第42話 黒い企みと揺れる誇り

 ウォルたちが地下牢でミナと面会していた頃。


 グランヴェンシュタイン城内、辺境伯仮邸宅。

 ダグラスはその最上階の一室――人気のない父の書斎にいた。


 今は真夜中だが、どういうワケかドゥーラン・グァバレアは床に就くこともなくどこかへ出掛けている。

 寝室はこの書斎の隣。留守にしているならその方がダグラスにとって好都合だが、こんな夜更け、しかもあのような騒ぎがあった直後に出歩くなど、どういうつもりなのか。


「さすがに城内から出てはいないだろうが――」


 だとすれば、急いだほうがいいだろう。


 ダグラスがこの部屋に来た目的。それは今、彼の目の前にある父の金庫を調べるためだ。


 先ほど、ミナ――ミナティリア・ナジェラーダは父の命で密輸用の地下坑道を使い、第五層の屋敷から財宝を運んできたと言った。

 それは裏を返せば、父が地下坑道の存在を知っていたということであり、つまるところドゥーラン・グァバレアこそ密輸を主導していた張本人だったということだ。


 普通なら即座に否定し、そのような戯言を宣う愚か者は即座に指を切り落とす。


 しかしダグラスには予感があった。

 領地の奪還を「余計なこと」と切って捨てた父。彼ならばあるいは……と。


 どんな人間だろうと自分の父親だ。できればダグラスも彼を信じたかった。


 けれど一度生じた疑念はそう容易く払拭できるものではない。

 だから、それを確かめに来たのだ。


「もし、あの女が本当に父の命で動いていたならば――」


 ドゥーラン・グァバレアは、財宝に先んじてを回収させているはずだ。


 そしてそのは、決して手放したりしない。他の財宝が売り払われ処分されようとも、父の手元に残されているはず。


 それがあるなら、この金庫の中だ。


 これは第五層の屋敷から持ち出すことができた、数少ない辺境伯家本来の持ち物。開錠の方法は知っている。

 必要な鍵の在り処も分かっていた。書斎の机に置かれた小ぶりな真鍮製の騎士像。父が興味を持つには粗末なものだが、その鞘から剣を引き抜くと、実は金庫の鍵になっているのだ。


 ダグラスは鍵剣を手にすると、三つ並んだ鍵穴に順に挿し、中央を左に一回転、上を右に半回転、下を右に二回転半と回していく。この手順通りに鍵を回すことで、金庫の扉が開く仕組みだ。順番も回す数も違っていたら開かない。


 ガチャリ。重々しい歯車の音と共に金庫の扉が開錠される。

 分厚い鉄製の扉を軋ませ、中を覗いた。


「――――!!」


 はたして――はあった。


 金貨の詰まった袋。金融ギルド発行の証券の束。宝石に宝飾品が収められた箱。

 それらに交じって金庫の最上段に置かれていたのは、一見すると「鍵」だった。


 金銀にまばゆく輝くワケでもなく、芸術的な価値がありそうにも見えない。


 青色がかった石のようなものを削りだして作られた、鍵としてはかなり大ぶりな品。


 王の壁を守る一族「壁の守り人」の家に、代々受け継がれる「王の鍵」と呼ばれるものだ。


 何も知らなければ粗末な骨董品でしかない。しかしその真の価値を知る守り人にとっては、家宝にも勝る、非常に重要なもの。


 これは防壁崩壊の際、領都にある隠されたにあったため、持ち出すことが叶わなかったはず。


 それがここにあるということは――


「やはり――」


 あの女が語っていたことは、真実だった。


 あの女、ミナティリアは父の命で密輸用の地下坑道を行き来していた。


 父は、密輸に手を染めていた。


 それが今、ダグラスの中で確信に変わった。


「――何をしている?」


 突然。

 背後から声をかけられた、ダグラスは身体ごと勢いよく振り返った。


 そこに立っていたのは父、ドゥーラン・グァバレア辺境伯。

 背後には護衛の騎士も控えていた。戦士団ではない。父が身辺警護のために雇い入れた、どこの馬の骨とも知れない男だ。安い給料でよく働くと、上機嫌に話していた。


 辺境伯はダグラスの背後にある開いた金庫に目を落とし、そこにある石の鍵を見る。

 それからダグラスをじろりと睨みつけた。


「そなた、何の真似だ」


 質問ではなく、話せという命令だった。


「……先ほどあの娘、ミナティリアが言っていたことを確かめるために来ました。父上、これはどういうことでしょうか?」


 ダグラスは父の静かな怒りに怯みながらも、問いを口にする。

 額からは脂汗が流れ出ていた。しかし引くつもりはない。ここで父の真意を確かめるのだという強い意志が、彼の瞳から見て取れる。


 辺境伯もそれを感じ取ったのか、怒鳴りつけて服従させるのは難儀すると判断し、大きくこれ見よがしにため息を吐く。


「ふん、見ての通りよ。その『王の鍵』は儂があの小娘に命じて取ってこさせたもの。我がグァバレア家にとって自分の命の次に大事なものだからな。いつまでも獣がうろつく危険な地に放り出しておくわけにはいかんだろ?」

「では、父上が密輸用の地下坑道――その存在を知っていたのいうのは……」

「だったら、どうした?」


 辺境伯は悪びれる様子もなく開き直る。


「儂は領主ぞ? 壁を守り、領地を守り、そこに住む愚民どもを己の血と引き換えに守ってきたのだ。それをたかだか小金稼ぎ程度でとやかく言われるなど、その方が間違っているとは思わんか? んん?」


 ダグラスは黙って父の言葉に耳を傾けていた。


「そなたもこの立場を継げば分かる。愚民どもはいつだって不満ばかりを口にし、儂の恩義に報いようなどしようともしない。だからこうした手段で本来得るべき見返りを求めることも必要なのだ。そなたの血と肉も、そうして築いた財によって形作られているのだぞ」


 自分勝手な言い分だと、ダグラスは思った。

 実際にはどれだけ不満を口にしようと、領民である以上は決められた税を納め領主に還元しなければならない。領主と領民の関係とはそういうものであり、それがすべてだ。

 領民の態度が悪いからといって、非合法な手段を用いていいワケじゃない。

 特に密輸は最終防壁フロントラインに近い地から物資を流出させ、やがてはそこに暮らす人々を蝕んでいく。不満を口にする領民への復讐だとしても、許されることではない。


 けれど――


 勝手な理屈を並べ立てる辺境伯に、ダグラスは何も言い返すことができなかった。


 これまで、自分が壁の守り人たるグァバレア辺境伯家の一員であることに誇りを持っていた。

 父との仲は良好とは言えなかったが、堂々たる貴族として振る舞い絶大な権力を操る彼のことを尊敬もしていた。


 そんな栄えある一族の者でありながら、二年前、魔獣が襲い来る街から真っ先に撤退した自分を恥じた。


 戦うつもりはあったのだ。だけど初めて間近で見る魔獣は図鑑や目録の挿絵とは全く違い、恐ろしいものだった。だから側近の、まずは自分こそ避難するべきだという進言に、思わず飛びついてしまった。


 それは大きな後悔として、ダグラスの中に残った。

 結局、戦士団の大部分は壊滅。領都の住民もまともに避難できた者はごく一部。

 領都以外の、より奥地にある町や村に至っては、そのほとんどが魔獣によって蹂躙されたらしい。


 ダグラスが戦っていたところで、結果が変わったワケではない。

 けれど逃げずに――見捨てずに戦った。その事実こそが唯一、生き残った者を慰めることができるのだ。

 逃げた彼に、その資格はなかった。


 そんな思いは二度としたくない。だからこそ、これからは元領主の一族として自分に恥じない自分になると決意したのに――


 目の前で領主らしからぬ振る舞いをする父に、何も言い返すことができなかった。

 怖いのだ。これまでの自分を否定して、正しいと思う新たな道を選ぶことが。


 ダグラスの葛藤が顔に出ていたのかもしれない。

 身勝手な自己弁護を垂れ流していた辺境伯は、反論しないまでも納得できないといった様子の息子を見ると、またこれ見よがしにため息を吐いた。


「……そなたには少し静養が必要かもしれんな。ハーヴォルド家令嬢との婚約が正式に決まるまで、しばらく休んでいるとよかろう。どこかへ物見にでも行って来るがいい」


 それはダグラスを気遣うようでいて、違う。

 ただ貴族たちの目がある場所に、を置いておきたくないのだ。


「顔合わせも必要なかろう。婚約が成り、婚姻の儀が執り行われることになったら呼び戻す。ああ、ただし――」


 話しながら、グァバレア辺境伯は唇の周りを舌で舐める。


「あの娘、クラルゥ嬢には儂の子を産ませることにする。表向きはそなたたちの子とするが――次の世継ぎはその子供だ」

「――っ! では、私は?」


 ダグラスはハッと父の顔を見た。


「そなたに貴族の重責を負わせるのは少々酷のようだと思ってな。何、案ずるな。少々惜しいが、世継ぎさえ生ませればあの娘はそなたにくれてやる。存分に、どうとでも楽しむがいい。何なら壊してしまってもかまわんぞ」


 つまり、ダグラスはお払い箱ということだ。

 家督の継承も許されず、将来的には辺境伯家に飼い殺され、どこか僻地の屋敷で監禁同然の暮らしを送ることになるだろう。


 自分の息子ですら、使えないと断じれば切り捨てる駒としか考えていないのか。


 ――そう反論する勇気は、ダグラスにはなかった。


「分かっているな? くれぐれも余計な真似はしてくれるなよ。前にも言った通り、そなたは何もせず、儂の足を引っ張らぬことだけ考えよ」


 何も言い返せないダグラスの様子を肯定と受け取ったのか、そう告げると辺境伯は護衛の騎士に目配せをする。


 騎士は無言でダグラスの腕を掴むと、有無を言わさぬ力で書斎の扉まで連れて行き、共に部屋を出る。


 ばたりと扉が閉められ、腕を掴んでいた手が離された。


 自分の無力さに怒りとも屈辱とも言えない感情を煮立たせる。結局、父の不正を確かめることはできたが、それだけだ。これでは何もしなかったのと変わらない。


 ふと、ダグラスの脳裏に浮かぶのは、あるい忌々しい男の顔だ。


 ウォル・クライマー。


「……くそっ、なぜこんな時に奴の顔を思い出す……?」


 ダグラス自身にも理由は分からなかった。相手は自分を虚仮にした憎むべき相手だ。


 でも一方で考えずにはいられなかった。

 もし奴が自分の立場なら、黙って父に従うようなことをするのだろうか。


 相手は数度顔を合わせた程度の無礼で不躾な平民。そんな人間が何を考え生きているかなど知る由もない。


 しかしダグラスには確信があった。


 あの男、ウォル・クライマーなら、おそらく父の前ですらあの生意気な――毅然とした態度で、己が正しいと思う行いをしただろうと。

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