第39話 密輸の道と少女の正体

「密輸用の……地下坑道だと?」


 ダグラスが怪訝そうに問い返した。


 ミナの話が本当なら、その地下坑道はもちろん第五防壁が健在だった頃……つまり辺境伯が領主として第五層を治めていた頃のものだろう。

 防壁崩壊後、故郷を追われた辺境伯にそんなことをする余裕も意味もない。


 密輸……そういえばスレインがそんなことを言っていた気がする。

 辺境伯が壁を抜ける秘密の抜け道を作って密輸で儲けていると。


「密輸って……どういうことですか?」


 ムルが誰にともなく疑問を投げかけた。

 記憶がない彼女は、この世界の仕組みについて疎いのだ。


「第一防壁に近い方を『内側』とした場合、内側の層から外側の層にものを持ち出すのには高い関税がかけられます。逆に外から内に持ち込む分にはタックスフリー。これにより、獣侵領域に近い場所ほど他と比べて物価が安くなり、結果として人々は暮らしやすくなるワケですね」


 問いに答えたのはクラルゥだった。


「これは最終防壁フロントラインに近い地域からの人口移動を防ぐための措置です。考えてみれば当たり前ですよね? 誰だって最終防壁フロントラインが破られれば獣侵領域に呑み込まれる危険な地域より、安全な外側で暮らしたいと考えるものです。それを思いとどまってもらうために、内側の層は外側と比べて様々な面で優遇されてるんですよ」


 各層に住まう人々は、直接的・間接的に王の壁を守っている領主を支える生命線だ。その人口を支えるという意味で、壁越えの際に生じる関税は、大げさではなく世界の防衛の一翼を担う仕組みということになる。


「話を戻しますが、その関税を免れるために、人知れず防壁を越えて品々のやり取りをするのが密輸です。ちなみに、これはどの領地の法でも極めて重罪とされています。首謀者が平民なら、死罪は免れないほどに」


 でも逆に言えば、だからこそ成功させればそれは莫大な富を生むとも言える。


 内側から外側へ持ち出される主要な品とは、例えばここに散らばっている宝石や貴金属類だ。

 冒険者にとっても有用な装飾品の素材となるこれらは、より内側の層のものほど、魔石化した際の効果や魔力の伝導率が良くなる。つまり価値が高くなる。

 不思議なことに「内側の層で産出されたもの」ではなく「内側の層に長時間あったもの」がより品質の高い素材になるのだ。だから様々なギルドや商会が、外側から内側に宝石貴金属類を持ち込んでくる。それをまた外側に持ち出して、より高値で売るために。


 宝石や貴金属は内側の層で消費される分もあるけど、外側の層にだって魔獣がいて、冒険者がいる。そうした人々に販売するため、装飾品やその素材は高い関税を支払って壁を超えている。


 もしその関税を支払わずに外側へ持ち出すことができれば、その利益は計り知れないものになっただろう。

 そのための、密輸用の地下坑道というワケだ。


「つまりその……グァバレア辺境伯は初めから地下坑道の存在を知っていたということですか?」


 ムルは一瞬ダグラスの顔色を窺いつつ、辺境伯の名を口にした。

 クラルゥは頷いて答える。


「彼女の話を信じるなら、そうですね。それを利用して、自分は安全な第六層で待っていながら、他の人にトッテコーイさせたということになります」


 ダグラスは第五防壁が崩壊した際に、財産を屋敷に残してきたと言った。きっと辺境伯は、何とかしてそれらを回収したいと思ったことだろう。


 でも最終防壁フロントラインを越えられる上級冒険者へ正式に依頼するとなると、かかる費用は莫大なものになる。当然だ。獣侵領域に入るということは、それだけで命がけなんだから。


 そこで、かつて密輸用に使っていた地下坑道を利用することを思いついた。


 坑道が存在し、それを知っているということは、そこで行われた密輸に辺境伯が関係していた動かぬ証拠。領地を守るべき領主自らが密輸に手を染めていたなんてことが知られれば、それは彼の破滅を意味する。


 だから身寄りもない一介の冒険者で、安く雇うことができ、いざとなればすぐ切り捨てることができるミナみたいな子にその役割を担わせたのか。


 獣侵領域なんて危険な場所に、上級冒険者でもない女の子をたった一人で……!


「……わからんな」


 静かに怒りを燃やす俺を尻目に、ダグラスが言った。


「仮に領主だった頃の父上が密輸に手を染め、そのための地下坑道があったとしよう。しかしそれを使って当家の屋敷まで行き来し、財宝を持ってくるには、法的にも身体的にも様々な危険が伴う。なぜ貴様はそんな任を引き受けている? いや……なぜ父上は貴様をそんなことを任せているというんだ?」


 それは当然の疑問だろう。

 ミナが辺境伯に従う理由はいくつか考えられる。報酬がいいのかもしれないし、何か弱みを握られているのかもしれない。


 でも辺境伯の立場になって考えてみれば、誰にこの仕事を任せるかはとても重大な問題だ。

 なにしろその人物が裏切れば、自分の身が危うくなる。少なくとも地下坑道の存在は明るみに出て、二度と使うことができなくなってしまうんだから。


 実際のところ、ミナはこうして俺たちに話してしまっているけど、それは俺を守るために他に手が無かったからだ。


 もしそんなことが無ければ、ミナは絶対に秘密を漏らさない。

 辺境伯にはそう確信できる何かがあったはずだ。


「簡単な話よ。あいつは私が何でも言いなりになることを知ってるの。私が……ナジェラーダの人間だから」

「! ナジェラーダ……!? 貴方はナジェラーダ家のご息女なんですか……!?」


 クラルゥが驚いたように問いかける。

 ナジェラーダ。その名前は俺も聞いたことがある。


 それは一〇年前、獣侵領域に呑み込まれた場所の名だ。


「私はミナティリア・ナジェラーダ。第四層、ナジェラーダ領主の娘なの」



「ミナが……第四層領主の娘?」

「……もう昔のことよ」


 そう言って彼女は語り始めた。


「一〇年前……第四防壁が突破された時に、私とリナは運よく第五層に避難することができたわ。それからしばらくグァバレア辺境伯の家でお世話になっていたの」


 なるほど。

 なぜ辺境伯がミナやリナを屋敷に住まわせていたのか不思議だったけど、辺境伯家と同じく領主家の人間だからだったのか。領主家同士、ナジェラーダ家とグァバレア家は多少なりとも親交があったんだろう。


「でもあいつは――ドゥーラン・グァバレア辺境伯は、善意で私たちを引き取ったワケじゃなかった。あの家にいた時、いつも言われたわ。第四層から逃げて来た避難民が無事でいられるのは自分のおかげだって。だから私は領主の娘として、その恩に報いなきゃいけないんだって……!」

「領主の娘としてって、一〇年も前ならミナだってまだ子供だったでしょ……!?」


 そんな小さな子に、領主としての責任を負わせようとしてたのか?


「あいつは自分の言いなりになる、便利な道具が欲しかったのよ。貴族は伝統的に強力なスキルが発現しやすいから、そのために私を手元に置いておいたの。一〇歳になって《武器作成》が発現したら、すぐに屋敷から別の家に移されたわ。その後私にやらせたことを思えば、自分の近くにいられると都合が悪かったのね。それから、私っ……」


 ミナは思い出すのも辛そうに息を呑んだ。


「私っ、あいつの言いなりになって……何度も、酷いことを……!」


 俺に掴まれていない方の手のひらに視線を落とすミナ。その手は震えている。

 その様子から、よほど耐え難い行いを強要されていたことは容易に想像がついた。


 スレインが話していた噂の内、密輸は事実だった。それなら敵対者を暗殺したり、盗賊を雇って領民から略奪していたという話だって、ありえないとは言い切れない。


 もしそうなら、それらを実行していたのが誰だったのか。


 辺境伯はミナの立場に付け込み、幼い彼女の心に誤った義務感という毒を吹き込んで、言いなりになる道具に仕立てたのだ。


 許される、ことじゃないぞ。


「しかし、既に当家は貴様たち第四層避難民の面倒を見るような立場ではない。貴様がどんな汚れ仕事を担っていたにせよ、人に知られるワケにいかないのは父上も同じだ。脅迫のネタにはならん。それなのになぜ貴様は、いまだおめおめと父上に従っている?」


 ふつふつと感情を煮立たせる俺とは対照的に、ダグラスは冷静に疑問を口にした。


 そういえばさっきから、自分の父である辺境伯が密輸やら汚れ仕事やらを主導していたというミナの主張に、ダグラスは一切反論していない。

 自身も一枚噛んでいたというワケでもなさそうだし、彼の性格なら怒りのまま否定してもよさそうなものだけど……?


「……取引、したのよ」


 疑問を抱く俺を他所に、ミナは囁くように言った。


「私が危険を冒して第五層からあいつの財産を取ってくれば、それで戦士団を増員して、第五層を取り戻して……第四層を解放する手助けをしてくれるって……!」


 その言葉に、みんなが息を呑む。ダグラスもだ。


 それはかつてダグラスがやろうとしていたこと。それを財力に任せて行おうというのだろうか?

 ミナは、本当にそれが叶うと信じている――それほどに領主家の責任というものが、彼女を追い詰めているのか?


 だとすると、俺はやはりドゥーラン・グァバレアを許すことはできなさそうだ。


 未だ会ったこともない男に対する憤怒が最高潮に達しようとしていた、まさにその時。


「これはこれは……」


 辺境伯の邸宅に続く道から、纏わりつくような男の声が聞こえた。


「儂の名前が聞こえたので来てみれば……随分と面白そうな話をしているな? んん?」


 靴底を地面に擦りつけるように歩き、闇の中から姿を現したのは、太った身体に紫のガウンを纏った禿頭の男だ。


「父上……!」


 そう呟くダグラスの声で、その男の正体を知る。


 奴がドゥーラン・グァバレア。ミナを苦しめる、諸悪の根源だ。

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