第32話 潜入任務と意外な再会
モルドガッドの街の中心部、小高い丘の上に位置する荘厳な城。
領主の居城、グランヴェンシュタイン城だ。
その城を取り囲む城壁のごく一部が、音もなく消去される。
「……少し思ったんだけど」
《壁消去》で空けた人ひとり分程度の通り道を潜りながら、ミナが疑問を口にした。
その全身は黒いフード付き外套に包まれ、顔も布で隠している。
俺とムルも同じ、盗賊スタイルだ。これじゃダグラスのことを笑えないな。
「あなた、壁と話ができるのよね? こうやって消された壁は、痛いとか苦しいとか言ってこないの?」
「う~ん……言われたことないかな? 壁は痛がったりしないからね」
壁は強いのだ。
それにすぐ直すから大丈夫。ムルも城内に入って来たのを確認して、即席の入り口を《壁修復》で塞いだ。
辺境伯の周辺を調べることにした俺たちは、陽が沈むのを待ってグランヴェンシュタイン城に忍び込んだ。
潜入調査に当たるのは俺、ミナ、ムルの三人。
本当は俺ひとりでやるつもりだったんだけど、そう提案したところミナが強硬に自分もついて行くと主張したのだ。
調査には反対してたから少し意外だった。
だけど帳簿みたいな証拠を探すにあたって、人手が多いのはありがたい。
ミナがいくならとムルも同行することになって、結局いつもの三人で行動することになった。仲間と一緒じゃ《壁透過》での脱出はできないけど、まあ問題ないだろう。
「ルイナさんによると、中央の城郭を挟んで右側の館が辺境伯に貸されている邸宅らしい」
「ここからだと少し開けたところを通りますね……」
ムルが言う通り、ここから目的の建物までは小さな庭園を突っ切る必要がある。見張りの姿は見えないけど、城に建つ塔からいつ何時、誰に見られるとも限らないのは危険だ。
「《壁擬態》」
俺が念じると、城壁から辺境伯邸へ続く道に薄い壁が現れた。
だけどその壁は目に見えない。
まるで逆側の景色をそのまま壁に描いたように、向こうが透けて見えているのだ。
ただしそこに動くものは映らない。この壁の背後を移動すれば、逆側にいる誰かに姿を見られることなく辺境伯邸まで行き来できる。
「完全に犯罪用スキルね。覗きにでも使うのかしら?」
「まっ、魔獣に気づかれないよう近づくためのスキルだよ……!」
たぶん。
実際に今、犯罪まがいのことに使っているからあんまり強く反論できない。
小声でそんなやり取りをしつつ、辺境伯邸へと到達する。
もちろん擬態に使った壁もすぐに消去しておくのを忘れない。
「ねえ、壁に辺境伯の怪しい動向を訊くことってできるのかしら?」
「壁に? うーん……」
確かにミナが言う通り、壁が帳簿の内容や辺境伯と「怪しい奴」の会話を教えてくれるなら、話は簡単だ。
でも世の中、そんなに上手い具合にはいかない。
「壁はあんまり複雑なことを憶えるのは苦手みたいなんだ。訊き出せるのはせいぜい、そこに『こういうものがあった』とか『こういう人がいた』くらいで……人同士の会話や文章を俺に伝えたりは、難しいと思う」
感覚としては、言葉を覚えたばかりの幼い子供と話しているのに近い。
要領を得ないことも多いし、訊けば何でも素直に教えてくれるワケでもない。
実際、俺はムルを見つけた古城でも壁にいろいろと尋ねてみた。
でも彼ら彼女らから具体的な情報を得ることはできなかった。
クァリヴァイン地下墳墓の件は、俺たちの目的が壁から得られる情報を活かせる類のものだったから有効に働いたのだ。
もう少し詳細を聞き出せるならトラップに引っかかったりもしなかったはずだし。
あと、ああいう普段人の来ない場所の壁は結構おしゃべり好きで、こちらが何も訊かなくても色々なことを話してくれる。
「あっそ。もしそれができたら楽だったのに残念だわ」
そう言うミナの声には、言葉とは裏腹に全然感情がこもってない。
……というか、気のせいかな? 少しホッとしてるようにも感じたけど……。
「それで、ここからどうしましょう? ひとまず中に入ってみますか?」
俺の疑問を他所に、ムルが尋ねる。
ミナの態度が気になったけど、ひとまず今は調査の方に集中した方がいいかな。
「だいたいのお城やお屋敷では一階に一番多く警備を置くものだし、辺境伯の私室とか書斎があるならきっと最上階だよ。見て」
俺は頭上を指さす。最上階、四階には大き目のテラスが備え付けられていた。
「あそこまで登ってから中に入ろう」
《壁装飾》を使って、館の外壁に登りやすい突起をつける。
俺とミナはその突起を足掛かりに壁を登り、ムルは自信がなさそうだったのでテラスに辿り着いてからロープで引き上げた。
四階に全員が揃う。
近くには窓もあるけど、ほのかに魔灯石の明かりが漏れている。覗きこむような真似はしない。
「先に様子を見てくるから、二人はここで待っててね」
いきなり《壁消去》で穴を開けて、中に人がいたらアウトだ。
俺はより隠密性の高い《壁透過》で外壁をすり抜け、館の内部へと足を踏み入れた。
入ってすぐの部屋は、かなり広い空間だった。
魔灯石の明かりは頼りなく、あまり視界は良くない。
少し奥へと進むと、どことなく空気が湿っている感じがした。
それに足元……屋内なのに地面が濡れている……?
これは――
「!! 誰です!?」
異質な空間に気を取られていて、気づくのが遅れてしまった。
部屋の奥、俺からは少し離れた場所に誰かが立ってる! 女性の声だ。
っていうか――
「はっ――!?」
裸だった。
四角く切り取られた地面。そこに満ちた湯気が立ちのぼるお湯。
そこから立ち上がった女性は雫滴るその身に何も纏っていない、生まれたままの姿だったのだ。
「こ、ここは……まさか」
浴場だ――っ!?
ほの暗い浴場で対峙する俺と全裸の女性。
暗くて顔は見えないけど、どんな表情で俺を見てるのかは考えるまでもない。
女性はすぐさま腕で隠した胸いっぱいに息を吸い込んだかと思うと、
「まずい――!」
俺は咄嗟に浴場の出入口――当然、屋敷内に続く方だ――を厚い壁で塞いだ。
「誰かっ!! トゥルーアーっ!! クセモノですよーっ!! 誰か来てっ!!!」
間一髪。
女性が大声で叫ぶ。けど、その声は壁や床に跳ね返されて浴場内に反響するだけ。
屋敷内に響いたりはしていない。
「むっ……!」
それに気づいた女性はそれ以上声をあげるようなことはせず、俺を警戒したままじりじりと横に移動する。
その先にあるのは、衣服が入った籠だ。
「ま、待って! 落ち着いてほしい……君に危害を加えるつもりはないから……!」
俺は両手を上げて敵意が無いことをアピールしようとした。
けどこの状況だ。
「そんなのっ……信用できるワケないじゃないですかっ!!」
ですよね!
女性は素早く籠に手を差し入れると、何かを取り出した――かと思った次の瞬間、そのまま俺に向かって突進してくる!
完全に予想外の行動だった。
彼女が振りかぶった手に何か光るものが見えて、俺は咄嗟に剣を抜き、それを受ける。
金属がぶつかり合う音。彼女が手にしていたのは、小ぶりのナイフだ……!
「ふっ!」
女性は手を休めることなく連続して突きを繰り出す。
こちらとしては怪我をさせるつもりはないので、剣で反撃はできない。右に、左に身体をかわして刺突から逃れる。
どうしよう? 何とか隙を突いて昏倒させるしかない……?
素早く考えを巡らせる。現状ではそれしかなさそうだ。
そうと決めれば一撃を入れる機を狙いたいところ――
――なんだけどこの人、強い!
先ほどから突き出される刺突は素早く正確に急所を狙ってくる。
相手の武器はナイフ一本なのに、避けるだけで精一杯だった。
なかなか反撃の隙を与えてくれない。
それだけ彼女自身の技量が高いのだ。
そしてもうひとつ、俺を不利に追い込む要因があった。
首を狙って振りぬかれる刃をかわしながら、それに目を落とす。
で、でっかい――!! そんですごい揺れてる!!
攻撃に移ってから、女性は惜しげもなくその裸体を晒していた。
彼女の激しい動きに合わせて、特に豊かな一部分がぶるんぶるんと左右に踊る。
それをどうしても目で追ってしまうせいで、なかなか相手の動きを追えないのだ!
だって仕方ないじゃん!! 男の子だもん!!
「どこを見てるのか――まる分かりです、よっ!!」
そんなことを考えていた矢先、目の前の女性が深く身を沈めた。途端、足に衝撃を受けバランスを崩す。足払いだ!
重心を大きく崩された俺は、抵抗できずに尻餅をついた。彼女はこの隙を逃さず、沈めた身を素早く伸ばして突進。俺に向かってナイフを突き出して来る――!
まずい!
「かっ、《壁作成》!!」
「えっ、きゃっ!?」
回避できないと判断するや、俺は咄嗟に彼女の腰を取り巻く形で壁を作りだす。
ミナにやったのと同じ、壁による拘束戦術だ。
狙い違わず、女性は壁の穴にはまって身動きを封じられていた。
女性のピンと伸ばした手に握られたナイフは、俺の眼前ギリギリで止まっている。
危ない所だった――
俺は意識せず止めていた息を一気に吐きだした。
「な、なんですかコレっ!? 壁ぇ!? ちょっと、抜けないっ……!」
壁によって自由を奪われた女性は身をよじって逃れようとするけど、平たい体形のミナだって抜けられなかったんだ。
彼女が拘束から逃れる手段はない。だって大きいもん。色々と。
「おっと……」
壁から抜けようと四苦八苦する彼女の動きに合わせて、魅惑的に揺れるそれから視線を逸らす。
ひとまずこれで一安心だ――
――と安堵する間もなく、突然浴場の窓を覆うガラスが砕け散った。
「何があったの? 無事っ!?」
窓から姿を現したのはミナだ。
さっきの女性の叫び声。それに剣戟の音は彼女たちがいるテラスには届いていたんだろう。それで緊急事態を察して突入して来たんだ。
その気持ちはありがたい。ありがたいんだけど――
「なっ……!」
俺のすぐ傍で一糸纏わぬ姿のまま拘束されている女性。
それを目にしたミナは、凍りついたように足を止めた。
ゆっくりと俺の方に向き直る。顔は隠れてるけど目が笑顔だ。怖い。
「あなた……よっぽどそのプレイがお好きなようね……?」
「違う違う!」
ゆらりと短剣を手にするミナを、必死で制する俺。
「誤解するのも仕方のない絵面だけど、これは止むを得ない状況だったんだよ! いきなりナイフで襲い掛かって来たんだもん!」
と壁で拘束した女性を指さす。
けどよく見るとその手には何も握られていない。いつの間にナイフを手放したんだ!?
「いやーっ、助けてっ! 犯されますーっ! 私何もしてないのにぃーっ!!」
「へぇえ? ナイフなんて持ってないみたいだけど……?」
「ちょっとーっ!?」
白々しく叫ぶ女性の言い分を聞いて、ミナが俺に改めて問いかける。
洒落にならないからホントにやめてほしい。そっちがその気ならナイフをどこに隠したのか、詳しく身体検査しちゃうぞ!
ちょうどその時、雲に隠れていた月が顔をだしたのか、破られた窓から月光が差し込んだ。
その光が、女性と俺の姿を照らす。
「あれ?」
女性から、何かに気づいたような声があがった。
視線をやれば彼女は俺の手……その指にはまった指輪を見ているようだ。
金のリングに黒い円盤状の宝玉がついた指輪。
これは森で、あの子にもらった――
「貴方まさか……ウォルさんなんですか?」
「へっ?」
突然名前を呼ばれて、間の抜けた声を出してしまった。
俺は月明りに照らされた彼女の顔をまじまじと見る。
「……クラルゥ?」
そこにあったのは二週間ほど前、フォルガドネの森で出会った少女騎士の、これ以上ないほどに困惑した顔だった。
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