第37話 欠けた絆と怪しい奴
それからしばらくは何が起きることもなかった。
森で発見された
特に街に近づく様子もなく、見張りの冒険者が襲われるといったことも、今のところは起こってない。
辺境伯の動きを監視しているクラルゥからも特に連絡はなかった。
これについては俺たちも報告できるようなことは何も掴めていない。
ただあの後、元第五層グァバレア領の住民という何人かに聞き込みをしてみたところ、辺境伯は第六層に避難してきた後、自分の子飼いの職人たちをハーヴォルド領のあちこちに働きに出させたという話を聞けた。
ミナやリナの話だと一時的に孤児の世話をしていたりもしたらしいし、人気取りのために仕事の世話をしたということなんだろうか?
できればミナの意見も聞いておきたかったけど、それは難しい。
ミナがハーヴォルドを離れてから一二日。
未だに彼女は戻って来ていない。
今日も俺はムルを伴ってハーヴォルドの斡旋所にやってきた。
状況が変わらないといえば、ダグラスの嫌がらせも相変わらず続いているけど、よく辺境伯家の戦士団はこんなことにつき合ってるなと思う。
もはやダグラスたちが処理しきれない依頼が掲示板には溢れているので、何も困らないんだけど。それでも割のいい依頼を取られてるみたいで、ちょっと釈然としないのは確かだ。
そんなことを考えながら、斡旋所の扉を潜る。すると――
「あっ……」
「むっ……貴様っ……!」
なんとダグラスと鉢合わせてしまった。
直接顔を合わせるのは、先日の一件依頼だ。
今日も護衛の騎士をひとりだけ伴い、大量の依頼を受注しに来たんだろう。騎士の手には分厚い依頼書の束が抱えられている。
っていうか彼が自分でここに足を運んで、手続きに来てたのか。意外とマメだな。
「えーと、しばらくぶりだね?」
正直、気まずい。
個人的には積極的に敵対したいワケじゃないんだけど、ダグラスの表情からは、向こうはそう思ってないことが伝わってくる。
「ふん、ここ数日斡旋所に足を運んでいるが、貴様の顔は見なかった。怖気づいて俺から逃げ回ってるのかと思っていたぞ」
俺だって毎日ここに来てたよ!
あんまり顔を合わせたくなかったのは事実だけど。
「……ひとまずここを潰してみんなを戦士団に入れる話は、なくなったみたいでホッとしたよ」
俺は護衛が持つ依頼書の束を見ながら言った。毎日これだけ斡旋所の依頼を受けているんだ。さすがにもう潰そうなどとは考えてないだろう。
と軽い気持ちで口にした言葉だったけど、ダグラスは顔をゆがめて俺を睨みつける。なんだ?
何か気に障ったみたいだけど……。
俺が怪訝そうな顔をすると、すぐに取り繕うような嘲笑を顔に貼りつけた。
「考えを改めたのさ。あんな腰抜け共を雇ったところで何の役にも立たんからな。貴様もだ、ウォル・クライマー。せいぜい魔獣の攻撃を避ける壁にしかならん」
「え、なんで急に褒めたりするのさ気持ち悪い……」
「なぜ今のを褒められたと思ったんだ気持ち悪い!」
失礼な。今のは間違いなく誉め言葉だったのに。
同意を求めるようにカウンターにいたルイナさんに視線を送る。けどさっと目を逸らされてしまった。あれー?
「まったく怪しい奴め。聞けば数日前にこの街へ来たばかりだというし、冒険者など身元もわからん浮浪者も同然。それを戦士団で雇ってやろうなどと、俺もどうかしていた」
む。その言い方は他の冒険者にも失礼じゃないか?
ミナがなかなか戻ってこないのが心配で、俺も少しピリピリしていたのかもしれない。
普段ならそんな悪口程度は受け流すんだけど、気づいたらつい言葉が出てしまっていた。
「……怪しい奴といえば、辺境伯家にそんなのが出入りしてるって噂があったね。君は何か知らないかな?」
「ほう……俺に探りを入れているつもりなのか?」
ダグラスは俺の挑発とも取れる言葉を真正面から受け取り、俺たちは互いに睨み合う。
後ろではムルがおろおろする雰囲気が伝わって来たし、ダグラスの向こうでは護衛の騎士が「やれやれ」という感じで首を振っていた。
もう一度戦ったところで負ける気はしないけど、今のは俺の態度が悪かったのも事実。
前回とは状況が違う中、貴族を相手に騒ぎを起こすのは、さすがにまずいかもしれない。
格好がつかないけどここは俺から退くべきだ。
そう思ったところで、意外にもダグラスが「はっ」と笑って緊張を解いた。
「その恐れを知らん蛮勇に免じて、無礼な態度は大目に見てやる。ああ、当家に出入りする『怪しい奴』だったな――あるぞ。心当たりが」
「えっ?」
思ってもみなかった答えに間の抜けた声が漏れてしまう。
てっきり「貴族を侮辱しているのか?」とか言って怒りだすかと思っていたのに。
これにはルイナさんも驚いた様子だ。
「……誰なのさ、その心当たりって」
いかにも「質問してみろ」と言わんばかりに思わせぶりなダグラスの態度は気になったけど、ここは尋ねないワケにはいかない。
案の定、ダグラスはニィッと意地の悪い笑みを見せた。
「何。この街の城で暮らし始めてから、本来なら城にいるはずのない分不相応な奴を城内で何度か見かけてな。父上のところへ出入りする怪しい奴とは、十中八九そいつのことだろう」
もったいつけるような話しぶりと、芝居がかった肩をすくめる仕草にイラっとしたけど、ここで感情的になっても仕方がない。
その態度でダグラスが誰の名前を挙げようとしているのかは予想がついた。
俺は黙って彼の言葉を待つ。
「……この前、貴様といた小娘――リナには姉がいるのを知っているか?」
「ミナでしょ。もちろん知ってるよ」
「知っているなら話は早い。俺や戦士団が城で見かけた怪しい奴とは、そいつだ」
……やっぱり。
何も知らなければ、俺を怒らせるための嘘だと思ったかもしれない。
けど俺自身、その可能性は既に頭にあった。
こうしてダグラスからも証言を得たことで、予想が確信に変わる。
辺境伯の邸宅と森を行き来している『怪しい奴』とは、ミナのことだ。
「……なんでミナが辺境伯と会ったりしてるのか、知ってる?」
今すぐにでもミナを探しにバナンへ走りたい気持ちだったけど、まだだ。
まだダグラスから情報を引き出せる。
彼は俺が疑いもせず、すんなり受け入れたことを少し不信に感じたみたいだったけど、構わず話を続けた。
「さぁな。情婦の座でも狙ってるんじゃないのか?」
嘲るような言葉だけど、嘘じゃないだろう。
こうも簡単に喋ったのは彼自身、ミナが城で何をしているのかまでは知らないからだ。
何かまずいことをしてると承知しているなら、いくら俺を挑発するためとはいえ他人に話したりはしないはずだ。
ダグラスは自分の言葉が俺の心に突き刺さったのを確信している。
その上でさらに挑発的なことを言って、俺をいたぶってるつもりになっている。
つまり、調子に乗っている。
落ち着け。今大事なのはこのボンボンの顔面を殴りつけることじゃない。
「そういえば、辺境伯は以前孤児の世話をしてたんだってね。ミナやリナもしばらくそこで面倒を見てもらってたとか」
辺境伯とミナとに繋がりができたとすれば、きっとその時だ。
はたして彼女が何をやっているのか……また、なぜ辺境伯に従っているのか、何らかの糸口を見つけたい。
そう思ってダグラスから少しでもヒントを得られないかと訊いてみたんだけど――
「ふん、何だそれは?」
ダグラスから返って来た答えは予想外のものだった。
「あれ? 防壁崩壊の後しばらく、親とはぐれた孤児を集めて屋敷に住まわせてたって聞いたんだけど」
俺が改めて尋ねると、みるみる内にダグラスの顔が怒りで赤く染まっていく。
「何を言っているんだ、貴様。貴様も我らを、民も領地も財も投げ出してこの地へ逃げて来た臆病者だと嘲いたいのか? 『やっとの思いで逃げて来た当家にそんな余裕はなかった』……俺の口からそう言わせるのが狙いか?」
俺を睨みつけるダグラスの拳が、激情でわなないていた。
とても嘘とか演技には見えない。
言われてみれば、二年前の防壁崩壊で住まいを追われたのは辺境伯も同じだ。
それでも平民よりは恵まれた環境にいたとはいえ、人気取りのために孤児を集めて面倒を見るなんて、それこそ自身の生活をよほど切り詰めでもしない限りは無理だろう。
この街で話に聞く辺境伯の人物像とは、とても結びつかない。
「いや、そんなつもりはないよ。ミナたちが言ってたんだ。防壁崩壊の後しばらく、辺境伯の屋敷に住んでたって」
ひとまず、必要以上に熱くさせてしまったダグラスを宥めるように弁明する。
彼はそれに心当たりがあったのだろうか。「ふん、そのことか」と何かに納得して、とりあえずは怒りをひっこめた。
「貴様が何を勘違いしているのか知らんが、当家で孤児を預かっていたなどという事実はない。……あの父が自分の財産をそんなことに使うものかよ」
最後の一言はどこか苦しそうにつけ足された。まるで自分自身の不満を吐き出したみたいだ。
「じゃあ、ミナたちが辺境伯の屋敷でお世話になってたっていうのは?」
「……それは事実だが、俺はあの二人と自分以外に屋敷で子供を見かけた覚えはない。まあずいぶん昔のことだから、はっきりとは憶えていないがな。今考えればおそらく……当時の使用人か誰かの子供だったんだろう。奉公人の子供を屋敷に住まわせるのは、珍しいことではないからな」
「ちょ、ちょっと待って!」
今のダグラスの話に、ひとつ決定的におかしな点がある。
「ずいぶん昔って何さ? 二年前の防壁崩壊からすぐことでしょ?」
そう。第五防壁の崩壊はたった二年前の出来事だ。
ずいぶん昔なんて言い方も変だし、はっきりと憶えていられないほど過去じゃないだろう。
だけど俺の問いを受けたダグラスは、俺に負けないほど怪訝そうな表情を見せた。
「……本当に貴様は、さっきから何を言ってるんだ? あの二人が当家にいたのは…………いや」
そう言うと、何かに思い当たったように言葉を続ける。
「防壁崩壊の後といえば、そうだ。あの二人が当家に来たのは一〇年前……第四防壁が突破されてしばらく経った頃だった」
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