは、槍猪パイクチャージャー

 だけど動いていない。足を止め、苦しそうに首を上下させている。

 そして――俺が見ている前で、その口から大量の血を吐き出した。


 粘り気のある水音と共に、真っ赤な血がそこら中にまき散らされる。

 むわっとした鉄の匂いが、倒れている俺を容赦なく蹂躙した。


 そこから一歩、二歩、血を吐きながらよろよろと動いたかと思うと――


 ズシン、という音と共に大地を振動させ、その身体を横たえたのだった。


「…………?」


 ……倒した?


 何故かは分からないけど、勝った、のか?


 一体、どうして……?




 何故槍猪パイクチャージャーが倒れたのか、それは分からない。


 けれど奴は倒れた。それは事実だ。


 よかった。あとはグラミー団長たちが外の掃討を終えれば、もう大丈夫だ。


 無事、街を守ることができた――。




 それを意識したとたん、張りつめていた気が安堵で緩む。

 途端に体の力が抜けていった。


 もはや全身の感覚が鈍い。これほどの重傷だと、神聖術による回復も間に合わないだろう。


 やれるだけのことはやったけど……ミナたちとの約束を守れないのは心残りだった。


 それに、ミナの無実をこの手で晴らすことも。


 リナは無事、証拠となる帳簿を手に入れることができたんだろうか……。


 どっと溢れるように様々なことが思い返されていく。


 けど抗いようのない眠気に襲われ、俺の意識は闇の中へと沈んでいったのだった。

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