第40話 黒幕登場と断たれた夢
その男、グァバレア辺境伯はその場にいた全員をじろりじろりと嘗め回すように見た後、最後に散らばった財宝と、その中心にいるミナに目を向けた。
ミナを掴んでいる手から、彼女が全身を強張らせたのが伝わって来る。
「ミナティリア嬢」
辺境伯がミナを呼ぶ。叫んだり怒鳴ったりしているワケじゃないのに、威圧感がこもった声だ。
「儂は悲しいぞ。幼いそなたら姉妹を庇護し、第四層の領民たちもあれほど手厚く遇してやったというのに……貴様はそのような言いがかりで、恩を仇で返そうというのか?」
詰め寄られたミナは、可哀そうに満足に喋ることもできないみたいだ。
はっ、はっ、と短く息を吸う音だけが聞こえてくる。
「グァバレア辺境伯。その仰り様は、彼女と面識があることをお認めになるんですね? 彼女がナジェラーダ家令嬢で、以前お屋敷に住まわせていたということも」
「ああ、ああ。その通りだとも、クラルゥ嬢。もっとも五年以上前にこの娘は儂の家を出て行き、それきり会ってはいなかったがな」
クラルゥの問いかけに、何でもないといった風に答える辺境伯。
まずいぞ。
これはまずい流れだ。
「しかし、彼女は貴方の指示で密輸用の地下坑道を通り、お屋敷からこれらの財宝を持ってきたと証言しています」
「んん? そなた、自分が何を言っているのか分かってるのか?」
辺境伯はじろりとクラルゥを睨みつける。
「それはつまり、儂が領主の立場でありながら、密輸に手を染めていたと……そう申しているのか? 伯爵令嬢ごときが、八年ものあいだ第五防壁の守りに心血を注いできたこのドゥーラン・グァバレアに向かって?」
その口調は、一切の遠慮も配慮も感じられない恫喝みたいなものだ。
辺境伯の方が位が上の貴族とはいえ、クラルゥは領主の娘だ。それなのにこれほどハッキリ見下した態度をとるなんて……!
でもクラルゥはそんな辺境伯の態度に臆することなく、奴の目をまっすぐ見ながら毅然とした態度を崩さなかった。
「もちろん、そうと決めつけるつもりはありません。しかしながらそのような告発があったのも事実。如何に貴方が辺境伯という地位にいるお方とはいえ、ここは当家が治める当家の領地です。私は法を預かる伯爵家の者として、告発が事実か否かを確かめる義務がある。お分かりいただけますね?」
「そんな必要はあるまい、クラルゥ嬢? 考えてみろ、簡単な話ではないか。そこの娘はどういう理由か存在を知っていた地下坑道を通り、儂の屋敷から財宝を盗み出した。それが明るみに出たので、儂の命だと嘘をついた。そうであろう? そうすれば、そなたのように自分は賢しいと勘違いした愚か者が、可能性という毒に目を曇らせ、儂を疑うからだ」
ほとんど罵倒ともとれる物言いに、クラルゥは眉間にしわを寄せる。
でも怒鳴り返したりはしない。それじゃ相手の思う壺だ。
「何と仰られようと、私は私の義務を果たすだけです」
あくまでも冷静を装い、淡々と告げる。
普段はふざけたような軽口ばかりの彼女だけど、ここ一番の胆力はやはり為政者の器がある。
辺境伯も、彼女を説得するのは無理だと悟っただろう。不愉快そうにクラルゥを睨めつけるけど、それ以上の口撃をしてこなかった。
けど、この状況はまずい。
辺境伯にこの場を――ミナが俺たちに真相を話した現場を見られた以上、この場で決定的な証拠をあげて奴を告発する他に、ミナを助ける道はない。
そうじゃないと、ミナが「貴族の屋敷から財産を盗んだ罪」と「貴族に濡れ衣を着せ名誉を貶めようとした罪」に問われてしまう。
後者だけでも指の切断刑、前者は悪ければ死罪もあり得る。ミナ自身が貴族だったとしても、罪に問われないワケじゃない。
もし辺境伯が密輸用の地下坑道を用いたこれら財宝の運搬に関わっていたと、証明できる方法があるとするならば――
「辺境伯。恐れ入りますが、貴方にお貸ししている邸宅の中を見せていただいても? 聞くところによると、彼女が貴方の指示でお屋敷から財宝を運び出したのは、これが初めてというワケではないそうですから」
そうだ。
もし辺境伯の邸宅を調べて、そこにミナが運んできた財宝――本来は第五層の屋敷にあるべき品々を見つけることができれば、それは動かぬ証拠となる。
ダグラスは家紋入りのゴブレットを見て、即座にここにあるべきものではないと断言した。それは辺境伯が逃げて来る時、屋敷の財産をろくに持ちだせなかったということを意味している。スレインもそんなことを言っていた。
ああした辺境伯家ゆかりの品は、大部分を屋敷に残してきたんだろう。貴族とはいえ、奴はハーヴォルド伯爵家に居候の身。当然、城に住まわせる際に何を持ち込んだかは伯爵家が把握しているはず。
そんな中、あるはずのないものが彼の邸宅からいくつも見つかれば、さすがに言い逃れはできない。
あるいは財宝自体が無くても、処分した証拠……例えば金の宝飾品を溶かした金塊なんかがあればいい。金塊にはそれを造った製錬所の刻印が押されるから出所を探れるし、刻印がない金塊は違法品だ。
製錬所が分かれば、金塊の元になった金の出所も探れる。なぜならより内側の層から持ち出された金は、外側のものより価値が高い。
辺境伯が第五層から持ち出された金を売ったなら、がめつい奴のことだ。絶対に第五層の品だということを話して高値で売っている。
そして第五層の品だということを保証するのは――もちろん鑑定ギルドに依頼して鑑定してもらうなんてことができるワケないので――それら金財に刻印された辺境伯家の紋章以外にあり得ない。
それを製錬所の人間に見せたはずだし、何をいくらで引き取ったかは帳簿に記録されている。
でも――
「…………よかろう。そこまで言うのであれば、存分に調べるがいい。だが断っておくが、そなたが考えているようなものが出るなどと、期待するなよ」
やはり。
辺境伯の態度は自信に満ちていた。既に足がつきそうな品は処分した後ということだろう。クラルゥも苦々しい表情を隠せない。彼女が言っていた通り辺境伯は用心深く、調べられて困るようなものを住まいに置いておいたりしないのだ。
もしこれまでミナが運んだ財宝すべてを貨幣に変えられたりしていたら、その流通経路を調べるなんて、とてもできることじゃない。
辺境伯はクラルゥを黙らせたことに気を良くしたのか、「ふん、まあ無礼な態度は大目に見てやろう」と少し上機嫌になったようだ。
そしてぐるりと振り向き、俺の方を向く。
なんだ……?
「まあ、儂も領地を追われた身。領民を逃がすのに必死で、屋敷から財を持ちだす暇など無かったからな。清貧な暮らしぶりを見られるのを嫌った故、先ほどは言葉が過ぎた。許せ」
顎鬚を撫でながら、肥えた身体に宝石だらけの指という、清貧さとは縁遠い姿でクラルゥへの無礼を謝罪する辺境伯。その行為がもはや侮辱だ。
でもおかしい。
あんな態度を取っておいてわざわざ詫びるもの変だし、クラルゥに向かって話してるのに、奴の目は俺を――違う、俺が押さえているミナを見ている。
まるで言うことに逆らった家畜に鞭打つような、嗜虐的な目で。
「なにしろ――」
言葉と共にニタリと笑う辺境伯。こいつっ……矛先をミナに向けている!
「あまりの貧しさに戦士団に暇を出すような有様よ。それほど追い詰められた我が境遇を思えば、多少言い過ぎるのも仕方あるまい?」
その言葉を聞いたミナの肩が、ぴくりと動いた。
正直、俺には奴の言葉にどんな意味があったのか、すぐには分からなたかった。
けどミナは、伏せていた顔をぐっと持ち上げ、信じられないという表情で辺境伯を見ていた。
「なん……ですって?」
それを見た辺境伯は、下卑た笑みを浮かべる。その様子から、奴がミナの心に何かを突き刺したのだということがわかった。
「んん? 聞こえなかったか? 儂が雇っていた戦士団は解散させたと申したのだ」
戦士団を解散させた。
その口ぶりから、それを実行したのはもっと前だったことが伺える。
こうしてミナが捕まる前に、奴はとっくに自分の戦士団を手放していたのだ。
ミナと交わした約束――第五層、そして第四層を取り戻す。その要となる戦士団を。
それはつまり――
「あんた……最初から約束を守るつもりなんてなかったっていうの……?」
ミナが擦れた声を絞り出した。
やっとの思いで、それだけを口にした。
辺境伯はそんな彼女の姿に、さも愉快そうに顔をゆがめる。
「約束? 先ほど貴様が口にしていた『取って来た財宝を使って第五層と第四層を解放する』という、世迷言のことか? 馬鹿め!」
ここへ来て初めて、辺境伯の言葉が熱を帯びる。
怒ってるんじゃない。自分を裏切ったミナに、気が済むまで言葉の鞭を振り下ろす。そんな醜悪な行為に興奮してるんだ。
「一度獣侵領域となった地を、取り戻すことなどできるわけなかろうが。もし誰かがそんなことを口にしていたとして……真に受けるなど、どうかしていると思わんか? んん?」
その言葉を横で聞いていたダグラスが、静かに拳を握り締めたのが分かった。
こいつ……自分の息子が同じ目標を掲げていたことを知らないのか?
それとも知っていて彼の決意まで嘲笑ってるのか?
「このクズっ……!!」
ミナが憎しみに燃える瞳で辺境伯を睨む。
「どれだけ最低な奴でも、領主として領地を取り戻したい――その気持ちだけは同じだって信じてたのにっ……!!!!」
「ふん、気持ちなどで飯は食えんわ」
今にも辺境伯に向かって飛び掛からんばかりに暴れるミナを、俺は必至で押さえつけた。
心苦しい。だけどこの場で辺境伯を傷つけようものなら、ミナの立場はもはや挽回の余地がなくなってしまう。
それだけは避けなければ。
その様子をどう思ったのか、辺境伯はわざわざミナの前にしゃがみ込んだ。
「何を喚こうが、所詮は罪人の戯言よ。儂の屋敷から財宝を盗み、この儂を小汚い犯罪者呼ばわり。どのような罰が下るか、楽しみに待っているがよい。ああ、どうせ死罪になるかも知れんが、これは言っておかねばな――」
辺境伯はさらに身を屈めて、地に伏すミナに視線を合わせた。
この上、何を言うつもりだ……?
「無許可で壁を越えた者は、冒険者の資格を剥奪される。つまり……」
ミナの動きが、ピタリと止まる。
「例え命が助かろうと、貴様は二度と獣侵領域には行けぬということだ。もちろん、親の屍が待つ第四層にもな? ぐふふふ……」
言い終えると、満足したのか辺境伯は立ち上がった。
そして、愉快で仕方ないといった様子で、声を上げて笑う。
「ぐふふふふ……ははは、はっはっはっはっはっ!!!!」
いったい何がそんなに面白いのか。
さっぱり分からなかったけど、目障りだからとその顔面を殴りつけるわけにもいかず。
俺たちは、狂ったように笑いながら、ずりずり靴底を引きずって立ち去る辺境伯を、ただ見送るしかできない。
ミナは泣いていた。静かに、声を押し殺しながら。
これで彼女の夢――第四層へ行き、両親を探すという唯一の願いは、叶わなくなってしまったのだ。
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