第30話 不穏な再会と森の異変

 俺たちがハーヴォルドの街に来てから二週間ほどが過ぎた。


 そのあいだ、俺たちはほぼ毎日ミナと一緒に斡旋所の依頼をこなしていた。


 ダグラスの嫌がらせはまだ続いていたけど、日々増える依頼の量に対応できていないんだろう。斡旋所に掲示される依頼書の数は日に日に増えていき、今では俺たちを含めた冒険者がひとまず困らないだけの量にまでなっている。



 そのように何もかもが順調に進んでいたある日。


 俺たちは討伐任務でフォルガドネの森を訪れていた。


「持ち方はこう、逆手にするといいわ」

「こう……ですか?」


 既に依頼された討伐数をこなし終えての休憩中。

 ミナがムルに短剣を持たせてその使い方を教えている。


「あなたたちの場合、基本的に敵はウォルが抑えてくれるはずだけど、万が一近づかれた時のことも考えて、ムルも接近戦に対応できた方がいいと思うわ」

「そうですね。短剣なら弓を持ったまま片手でも使いやすいです」

「短剣は長剣に比べて攻撃力が劣るけど、防御力に優れてるのよ。ムルはかなりレベルが高いし、呑み込みも早いから使い方を覚えればすぐ上達するわ」


 といったやり取りをしながら、短剣を手にしたムルに構え方や基本的な立ち回りを説明するミナ。

 彼女の言う通り、ムルはすぐに短剣の扱いをマスターしたみたいだ。ほんの数分のレクチャーのあと、ミナが訓練として投擲したナイフ――もちろん刃は潰してある――を、すべて打ち払うほどの上達ぶりである。


「すごいよムル」


 俺が褒めると、ムルは例によって「照れてしまいます……」と赤くなる。


「もしかしたら、接近戦でもウォルより強いかもしれないわね?」


 ミナがニヤニヤしながら俺に水を向けた。

 ホントにあり得そうだからやめてほしい。


 少なくとも肉体補正値ではボロ負けしているので、技術で追い抜かれたら俺に勝ち目が無いのは確かだ。


 ムルは慌てて「そんなことないです! ミナ様、言いすぎですよ!」とフォローしてくれている。

 でもその表情は、ミナに褒められてすごく嬉しそうだ。




 そんな森からの帰り道。


「《壁爆破》!」


 そこそこ巨大な壁を爆発させて、周囲にいた中型の蛙型魔獣、ハングリートード数体を一網打尽に打ち倒す。

 辺り一面が壁の破片によって抉られるけど、俺たちは別の壁の後ろにいるからへっちゃらだ。


 でも……。


 今日はやたらと魔獣に出くわしてる気がする。。

 それも奇妙なことに、どの魔獣もある特定の方向から現れるような……?


「なんだか様子が変じゃないかしら……?」


 ミナも違和感を覚えているみたいだ。

 ムルも、戦闘は終わったけど弓の弦に添えた手を放していない。臨戦態勢のままだ。


「森で……何が起こってるんでしょう?」

「わからないけど……さっきから魔獣が来る方向が同じだ。もしかしたらそっちに何かあるのかも?」

「……少し調べてみる?」


 ミナの問いに、少しだけ判断に迷う。


 もちろん、本当なら危険なことは避けて帰還するべきだ。

 でも魔獣の活発化はモルドガッドでもバナンでも、ハーヴォルドでも噂になっていた。

 万が一、重大な異変が起こっていたとすると、その害はフォルガドネに近い街にも及ぶ可能性がある。


 できることならそれは避けたい。

 そう思えるくらいには、俺たちはハーヴォルドの街やそこで暮らす人々、斡旋所で顔を合わせる冒険者たちに親しみを感じていた。


「……そうだね。ちょっとだけ魔獣が来た方に向かってみようか」


 俺の言葉に、ミナもムルも迷いなく頷いた。



 魔獣たちが現れる方角。

 それは奇しくもモルドガッドの方角であり、ムルを見つけた古城がある方角でもあり――数日前、あの猪型が現れた場所がある方角でもある。


 あの時は本当に死を覚悟した。


 別に場所に対するトラウマがあるわけじゃないけど、森の異様な様子と合わせて考えると嫌な予感がぬぐえない。


「なんだかどの魔獣も、まるで何かから逃げて来るみたいでしたね」


 というムルの言葉に、俺も同意する。


 人を見れば襲い掛かってくる魔獣。だけど人以外を襲わないというワケじゃない。

 その被害は森に住む獣、川や湖を泳ぐ魚、そして同じ魔獣にまで及ぶ。


 魔獣は魔獣同士で戦うこともあるのだ。


 だからもし、先ほどまで遭遇してきた魔獣たちが何かから逃げてきたのだとすれば――それは、より強力なの存在を意味している。


 このところ森の外にまで魔獣が移動してきていることも、そう考えれば辻褄が合う。


「! 見て、あれ」


 ミナが遠くの一点を指さす。

 木々の隙間から僅かに見えるのは、人だ。


 人が二人、木の陰に隠れて反対側にある何かを見ている。


「あれは……スレインさんとユリアさんですね」


 ムルが言う通り、顔見知りの二人だった。

 ただ、大声で呼びかけたりはしない方が賢明だろう。


 俺たちは少し足を速めて二人のいる場所まで近づいた。


「スレイン、ユリア」

「! ウォル……!? 脅かすなよな……!!」


 二人はよほど木の向こうに意識を集中していたのか、かなり小声で話しかけたにも拘らず肩を跳ね上げさせて驚いた。


「ごめん。こっちから魔獣が逃げてきたのを見て様子を見に来たんだ」

「ああ、俺たちも同じだ。見ろよ、あれ……」


 そう言ってスレインは大樹の向こう側を顎で示す。


 俺、ミナ、ムルの三人はそっと木の陰から顔を覗かせた。


 視線の先、かなり離れてはいるけど木々がなぎ倒され場所。

 そこにひとつの、大きな影が動いているのが見えた。


「――あれは……!!」


 思わず声が漏れた。


 見上げるような巨体。前に突き出た牙。鎧のような硬質な皮膚に覆われた額と前脚。

 そこにいたのは、まぎれもなくあの猪型だ。


 前に遭遇した個体よりさらにひと回りほど大きい。その猪型が地面に顔を擦りつけるようにして、別の魔獣――あれはスタークスベア。そこそこ大型の熊型魔獣なのに猪型の近くにいるとまるで鼠みたいに見える――の死骸を喰らっている。


 前方に伸びる牙が、食事をするのになんとも邪魔そうだ。


「何あれ、あんな魔獣見たことないわよ……?」

「怖い……」


 ミナたちもその異常な姿に愕然としているみたいだ。


「ウォルたちが来てくれたのは心強いけど、さすがに戦って勝てそうな相手じゃないよな?」

「うん、やりあうのは危険だ」


 正直に言って、成長した《壁作成》でもあいつに対抗できる壁を作れる気がしない。


 あの古城まではまだ距離がある。逃げ回りながらそこまで誘導していくのはさすがに不可能だろう。

 前回と同じ手が使えない以上、今あの猪型に狙われれば俺たちの命はない。


「なら決まりだな。奴がメシに気を取られてる内に――逃げるぞ」


 スレインの言う通りだ。全員が頷き、足音を忍ばせてその場を離脱した。




 ハーヴォルドの街に戻った俺たちは、真っ先に斡旋所で猪型の件を報告する。


「正面に牙が伸びた大きな猪型の魔獣?」


 俺たちの話を聞いたルイナさんは少し青ざめた様子で「ちょっと待っててね」と言い残し、ぱたぱたとカウンターの奥へと引っ込んでいった。ものの数分で戻って来た彼女の手には、分厚い本が抱えられている。


「その魔獣ってこれじゃなかった?」


 そう言って本を開き、あるページを見せるルイナさん。

 どうやらその本は魔獣の目録らしい。姿を描いた挿絵と、特徴などが書かれたメモが添えられている。


「それです。間違いありません」


 そのページに描かれていたのは、間違いなくあの猪型の姿だった。

 名前は槍猪パイクチャージャー。俺はあの時に初めて見たけど、既知の魔獣だったのか。


 項目を目で追っていく。体長は最大で二五メートル。さっき見たやつよりさらに大きな個体もいるということだ。重量最大一八トン。生息地――

 その目録に書かれた生息域に関する情報を見た俺は、思わず目を丸くした。


――――――

人類領域第二層南部、同第四層全域、同第五層北部

――――――


 目録には後から次々と情報が追記されているようで、新しく足された記述の傍には、それを追加した日付が書き込まれている。


 同第四層全域、同第五層北部。その情報の横に書き込まれた日付は去年のものだ。

 その時はもう第五防壁までが突破されていた。


 つまり、ここに記されている目撃地はどれも既に魔獣に蹂躙された地。

 最終防壁フロントラインの向こう側だ。


 本から視線を外してルイナさんを見る。彼女は俺の言わんとすることを察しているのか、神妙に頷いてそれを告げた。


「この魔獣は本来、獣侵領域に生息している種類のはずよ」


 ルイナさんの言葉に、その場の全員が驚愕の表情を見せたのは言うまでもないだろう。


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