第46話 防衛作戦と忘れ物

 グランヴェンシュタイン城にあるハーヴォルド守衛戦士団の詰め所。

 その会議室で、迫り来る魔獣の大群に対処するための話し合いが行われることになった。


 斡旋所からはグァバレア戦士団の代表として、先ほど演説していたグラミー・バノッザ団長。ギルド連盟斡旋所の代表としてルイナさん。それに槍猪パイクチャージャーの第一発見者として俺、ムル、スレイン、ユリアの計六名が参加する。


 俺たち斡旋所組が会議室に入った時、中にいたのはひとりの女性だけだった。

 背が高く、楚々とした雰囲気を纏う青髪の騎士だ。


 彼女は俺たちの姿を認めるなり、姿勢正しくこちらへ歩いてきた。


「冒険者ギルドの方々ですね。私はハーヴォルド戦士団団長、ソフィア・ノーレッタ。この度は皆さんのご助力に、戦士団を代表して感謝の意をお伝えします」


 左手を自分の胸元に添え、僅かに小首をかしげてにっこり微笑む。

 上品な仕草がとても様になっていた。


 ていうかこれ、クラルゥと初めて会った時の、彼女の所作と同じだ。

 クラルゥのあれは演技だったし、きっとこの人の真似をしたんだろう。


 俺たちも順番にソフィア団長に名乗っていくけど、グラミーもスレインも鼻の下が伸びてだらしない表情になっていた。ルイナさんも、ユリアも呆れた様子だ。

 まったく……と思っていたところ、隣から視線を感じる。目をやると、ムルが困った顔で俺のことを見ていた。まさか俺もあの二人みたいになってないよね?


 最後に俺の番が来たので、意識して表情を引き締めながら名前を告げる。すると、それを聞いたソフィア団長がぱっと目を輝かせた。


「貴方がウォル・クライマーさんでしたか。先日、お嬢様が森で危ない目に遭われていたところをお助け頂いたそうですね。主の命を救っていただいたこと、このソフィア・ノーレッタからもお礼を申し上げます」


 そう言って深々と頭を下げる。さらさらの長い青髪が肩を流れていく様に、ちょっとどぎまぎしてしまう。


「いや……あれは助けたというより、たまたま居合わせて代わりに魔獣の標的になっただけですから……」


 両手を振りながらそう伝えると、頭を上げた彼女は口元に手を当てくすりと微笑んだ。


「ふふ、ご謙遜を。いずれ何かの形でご恩返しができればと思っておりました。どうぞ、何か私にできることがあれば何なりとお申しつけください」


 控えめだけど明るく清楚で人当たりもいい。正直、クラルゥより本物のお嬢様っぽい。

 そんなことを考えた罰が当たったんだろうか。


「ソーフィーアー? 気軽にそんなこと言うと、とんでもなくエッチなことをお願いされちゃいますよー?」


 唐突に開いた会議室の扉。

 そこからメイドさんや数人の騎士と共に入室したクラルゥが、ソフィア団長にとんでもないことを言う。


 案の定、ソフィア団長は「えっ」と驚いた顔で俺を見た。

 違いますからね!


「え、えっちなこと……ですか。確かに、ウォルさんは中々好色な方だとお伺いしてましたが……」


 誰だそれ言ったの。


 さっきまでの落ち着いた振る舞いがちょっと崩れて、動揺を滲ませるソフィア団長。

 だけど「コホン」と咳払いをして、気持ちを持ち直したようだ。少し顔が赤いけど、何か覚悟を決めたように真っ直ぐな視線を俺によこす。


「ですが……それで主の命を救っていただいたご恩に報いることができるのでしたら……! わたしでよろしければ、喜んでお引き受けします……!」


 この人はこの人で何言ってるの……?


 と思ったけど、彼女は極めて真面目な様子だった。

 顔を真っ赤にしたまま一歩を踏み出し、「し、失礼します……」と俺に身体を寄せる。


 えっ、まさかここで「お礼」をするつもりなのだろうか?

 周りに人――ムルもいるのに、それはまずい! 俺の背後からは、ムルの「えっ? えっ?」と動揺した声が聞こえていた。

 違うんだよムル……! 振り返ってそう言いたいのに、身体は動かない。


 そうしている内にソフィア団長はその身を屈めて、両手で俺を手を取った。

 遠慮がちに握られる、手のひらの柔らかく温かい感触。これはこれでドキドキする……。


 けどソフィア団長は、恥ずかしさに耐えるようにぎゅっと目をつぶったまま、それ以上は動こうとしなかった。


 数秒、凍ったような時が流れる。


「あの……いかがでしょう?」


 俺が何の反応も示さなかったからか、ソフィア団長は不安そうに片目をあけて、チラッと窺うように尋ねた。


「いや……これは?」


 思わず質問に質問で返してしまう。するとソフィア団長は「説明するのですか……!?」とますます身を縮めてしまった。


「その、手を……握らせていただきました」


 そう言うと、もう耐えられないとばかりに俺の手を放す。そのまま両手で顔を隠して向こうを向いてしまった。


「ああ……私ったら、人前で殿方の手を……恥ずかしいです……」


 …………。


 つまり?


 たぶん、今のがソフィア団長にとって、精一杯の「えっちなこと」だったんだろう。


 手を握ることが……。


 精一杯の……。


「何を期待してたんですかウォルさーん? ガッカリが顔に出てますよ」


 固まったままの俺に、クラルゥのニヤニヤ顔が向けられる。


「…………」


 ベツニナニモキタイシテナイデスヨ。




「さて、茶番は終わりにして真面目なお話に移っていいですか?」


 そう言うと、クラルゥは背後に控えていたメイドさんに目配せする。

 すると彼女は手にしていた巨大な巻紙を、大きなテーブルに広げた。


 重りで留められたその紙は、ハーヴォルド周辺の地図だ。

 一般的に流通しているものより精度が高く、森の木々の密度や川の幅、地形の高低差なんかも情報として書き込まれている。


 その上に、ソフィア団長がいくつかの駒を並べていった。それが迫り来る魔獣の位置を示す、目印ということだ。


「魔獣の群は現在ここに位置し、ハーヴォルド方面へ移動中です」


 駒はハーヴォルドの北側に集中していた。バナンとは谷を隔てたところに位置しているから、そちらが襲われる可能性は低そうだ。それは不幸中の幸いと言える。


「その総数は約二〇〇〇体。現在も、少しずつではありますが規模を増しているとの報告を受けています。対するこちらの戦力は守衛戦士団が一〇〇名と冒険者の皆様が一五〇。数の上ではかなりの劣勢となっています」


 元グァバレア戦士団が加わってくれたのは心強いけど、それでもまだ数倍の戦力差がある。その上、魔獣はさらに数が増えているらしい。


「正直なところ、まともにやりあったんじゃ勝ち目はありませんね……何か策を講じなければ」


 クラルゥの言葉に、その場の全員が地図を睨んで考える。

 罠を張って少しでも数を減らす。地形を利用して有利に戦える場所に誘い込む。

 何でもいいから戦力差をひっくり返す一手が必要だ。


 と、地図を見ていた俺はあることに気がついた。


「この地図だと、街のすぐ傍を川が流れてることになってるね」


 俺が指さした部分には川を示す線が、ハーヴォルドの街のすぐ西に隣接する形で描かれている。


 けれどおかしい。街からは何度も出入りしているし、森にも出かけたことがあるけど、こんなところに川なんて見たことない。

 ただ周囲よりちょっと低いくらいの谷が続いてるだけだったはずだ。川の跡と言われればそれっぽい気もするけど。


「それはアンディパウト川ですね。以前はこの地図の通りに川が流れていたんですけど、ひと月くらい前だったかな? 突然水が枯れちゃって、ちょっとした騒ぎになってました。ね、スレイン」

「ああ。森から来てる川だから水源としては利用されてないし、水運に使われてるワケでもないからすぐ誰も気にしなくなったけどな」

「でも何だか不気味ですよね。これも森や魔物の異変と関係あるんでしょうか?」


 ユリアとスレインがそう教えてくれた。


 魔獣の血や肉は人間にとって毒になる。

 だから魔獣の生息域から流れてくる水は、飲用水にも生活用水にも使えない。水運にも関係ないとくれば、確かに無くても困らないけど……。


「ですが、今のこの状況を考えると歯がゆいですね。川幅はそれなりにありましたから、ある程度の水が流れていれば堀として機能していたはずです」


 ソフィア団長が悔しそうに言った。


 川は森からほぼまっすぐハーヴォルドに伸びていて、街の西をかすめている。

 彼女の言う通り、もし今も健在だったら対岸から来る魔獣を、ある程度は押し止めてくれていたはずだ。


 それにしても、日照りの時期でもないのに突然川が干上がるなんて、どうしてだろう?

 これも辺境伯の仕業なんだろうか? なんだか俺たちにとって都合の悪いことは、全部奴が手を回しているように思えてならない。


 でも川を干上がらせるなんてどうやるんだ?

 上流で水を止めちゃうとか……?


「あ」


 そこで俺は、に思い至った。


 地図に描かれたた川を上流方向へ遡ってみると、その川はクライスたちと別れた街、モルドガッド付近に続いている。

 モルドガッドと川。両者の距離は、最も近い所でちょうど歩いてひと晩程度だ。

 ということは……。


「……上手くいけば、一気に魔獣の数を減らせるかもしれない」


 俺の言葉に、全員の視線が集中する。


「ホントかよ、ウォル?」

「うん。ちょっと思いついたことがあるんだ」

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