第26話 絶壁と嫌がらせ

 朝。


 ハーヴォルドの宿屋で寝ていたミナは目の前にあった頭を抱き寄せ――違和感に気づいた

 リナの頭にしてはちょっと大きい。髪も短い?


「――んなっ!?」


 自分の胸元を見おろして驚いた。

 別のベッドで寝ていたはずのあの男が――ミナの細い腰に手を回して抱きついていたのだ。


「あなたはまたっ……!」


 この男、また破廉恥な真似を……!


 今度は不幸な事故なんて言い訳は許さない。

 昨晩もしれっと裸になれなんて強要してくるし、どれだけ見境がないの――?


 ちなみに昨日は結局、外出用の服を着たまま寝ることにした。リラックスできないし、寝てる間に折り目がついたり皴になったりするから普段はやらないけど、この男の前で裸になるよりマシだ。


 そのせいで欲求不満だったの!? でもだからって、人が寝てるあいだにこんなことを――!!


 即刻、変態の脳天に肘鉄をお見舞いして引きはがすべし。

 早速実行しようと腕を振り上げて――ミナは再び違和感に気づいた。


「あれ……寝てる?」


 その男、ウォル・クライマーはミナに抱き着いたまますうすう寝息を立てていた。

 だらしなく緩んだ頬を少しだけ引っ張ってみても、反応がない。

 狸寝入りじゃないみたいだ。


「寝ぼけて自分のベッドを間違えたの……?」


 なんて間抜けな奴。夜中に用を足すか水を飲むかするために起きて、そのまま帰る先を誤ったのだ。


「まったく、仕方ないわね……」


 振り上げていた腕をそっと下ろし、腹のあたりに顔をうずめるウォルの寝顔をまじまじと見つめた。


 特に精悍というワケでもなければ頼りがいがありそうにはまったく見えない。

 どこにでもいる普通の青年だ。


 でも彼はミナを助けてくれると言った。

 一緒にパーティを組んで、ミナが故郷に行く助けになりたいと。


「……変態のくせになにカッコつけてるんだか」


 ウォルの頭をそっと撫でながら、そんな言葉がこぼれる。

 まったく頼りないけど、その言葉はまっすぐで、それが少し嬉しかった。


 両親を失って以来、頼れるものなどいなかったミナに、頼っていいんだとそう言ってくれた気がして――


「って、何考えてるのかしら」


 ミナは頭を振ってその考えを追い払う。


 一瞬、ほんの一瞬だけ、ウォルたちとパーティを組んで故郷を目指すのも悪くないと思ってしまった。


 でも、それは許されない。


 自分の手はもう汚れている。

 そんな穢れた女と一緒にいては、いつかウォル自身にも迷惑をかけてしまうだろう。


 何より、一度仲間だと信頼した相手に見放されるのは、最初からひとりでいるよりつらい。


 だから、ひとりでいいのだ。

 辛くとも、苦しくとも、この道を選んだのは自分自身なのだから。



 と、朝から暗くなっても仕方ない。

 いい加減、この状況から抜け出さなくては。


 そう考えたミナはウォルを軽く揺すって起きるよう促した。


「ねえ、ちょっと? 起きてくれない?」


 でもウォルはよほど深く寝てるのか、起きる気配がない。

 それどころか――


「う~ん……」

「ひゃっ!?」


 軽く身じろぎしたかと思うと、あろうことかミナの胸に顔をうずめてきた。


 コイツ……!


 と怒りが再燃しかけたけど、ここは我慢。悪気があるわけじゃない、単に寝ぼけているだけなのだ。


 そう自分に言い聞かせるミナだったけど――


「ねえ、ちょっといい加減に――」

「ふふふ……」


 ミナに抱き着いたまま、ウォルは幸せそうに笑う。


「これはいい壁だ……」

「…………」


 よりにもよって胸に頬ずりしながらのセリフに、ミナの自制心はあっけなく崩壊したのだった。



□壁□壁□壁□壁□壁□



「いだっ!?」


 顔面に走った激痛に、思わず声が漏れた。


 いきなりの出来事に状況が上手く呑み込めなかったけど、徐々に鮮明さを増していく視界いっぱいに漆喰壁が広がっていた。。


 どうやら、壁に顔からぶつかったみたいだ。なんで?


「ふん。目が覚めたかしら?」


 その声に顔をあげると、ミナがベッドの上から不機嫌に俺を見下ろしている。

 どうやら彼女に投げ飛ばされたみたいだ。

 なんで俺のベッドにいるの……?


 朝からの理不尽な仕打ちに悪びれた様子もなく、ミナはつんとして部屋を出て行ってしまった。




 結局、昨晩ミナと話し合った結果、宿も同じで否応なく顔を合わせることになるのだからと、しばらく行動を共にすることになった。

 ミナは嫌そうにしていたけど、断るとこれから毎日、帰るたびに俺からの勧誘があると思ったんだろう。しぶしぶといった様子で了承してくれた。

 実際、断られたら毎晩勧誘するつもりだったし。


 ともあれ、これがミナを説得するラストチャンスかもしれない。リナとの約束もあるし、頑張らないとだ。


 そう息巻いてミナ、ムルを伴い斡旋所までやって来た。

 ちなみに冒険者じゃないリナはお留守番だ。彼女は彼女でどこかの雑貨店で売り子の手伝いをしてるらしい。



 斡旋所へ入った俺たちはそこで思いもよらない事態に遭遇する。


「あれ……依頼がぜんぜん無い……!?」


 昨日まで壁いっぱいに張り出されていた依頼書の掲示がほとんど無くなっていたのだ。


「あ、ウォル君たち。いらっしゃい、驚いたわよね?」


 すぐにカウンターからルイナさんが声をかけてくる。


「これ、どうしたんですか? まさか本当に斡旋所が閉鎖されちゃうことに……?」

「ちがうちがう。あのお坊ちゃんにも言ったけど、辺境伯にはそんな権限ないもの」


 ルイナさんは笑って否定する。


「でも彼、昨日のことを根に持ってるみたいでね。今朝一番に来たかと思ったら冒険者向けの依頼を全部受けて行っちゃったのよ」

「全部!? さすがにそれは無茶なんじゃあ……」

「辺境伯家の戦士団に手分けしてやらせるみたいね」


 あ、そうなんだ。

 それでも昨日見た時点で依頼の数は相当なものだったけど……戦士団が何人いるのかしらないけど、手分けしたところで相当な手間なのは間違いないだろう。本来の仕事をほっぽり出させてまでやるつもりなのか?

 仕返しの嫌がらせでそこまでするとは、子供っぽい奴だ。


 でもこれは困ったな。


「依頼が一気に片付いてウチとしてはむしろ助かるんだけど……」

「冒険者は困りますね。これじゃ自分たちが仕事にありつけない」


 それは非常にまずい。


 一応、街中でやる工事の手伝いとか内職的な依頼が残ってはいるけど、そういうのは町人向けの仕事。


 冒険者の評価というものは良くも悪くも魔獣と戦う力がすべてだ。

 つまり、討伐とか素材のための狩猟とか、魔獣と関わる依頼でなければ実績にならない。


 そしてそれ系の依頼が軒並み取られていて実績を得られない。

 実績を得られなければ上級冒険者に上がることができず、俺の目的もミナの目的も果たせないと言うことだ。


「ちなみにお坊ちゃんが言うには、依頼の独占を止めてほしかったら昨日の犯人を差し出せって」

「まだ諦めてなかったんだ……」


 昨日の勝負で納得したと思ってたのに、あくまで犯人捜しは継続するらしい。

 嫌がらせかと思ったけど本命はそっちか。恐るべき執念だ。


 けどこれはどうしたものか。

 せっかくミナもついてきてくれたのに。


「ルイナさん、何か冒険者の実績につながりそうな依頼って残ってないですか? どうしてもミナにいいところを見せたいんです」


 そう懇願すると、ルイナさんは「あらあらあら。ウォルくんも男の子ね!」と嬉しそうに……いや面白そうに笑って奥へ引っ込んでいった。


「……あなた、本人を目の前にしてよくそういうこと言えるわね……」


 ルイナさんが席を外したところで、ミナが呆れたように……いや少し照れたように目を逸らしながら言った。


「ほ、本心だよ」


 さすがに俺も今の言い回しはどうかと思ったけどさ。


 ああ言えば他人の恋愛大好き女子のルイナさんは積極的に協力してくれると思ったんだ。嘘は言ってないし別にいいでしょ。


 ミナだけじゃなくムルも口元を手で押さえてちょっと恥ずかしそうだ。

 そんな二人の様子を見てると、俺まで恥ずかしくなってしまう。



「お待たせ、みんな。良さそうな依頼を持って来たわよ」


 しばらくして、ルイナさんがカウンターに戻って来た。


 その手には丸められた古そうな紙が握られている。


 カウンターに広げられたそれは、地図だった。まるで迷路のように曲がりくねって分岐し、時に交わる。これは――


迷宮ダンジョン?」

「ええ、そうよ。これはハーヴォルドから南南東に一日半くらい行ったところ……大渓谷を越えた少し先にある迷宮ダンジョン、クァリヴァイン地下墳墓の地図。あのお坊ちゃんたちも迷宮探索ダンジョンダイブにまわす人出までは無かったみたいね、そのまま残されてたわ」


 迷宮ダンジョンとは古い時代に使われていて放棄された遺構などに、魔獣が住み着いたものの総称だ。

 各地にいくつかあり、中には先人が残した貴重な道具や資料なんかが発見される場合もある。


 こうした迷宮ダンジョンの内部を調査するのも冒険者の代表的な仕事のひとつだ。

 でもそういった調査――迷宮探索ダンジョンダイブにはそれなりに長い時間を要する。それで動員できる人手が限られるダグラスたちは、手を付けなかったんだろう。


 でも――


「クァリヴァイン地下墳墓って、もう調査済みの迷宮ダンジョンじゃありませんでしたっけ?」


 その名前は俺も聞いたことがあった。地下数層に広がる迷路のような墓地で、発見されたのは数年前。もうだいぶ前に公式な調査は終了していたはずだ。


「よく知ってるわね。その通り、ここは一度調査済みで、めぼしい遺物は全部回収された迷宮ダンジョンなんだけど――最近、ここから出てきたスティルラットのお腹の中から古代魔石の欠片が見つかったの」

「古代魔石――!」


 古代魔石はその名の通り、古い時代に魔石化された宝石だ。現代のものより数段、込められている魔力が強い。

 貴金属や宝石をお腹にため込む魔獣、スティルラットが迷宮ダンジョン内でそれを食べていたということは……。


「クァリヴァイン地下墳墓にはまだ見つかっていない領域がある……?」

「そういうこと。それを探し出してほしいというのがこの依頼の内容よ」


 おおー!

 面白そうだ。


 迷宮探索ダンジョンダイブはそれ自体が実績にもなるし、俺たちにとって色々と好都合な依頼のはずだ。


「俺はこれを受けてもいいと思うけど、二人はどう思う?」


 説明を聞いた俺は、背後に控える二人に問う。


「私はウォル様がいいと思ったのでしたら、賛成です」

「まあ報酬額も十分だし、いいんじゃない?」


 二人も賛成のようだ。

 俺は彼女たちに頷きかけると、カウンターに向き直る。


「それじゃあルイナさん。この依頼、俺たちが引き受けます!」

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