第44話 ひとりの旅立ちと広がる動揺

「それじゃにいさん、行ってくる」

「うん……気をつけてね? 知らない人についてっちゃダメだよ? 変な人に声を駆けられたらすぐ周りの人に助けを求めて、誰もいないところには近づかないでね。あと人通りがあるところで財布を出しっぱなしにしないで、ひったくりにも気をつけて――」

「にいさん、心配しすぎ」


 ハーヴォルドの街の市門。

 俺とムルは馬車の荷台に乗ったミナと話していた。




 先ほど、急遽持ち込まれた「街に魔獣の大群が押し寄せてくる」という情報は、俺たちを大いに悩ませた。


 明確な街の危機。

 通常、街を守るのは守備を任されている戦士団の仕事だ。

 そしてここはハーヴォルドの領都。もちろん立派な戦士団が常駐している。規模の面でも、質の面でも周辺の街より優れた戦力が揃っているのは間違いない。


 けれど第一報によれば、街に迫る魔獣の群はかなりの大軍勢らしい。


 戦士団の戦力だけで十全に防衛できるかは不明な規模。そうした場合、街の管理者の権限で、斡旋所を通じて街にいる冒険者たちにも召集がかかることになる。


 招集に応じるのは、冒険者の義務だ。


 つまり、俺もムルも冒険者である以上は、その招集に応じなければならない。

 ミナを助け出すタイムリミットが迫っているのに――。


「その招集に応じなかったら、どうなるのですか?」

「……厳しい罰則がある。場合によっては、冒険者資格の剥奪もあるくらいの」


 冒険者資格を剥奪されたら、最終防壁 《フロントライン》を越えて獣侵領域に向かうことができなくなる。

 ミナとの約束も守れなくなってしまうということだ。


 でも……苦しい所だけど、彼女の命には変えられない。

 そう決断した俺は、「クラルゥ、悪いけど――」と彼女に伝えようとして、


「私が行く」


 リナの声に止められた。


「私がアルドグラムに行って、証拠を掴んでくる。にいさんとムルは、ここで街を守っていて」

「え、それは危険だよ」


 旅路もそうだけど、製錬所で会う相手は辺境伯の息がかかっているかもしれない人間だ。

 そんなところにリナひとりで行かせられない。場合によっては盗みに入らないといけないのに。


 それに、リナは辺境伯から狙われている。

 理由はよく分からないけど、奴は「壁の守り人の血」がどうとか言っていた。

 要するに、彼女たち壁を管理する貴族の血には何か秘密があり、辺境伯にとって利用価値があるんだろう。


 リナもその血を受け継いでいる。だからミナは用心のために、バナンへいく度にリナも連れて行ってたんだ。辺境伯がいるハーヴォルドに残しておくのが心配だから。

 ミナがひとりでバナンに発つ時に警戒していたのも、俺じゃなくて辺境伯だったということか。


 それなら、尚更リナをひとりで行かせるワケにはいかない。

 せめて俺だけでも……。


 でもリナはそんな俺の考えを読んでいるかのように、首を横に振った。


「大丈夫。私もねえさんを助ける役に立つ」

「でも……」

「それににいさんもねえさんも、まだしばらくこの街にいるつもり。それなら街の人たちとも助け合って仲良くならないと」


 その言葉の意味を察して、俺は押し黙る。

 ミナを助けてお仕舞いじゃない。むしろそこからが始まりなんだ。

 リナはそう言っていた。


「…………分かった。君に任せるよ、リナ」


 正直、かなり心配ではあったけれど、ここはリナを信じることにしよう。

 俺は鞄から先ほど受け取った手紙を取り出すと、それをリナに渡した。


「ミナを助けて、街も守って、そしたらまた四人で暮らそう」

「うん、もちろんそうなる」


 リナも決意を固めた表情でそれを受け取った。




「じゃあ、お願いします。すみません、無理を言って……」

「いえいえ。どうもあなた方とはご懇意にさせていただいた方がよいと、私の勘が告げるものでして。それでは、道中のことはお任せください」


 俺が御者台に座る行商人に頭を下げると、彼はそう応えて手綱を振るう。

 するとリナを乗せた荷馬車を牽く馬が、とことこと門の外へ歩きだした。


 バナンからここに来る時、そしてミナがひとりでバナンに向かう時にも世話になった行商人だ。今まで何度かやり取りをさせてもらって、信用できそうな人物だと分かっている。


 何を隠そう、城にやってきたミナを俺たちが待ち伏せていられたのも、彼のおかげだ。

 彼にはミナをバナンに送る際、帰りも彼女に合わせて、乗せて帰ってほしいと頼んでおいた。そしてハーヴォルドに戻ったら、すぐに俺に知らせてくれるようにと。


 結果として、彼は何も聞かず頼みを聞いてくれて、ハーヴォルドに戻ってすぐ、既に陽が落ちていたにも拘わらず俺たちに帰還を知らせてくれた。

 そのおかげで、ミナより先んじて城に向かうことができたのだ。


 だから今回も、無理を言ってリナをアルドグラムまで送ってもらうよう頼んだ。

 もちろんそれなりに料金は取られたけど、これで道中の安全を得られるなら安いものだ。

 旅慣れた人がついててくれる以上に心強いことはない。


 だからといって完全に安心できるわけじゃないけど……。


 結局、ミナの話を聞く限りでは、辺境伯の秘密と森の異変には何の関係もないということになる。


 でも今回の魔獣の襲撃。それはあまりに辺境伯にとって、都合が良すぎるような気がする。


 昨晩ミナが捕らえられてから数時間しか経っていないこのタイミングで街が危機にさらされ、俺とムルはハーヴォルドから動けなくなったしまった。


 はたしてこれは偶然なんだろうか?


 不安の種は尽きないけれど、離れていく荷馬車に背を向け、俺とムルは斡旋所へと急いだ。




 俺たちが斡旋所に入ると、そこには既に大勢の冒険者が詰め掛けていた。

 招集の時間までもうすぐだ。これで街の冒険者がほぼほぼ集まっているんだろう。


 見たところ、ざっと八〇人くらいかな。


「おう、来たかウォル」

「スレイン、ユリア。ちょっと用事があってギリギリになっちゃった。まだ説明は始まってないよね?」

「はい、これからです。あ、ルイナさんが来ましたよ」


 ユリアが指さす方を見ると、ちょうどカウンターの奥からルイナさんが姿を現し、少し高くなっている講壇に上ったところだった。

 でもその顔色は悪い。何かよほど深刻なことになっているんだろうか。


「…………皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます」


 それでもルイナさんは気持ちを切り替えたのか、努めて平静な調子で説明を始めた。


「既にご存知の方もいるかと思いますが、現在フォルガドネの森から魔獣の大群がここハーヴォルド領都へと向かっています。このまま進んだ場合、街への到達はおよそ二日後と想定されます。その規模は――」


 そこでルイナさんは一瞬言い淀む。


「その規模は――約二〇〇〇体。ほとんどが小型、中型魔獣ですが、一部に大型が含まれるのと……超大型の猪型魔獣、槍猪パイクチャージャーが一体確認されています」

「………………は?」


 誰の口からともなく、間の抜けた声が漏れた。


 二〇〇〇体……? 二〇〇〇体だって……!?


「な、なんだよそれ……魔獣が数千体規模で街に押し寄せて来てるってのか? ここは獣侵領域じゃねーんだぞ!?」


 どこかからそんな叫び声が上がる。それを皮切りに似たような言葉があちこちから聞こえてきた。


 無理もない。

 もちろん個人の能力にもよるけど、一般的な冒険者や戦士団員が一対一で相手をできるのは、中型魔獣までだとされている。

 それだって可能なら罠を張るなり、不意を衝くなりして真正面からの戦いは避けるべきだし、もし大型を相手にするとなればパーティ単位で臨むのが当たり前だ。


 そんな魔獣たちが二〇〇〇体、群を成して襲い掛かってくる。

 対するこちらの戦力は、街の守衛戦士団が一〇〇人に俺たち冒険者が八〇人。一〇倍以上の戦力差だ。仮に街の戦える人間を徴集しても、訓練を受けてない一般人じゃ小型魔獣と戦うのも難しい。

 しかも大型や、さらにその上をいく槍猪パイクチャージャーまで混じってるとなれば、動揺するなと言うのは難しい。


 俺が一人で槍猪パイクチャージャーを倒せたのは謎の古城の城壁のおかげで、ほとんど運と言っていい。

 本来ならあんなのは、まさしく街中の冒険者に招集をかけて対応するべき化け物なのだ。


「無理だ……無理だろそんなのっ! 勝てるワケねぇよっ!!」

「そうよ……戦うより、逃げることを考えた方がいいんじゃないの……?」

「で、でもよ。招集から逃げたらもう冒険者としてやってけねぇぞ?」

「招集から逃げるなんて言ってないわ。踏み止まって戦ったところで無理なものは無理なんだから、それなら街の人たちを伴って避難するべきだって言ってるのよ」

「我々冒険者はその護衛の任に就くといういうことかの? しかしのう……」

「たった二日で街の住民全員を避難させるなど、到底不可能であるぞ……」

「いや。例え数人しか逃がせなかったとしても、全員死ぬよりはマシだろ?」


 冒険者たちからは様々な意見が上がった。

 みんな自分の命惜しさにひとりで逃げようとしないのは立派だけど、誰かが言う通り街の住民全員を伴って避難するなんて不可能だ。


「みんな落ち着いて。この街は立派な市壁に守られてるんだし、下手に街の外に出たらかえって危険だよ」


 俺の呼びかけに一瞬は静まりかけるものの、すぐに対抗意見が叫ばれる。


「壁なんて、小型の魔獣は登ってくるし、大型なら壊して乗り込んでくるかもしれないだろ? そりゃ平野を大勢連れて逃げるよりは安全かもしれないけどよぉ……」


 確かに誰かの言う通り、壁も完璧じゃない。

 でも逃げたところで魔獣に追ってこられたらそれまでだし、この領都が陥落したら魔獣たちは周辺の町や村を襲うかもしれない。もし避難できたとしても、その避難先が襲われたのでは意味がないだろう。


 今、この場で踏み止まって戦うのが、一番街の人たちを守れる確率が高い。

 それは間違いない。


 でも……。


「…………どうせ何も守れないなら、俺らだけで他所の街に移った方がよくないか……?」


 誰かがぽつりと呟いた。

 まずいな。


「どうせ領都は守れないなら、別の街に移動してそっちで守りを固めた方がいい」

「でも……ここの人を見捨てて行くなんて……」

「しかしなぁ、戦ったところで勝算が低いなら、それはまるきり無駄死にじゃないか」

「何、お前ら死ぬのが怖いの?」

「バカ言うな、そのくらいの覚悟はできとる。ただ意味もなく死ぬのが嫌なんじゃ」

「それぞれの判断で、連れて逃げ切れる数名だけでも街の人を伴い脱出するのはどうでしょう?」

「お、それいいかもしれんな……」


 冒険者たちの士気は下がり、段々と街を捨てるという意見に傾いてきている。

 ここに来て日が浅い俺じゃ彼らを説得できないし、ルイナさんもおろおろしてて何も言いだせないでいる。こんなに動揺する彼女は初めて見た。


 抗えない流れに押されるように、ついには具体的な脱出計画を話し合う者たちも出始めた。

 このままじゃ本当に街を捨てて逃げ出すという結論に成りかねない――そんな時だ。


 バタン、と乱暴に扉が開かれ、勢い余った扉が壁にぶつかった。


 おい、立派な壁に何すんだ!!

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