第48話 街の防衛と決戦前夜
魔物の接近が街に知らされてから二日後。日付が変わったばかりの夜。
俺はミナ、ムルと共にハーヴォルドの街を取り囲む城壁の上にいた。
辺りには定期的に光源魔法が打ち上げられているので、陽が落ちた後でもかなり遠くまでを見渡すことができる。
城壁の上にはほかにも大勢の冒険者、戦士団員が立っていて、みんな一様に森の方角へ目を光らせていた。ここから森は見えないけど、稜線の向こうに動く影がないかを見張っているのだ。
「それにしても……改めて見ると、《壁作成》ってすごいスキルだったのね……」
ミナが街を取り囲む城壁を見回しながら、ぽつりと呟いた。
「正直、驚いたわ。ここまで大規模に壁が展開できるなんて」
ミナの視線の先、ハーヴォルドの街は元々ある市壁に加えて、その外側をさらに三重の城壁で取り囲んである。非常に分厚く、高さも市壁と同じだけある。
もちろん俺の《壁作成》で作ったものだ。
「そうそうそうそうなんだよ! やっとミナにもこのスキルの素晴らしさが分かってもらえたみたいだね?」
「ええ。覗きとセクハラ専用スキルかと思ってたけど見直したわ」
「ひどいっ!」
俺とミナのやり取りを見ていたムルがくすりと笑う。
「でも本当にすごいです。これならどんな魔獣が来てもへっちゃらですね」
「ははは……そうだと良かったんだけどね。実はそういうワケでもないんだ」
何しろ小型の魔獣は垂直……どころか、反り返った壁だろうと平然と登ってくるし、大型の魔獣は分厚い石壁をものともせず破壊する。
さすがにここまで巨大な壁はそう簡単には壊されないと思うけど、それでも魔獣相手には決して万全じゃないのだ。
「それなら、もっと層を厚くしたり、より高くしたらいいんじゃないかしら?」
「う~ん。もっと厚く、もっと高くか……」
ミナの言う通り、やろうと思えば四重でも五重でも層を増やすことはできるかもしれない。
でも、今回ばかりはそれが有効とは限らない。
「布でも紙でも、たくさん巻けば巻くほど太く……円周が大きくなるでしょ? それと同じで、あんまり多層化しすぎると守る範囲が広がっちゃうからね……」
「なるほど。防衛に当たる人数は限られてますから、あんまり守る範囲を広げられないんですね?」
「うん。そういうこと」
こっちの人数がもっと多ければ、層を厚くして防御力を増す以外にも色々と選択肢があった。
森に対して凹型の壁を作ったり、港の堤防のような放射状の壁を伸ばしたりして魔獣と一度に相対する人数を増やし、より攻撃力のある布陣にもできたんだけど。
「高さを抑えてるのも何か理由があるの?」
「うん。《壁作成》は基本的に、周囲のものを素材に壁を作るスキルだからね。素材によっては、あんまり高くすると自重で潰れちゃうかもしれないんだ。俺はこの辺の地質や特性に明るいワケじゃないし、どのくらいの高さまでなら安全かは分からないから、市壁と同じくらいにしてるんだよ」
あとは、城壁を高くしすぎると壁上を占拠された時に高所を取られてしまうとか、内側から外の様子を把握しにくいとか色々理由はある。
ともあれ、そんな事情でこれ以上の多層化も高層化も難しかったのだ。
ただしその分、城壁は今作れる最高のものを用意した。
ハーヴォルドの街全域を取り囲む壁は三層とも厚さ五メートルの石壁だ。高さも約二〇メートル。市壁と同じだけの高さがある。
門もないし、魔獣の群は真正面から壁にぶつかるしかない。
「それに、ミナが協力してくれたから守りはこれで十分だと思うよ」
壁はあくまで守り。勝利のためには攻撃で魔獣を排除しなければならない。
そのため城壁の上に並んだ者たちは、攻性魔法を使える人以外の全員が弓と矢を手にしていた。俺もだ。
今回の防衛作戦の第一段階は、壁上から矢や魔法など遠距離の攻撃で魔獣の数を減らすことになる。
とはいえ街中の武器屋に在庫を出してもらっても防衛に当たるほぼ全員分の弓は用意できなかったし、矢の在庫だって限りがある。
そこで活躍したのがミナの《武器作成》だ。彼女はこの約二日間、ほとんど休まず必要なだけの弓と、作れるだけの矢を用意してくれた。
これじゃ武器屋も商売あがったり……というか、ミナ自身が武器屋を開けば、元手無しで大儲けできるのでは……?
そう思って冗談交じりに話してみたんだけど、そんなに上手くはいかないらしい。
ミナ曰く、《武器作成》で作れるものはそれほどいいものではなく、職人がちゃんと作った品に比べると品質が劣るのだとか。
たしかに、冒険者や戦士団員にとって武器は命を預けるもっとも重要な道具。武器の価値は己の命の価値に等しいなんて言われるくらいだし、品質が良くなければ買う人もいないだろう。
とはいえ、今は実用に耐えれば十分だ。
予備も含めて備えは万全。さすがにミナには疲れが見え隠れしてるけど、頑張ってくれた彼女のためにも絶対に無駄にはできない。
それに――
俺はとなりに立つミナの襟元、細い首に着けられた重々しい首輪状の鉄環を見る。
クラルゥが言っていた「逃走防止用の拘束呪具」だ。
絶対に生き残って、ミナの無実を証明しなければならない。
「ウォル様、少しよろしいでしょうか……」
「ん? どうしたのムル?」
時刻は真夜中を過ぎて、じき日の出を迎えようかという頃。
警戒に当たっていた俺の傍までやってきたムルが、なにやらもじもじと手や内腿をこすり合わせながら恥ずかしそうにしている。なんだろ?
ちなみに今は交代で壁上の見張りに立っている時間だ。
ムルはミナと一緒に休憩のため、市壁の向こうに臨時で設けられた仮宿舎に行ってたはずなんだけど……?
「あの……ちょっとのあいだ、目を瞑っていていただけないでしょうか?」
「目を……? いいけど」
幸い、まだ魔獣の群が姿を現す気配はない。
城壁の上には他にも見張りの人員が一定間隔で配置されてるし、少しくらいムルにつき合っていても大丈夫だろう。
俺は言われるままに目を閉じた。
「し、失礼します」
何も見えない中、ムルの声は気のせいかさっきより近くで聞こえた気がした。
そのままじっと待っていると、不意に胸板にむにゅっと柔らかく温かい感触が伝わってくる。
「えっ」
さらに、首に手が回されたのが分かった。
これは……ムルに抱き着かれてる!
一体どうしたんだろう。もしかして、これが吊り橋効果というやつなのだろうか?
男女で一緒に「高い吊り橋を渡る」みたいな緊張する経験をすると、相手に対して恋心を抱いてしまう……ということを、スティーナが話していた気がする。
明日にも魔獣の大群に襲われるという緊張感で、ムルも俺に恋を……!?
でもそれは本当の恋心じゃないらしいからダメなのでは……。
後々になってムルが傷つくようなことは避けなきゃダメだと思いつつ、でもこのチャンスを逃すのは勿体ないのでは?という相反した感情が渦巻く。
そんな中で、俺は無意識の内に密着する彼女の背中と腰に両手を回してぎゅっと抱きしめていた。
「きゃっ!?」
すると予想外に大きな反応が返って来る。
「あ、あの……ウォル様。こんな所でそんなことをされては……その、照れてしまいます……」
「ご、ゴメンっ!?」
調子に乗りすぎた!?
思わず目を開くと、湯気が出るんじゃないかってくらいに顔を真っ赤にしたムルと目が合った。
その近さに思わず身体が固まる。
「あっ……」
突然目が合ったことで、ムルも驚いたように動きを止めていた。
彼女の見開かれた瞳を見ていると、まるで吸い込まれていくみたいに感じる。
僅かに首を動かせば、鼻先どころか唇と唇が触れ合ってしまいそうなくらいの距離だ。
ムルの手は俺の首に回ったままだし、あとほんのちょっとで――
「……あなたたち、何してるの?」
突然、背後から絶対零度の声をかけられ、俺はムルと一緒に肩を跳ね上げる。
声の主は考えるまでもない。
振り返ればそこには呆れた表情のミナが立っていた。
「み、ミナ……休憩中じゃなかったの?」
「ムルがこっち行くのが見えたからついてきたのよ……で、何してるの?」
ミナはあくまでもにっこり零度だ。
「ご、ごめんなさい……はいっ、もう終わりました」
ミナの迫力に気圧されたのか、そう言ってムルがさっと離れて行ってしまう。
柔らかい感触も離れて行ってしまって寂しい。っていうか「もう終わりました」って何さ?
「この変態は……時も場所も選ばないで見境なしなの? ムルまで一緒になって、ダメじゃない」
「ごめんなさい……」
ミナのじっとりした視線に、ムルは身を縮こませる。ミナはそんなムルに「嫌なものは嫌って言わなきゃよ?」とお説教だ。
いや、今のはムルから迫って来たんだけど……?
「……ぷっ」
頭に浮かぶそんな文句とは裏腹に、俺の口からは笑い声が漏れる。
「何笑ってるのよ?」
「いや……なんだかこういうやり取りも、ずいぶん久しぶりなように思えちゃってさ」
俺がうっかり女の子と接触しちゃって、それを誤解したミナが冷たい目で変態呼ばわりする。
少し前まではもう日常だったそれが、とても遠い、昔の出来事のように感じてしまう。
実際には、ミナが一人でバナンへ発った日から、まだ二週間と少ししか経ってない。
だけどそのあいだに随分と色々なことがあったせいで、久しく忘れてしまっていた。
「な、何よ……しんみりした話で誤魔化そうって魂胆?」
「いや、そんなつもりはないけど」
そう言うミナだって、ちょっと心に感じるものがあったみたいだ。
ばつが悪そうに俺から目を逸らすのがその証拠。
「確かに……そう昔のことじゃないのに、懐かしい感じがしますね」
ムルもそう言って遠くを見る。
本当に色々、色々ありすぎて、一度は失いかけた俺とミナとムル、それにリナとの日常。
でもここで街を守って、ミナの無実も証明すれば、取り戻すことができる。
俺はミナとムルの手をそれぞれ取って、彼女たちに呼びかけた。
「二人とも、絶対に生きて街を守り抜こうね。それで、これから先もずっと同じことを続けていこう」
彼女たちとの日常、彼女たちとの約束、どれも絶対に手放したりはしない。
ムルは俺の言葉に「はい、もちろんです」と迷いなく頷いた。そして空いている方の手をミナと繋ぐ。
ミナも「まったく、仕方ないわね……」と、ちょっと恥ずかしそうにムルの手を握り返した。
そんなミナの様子を見て、俺もムルも顔が優しくなる。
ミナはそれが気に食わなかったのか「っていうか」と俺をジト目で睨みつけた。
「それってこれから先もずっと見境なしに女の子に手を出していくってことかしら?」
「違うからね?」
まったく。
相変わらずな調子のミナに、俺たちは誰からともなく笑い声を上げてしまうのだった。
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