第50話 流れる魔獣と槍猪

 城壁の残骸を乗り越えて、尚も魔獣の群が迫る。

 小型は壁に取りつき、大型は腕や角を振り上げ壁に巨体を叩きつける。中型はその背後で、まるで壁に穴が空くのを待っているかのように群がっていた。


 この第一城壁の突破を許すワケにはいかない。つまり今度は大型の魔獣も放置はできない。

 冒険者も戦士団員も、総力を挙げてここを死守しようと弓を引き、壁上まで登って来た魔獣は剣や槍で突き穿つ。


 作成の概要はここにいる全員に共有している。みんなここが最後の砦だということを分かっているのだ。


 それでも魔獣は後から後から壁に群がり、もはや壁の下も壁面も魔獣に覆われつつある。


 まだか……!?

 もうそう長くは持ちそうにない。


 既に東の空は白み始めている。

 時間的には、そろそろ到達してもいい頃だ。


「ぐあっ――!?」


 遠くで、ひとりの冒険者が登って来た魔獣に食いつかれ、瞬く間に群れの中へと落ちて行った。他にもあちらこちらで犠牲者が出始めている。


 早くっ……早くっ!


 焦る気持ちが募る。



 その時だ。


 北の方から地響きにも似た轟音が響き渡って来た。

 音の源は徐々に大きく、近くなっていき、壁上にいる人間ばかりでなく、群の後方にいる魔獣たちまでもが何事かと首を回してそちらを見る。


 そんな彼らが目の当たりにしたのは、水だ。


 密集する魔獣を呑み込む勢いで、濁った激流が彼らに襲い掛かって来たのだ。


「来ましたっ! 作戦通りですっ!!」


 ソフィア団長が登って来た魔獣の喉元を掻き切りながら、そう叫ぶ。

 他のみんなも、壁下に迫り来る水壁を目の当たりにして歓声を上げた。


 そう。


 俺たちは壁上での防衛戦の最中、徐々に戦場を西へ西へと移動させていた。

 魔獣の群の大半がアンディパウト川跡の谷地に入るよう、誘導していたのだ。



 そしてもちろん、このタイミングで干上がった川の水が激流となって押し寄せてきたのは偶然じゃない。


 それを説明するためには、俺はひとつ懺悔しなければならないことがある。


 ひと月ほど前に突然干上がり、街を騒がせたというアンディパウト川。

 その原因となったのは――俺だったのだ。



 クライスたちと別れたあの夜、俺は夜通しフォルガドネの森を歩き続け、とある渓谷にシスターリングを投げ捨てた。

 そして槍猪パイクチャージャーを倒し、クラルゥと別れた後にその指輪を探して回収したワケなんだけど……そこから脱出する際、渓谷を塞ぐ巨大な壁を作って崖上まで上がったのだ。


 その渓谷の底には川が流れていた。その川こそ、アンディパウト川の源流だ。

 つまり……俺の壁によって、川が堰き止められてしまった。そのため、下流のアンディパウト川まで水が届かなくなっていたのだ。


 俺は川が干上がったのも辺境伯の仕業じゃないかと疑っていたけど、これについてはまったくの濡れ衣だったと言っておこう。


 ともかく、堰き止められた川の水は、およそひと月ものあいだ溜まり続けた。

 俺が堰き止めたところは狭い渓谷だったけど、どうやらその上流は盆地になっていて、そこが水でいっぱいになっていたそうだ。

 クラルゥの命によりモルドガッドから人を派遣して確認してもらったところ、その様相は湖のごとしだったとか。


 そこで思いついたのが、その水を一気に放流して魔獣を一掃する作戦だ。


 俺は昨晩、陽が落ちた頃を見計らって水を堰き止めていた壁を消去した。


 夜、魔獣が街まで到達したら、三層の壁と壁崩しを用いて時間を稼ぎ、敵を減らしつつ川跡まで誘導する。


 そして今、解き放たれた水の暴力によって魔獣の群の大半が濁流に呑まれ、川に沿って押し流されていった。

 この川はこのまま南の大渓谷に注いでいる。

 もし溺れずとも、あの深い谷に落ちれば命はないだろう。


「総員、撤退!」


 ソフィア団長が命令を飛ばし、明るくなった空に黄色の光源魔法が灯る。

 第一城壁に上った魔獣を蹴落としながら、俺たちは最内層の市壁まで後退。


「撤退完了!」


 緑の光源魔法が上がると同時に、第一城壁も爆破崩壊させる。

 壁にくっついていて濁流から逃れていた魔獣も、瓦礫と共に水中へと没していった。


 やった。


「大成功だっ!!」


 俺の代わりに誰かが叫び、市壁の上に集った人たちからワっと歓声が上がる。


 川から離れていたことで被害を免れた魔獣は、目算でおよそ二〇〇体。


 決して油断していい数じゃない。でもこれなら防衛に当たっている冒険者や戦士団員が力を合わせれば、勝てるっ……!!


「――打って出ますっ!! 北門開放!!」


 ソフィア団長の号令に従い、街の北にある門が開かれる。

 その内側で待機していたのは、元グァバレア戦士団員。そしてそれを率いるグラミー団長だ。


「いくぞお前らぁあああああああああっ!!!!」


 喊声かんせいと共に、グァバレア戦士団が門の外へと打って出た。


 本当は門を閉じてその中で迎え撃った方が安全だけど、市壁の内側はもう人の住む街だ。

 万が一にも住民に被害を出さないため、壁の外で一気に決着をつける。

 それがこの作戦の最終段階だった。


「我々も急ぎます!!」


 ソフィア団長以下、壁上に残っていた人員も壁を降り、北門へ急ぐ。

 俺やミナ、ムルもそれについて行こうとして――


「うわっ!?」

「ウォル様!? ひぁっ……!」


 俺は脚をもつれさせてしまい、咄嗟にムルに支えられた。

 そのまま膝をついて、彼女の腰にしがみつくような格好になってしまう。手ががっしりとお尻を掴み、ムルが嬌声を上げる。


「あなたはまたこんな時に――っ!」


 とミナから冷気が漂いかけたけど、違う。


「足に力が入らない……」


 どころか、全身が倦怠感に襲われる。

 ソフィア団長が俺の様子を見て、


「これは……スキル疲労ですね」


 と口にした。

 極度にスキルを酷使し過ぎた場合に見られる脱力症状である。


「……無理もありません。あれほど大規模なスキル行使を続けたのですから」


 俺の脇に身を屈めたソフィア団長の手を借り、近くの壁に寄りかかるようにして座らせてもらった。がっつり肩を組んだけど、状況が状況だしソフィア団長も恥ずかしさを感じることはないようだ。

 と思ったけど違った。顔も耳も真っ赤になってる。


「コホン。ウォルさんはご無理をなさらず、しばらく休んでいてください。後は我々が引き受けます」


 そう言って、ソフィア団長は立ち上がる。

 恥ずかしいのを我慢してまで俺に手を貸してくれた彼女に感謝しつつ「すぐに追いかけます」と伝えた。


「ムルさん、ミナさん。すみませんがウォルさんのことはよろしくお願いします」

「はい、もちろんですっ」

「任されたわ」


 ミナとムルが返事したのを見届けて、ソフィア団長は北門へと駆けて行った。




「ウォル様、大丈夫ですか?」

「うん……しばらく休めば動けるようになるはずだよ」


 心配そうに俺を見つめるムル。

 彼女を安心させるように、努めて明るく返事をした。


「無理しすぎなのよ。ソフィア団長も言ってたけど、あとは外の掃除だけなんだからゆっくりしてなさい」

「それをミナがいうの……?」


 この約二日間、ミナはほとんど休まず《武器作成》を使い続けていた。


 根を詰めた様子の彼女に、俺は何度も休むよう勧めたけど、ミナは頑として聞き入れなかった。

 そしてその結果、昨日の夕方ごろには今の俺と同じようにスキル疲労で動けなくなっていたのだ。


 俺のジト目にミナはうっと怯んだ様子を見せたものの、


「なるべく多くの矢が必要だったから、休んでいられなかったのよ……あなたとは別だわ。もうあなたは十分働いたんだから、あとは戦士団や他の冒険者に任せても大丈夫でしょ」


 と言って俺に人差し指を突きつけた。


 確かにミナの言う通り、外に残った二〇〇体くらいの魔獣の掃討なら、俺一人いなくても困ることもないだろう。


 でも……まだだ。


「……まだ、一番やっかいなのが残ってるからね」


 ミナもムルも、若干緊張した様子を見せた。

 俺が何を言いたいのかは伝わったようだ。


 さすがに槍猪パイクチャージャーといえども、戦士団と冒険者、合わせて二五〇名が協力すれば、倒せない相手じゃないはずだ。

 ただそれば槍猪パイクチャージャーだけに集中できればの話。外にはまだ他の大型魔獣もいるし、今あいつに突っ込んでこられたら、対応できる人数は限られてしまう。


 だからまだ、ひとりでも多くの戦力がいる。俺だけこんなところで休んでるワケにはいかない。


 せっかくここまでは上手くいっていたんだ。

 最後まで街を守り抜く……!


 俺がそう決意を新たにした、その瞬間だ。


 轟音と共に、俺たちのいる場所からすぐ近く……街の西側で何かが爆発したような土煙が昇る。


「!? なんだ……っ!?」


 さらに異変はそれだけにとどまらない。


 地響き。

 それに石畳を何か硬いもので穿つ音だ。規則的に、一定の調子で。


 これは――


「まずい――……」


 本能がそう警鐘を鳴らすと同時、俺たちの目の前に建っていた建物――重厚な造りの集合住宅が


 そこから姿を現したのは、前方に真っ直ぐ突き出た牙をもつ魔獣――


「――パイク……チャージャーっ……!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る