第25話 負けのその後と貴族の事情

 ウォルたちが宿屋でひと騒動を経験していた頃。


 グァバレア辺境伯家の嫡男、ダグラスは領主から間借りしているハーヴォルド城内の邸宅から街を見ていた。


 彼が睨みつけるのはギルド連盟斡旋所のある辺りだ。

 昼間の屈辱的とも言える出来事は未だ記憶に焼き付いている。


 自分を臆病者と愚弄する大虚けが現れたばかりか、そいつを庇う冒険者にしてやられるという失態。


 領地の奪還というダグラスの目標を嗤う愚か者ども。そいつらが自分に勝ったと騒いでいる様子を想像するだけで腸が煮えくり返りそうだ。


 特に許せないのはあのウォル・クライマーとかいう男だ。

 無礼者を探す邪魔をしたばかりか、訳知り顔で他人の心の弱みに触れるような真似をした。あんな奴に自分の苦悩の何が分かるというのか。


「この借りは必ず返してやるぞ、ウォル・クライマーっ……!」


 夜の街を睨みつけながら、ダグラスは復讐を決意する。


 とそこへ――


「目を覚ましていたのか? ダグラス」


 ねっとりと、心にまとわりつくような声がした。

 振り向けば、肥えた身体に紫のガウンを纏った禿頭の男が、部屋の入口に立っている。


「父上……!」


 ダグラスの父、ドゥーラン・グァバレア辺境伯である。宝石がはまった指輪をいくつもつけた手で顎鬚を撫でながら、辺境伯は部屋の中に入って来た。


「街で騒ぎを起こしたそうだな? 斡旋所に行き、冒険者共とひと悶着起こしたとか? んん?」


 父の言葉にダグラスは顔をしかめた。

 彼が昼間の騒ぎをどこまで把握しているかはわからない。わからないが、辺境伯の言葉の端々にはダグラスを侮蔑するような響きが含まれている。


 だけどそれも仕方のないことだ。


 斡旋所を閉鎖させて、職に困った冒険者たちを戦士団へ入団させる。そしてそれを戦力として領地の奪還へと動き出すはずが、自分は最初の一歩で躓いてしまったのだから。


 自分は父の期待を裏切ってしまった。

 その誹りはあえて受けるべき罰だろう。

 ダグラスは素直に頭を下げる。


「申し訳ございません、父上」


 けれど次こそは――


「我らが領地奪還のため新たな戦士団の人員を徴集しに向かったのですが、冒険者連中の反抗に遭い実現できず……。しかし明日、改めて――」

「余計な真似をするでない」


 辺境伯はダグラスの弁明を遮り、言い捨てた。


「――は?」


 その一言に、ダグラスは下げていた頭を上げて父の顔を見た。


 今、何と言われた? 余計な真似?


「ち、父上。今なんと……?」

「余計な真似をするな、と申した。そなたがどんな振る舞いをしようと知ったことではないが……獣侵領域となった領地の奪還? はっ、そのための金をどこから出すと言うのだ?」


 辺境伯の言葉がダグラスを貫いた。


「それは――領地を追われた身とは言え、我らにも多少の貯えはございます。それを切り崩せば――」

「くらだん。それで領地の奪還が成らなければ大損だぞ? 損得の均衡を欠いた無駄な博打だ。そんなことに我が財を浪費するとでも思っているのか、愚か者め」


 信じられない気持ちだった。

 領主として奪われた領地の奪還を目指すのは当然のこと。そう信じる気持ちは父とて同じだと思っていたのに――彼は領地と財産を天秤にかけて後者を選ぶというのか?


 確かに、先立つものがなければ領地奪還が成らないのは事実だ。失敗すれば財を失うのも考慮すべきリスクではある。


 でも……余計と申されたのか? 無駄だと言われたのか? 領地の奪還は損得で考えるべきことなのか?


「お言葉ですが、先日私の考えを……冒険者を徴集する件をお話しした際には、父上も反対されなかったはずです……!」

「そんなことがあったか? 大方酔った席での話だろう」


 違う。その話をした時は酒など飲んでいなかった。


 確かに父の耳に入れ、彼は返事をしていたというのに。

 自分が領地奪還に意気込みをかけ話していたことを、耳に入れていなかったということか?

 ただ適当に相槌を打っていただけだというのか。


「そんなことよりも、だ」


 辺境伯はダグラスの気持ちなど一切関係ないといった様子で話を続ける。


「今そなたとハーヴォルド家令嬢の縁談を進めている。あの娘が領主の地位を継ぐとは思えんし、首尾よくゆけば次代の領主は儂の孫となるだろう。ぐふふっ……この豊かな領地が儂のものになるということだ」


 そう言って邸宅の窓から街を指し示す。

 彼の目にはある種の妄執とでも呼ぶべき妖しい輝きが見て取れた。

 それは今は失った領地に対するものじゃない。


「だというのに、無駄に金を使って領地の奪還を試みる必要がどこにある? 魔獣どもに食い荒らされた領地など忘れてしまえ。考えてもみろ、あと少し……あと少しの辛抱でまた贅を尽くした暮らしに戻ることができるんだぞ?」


 彼が見ているのは、かつて自分を取り巻いていた優雅で驕奢な生活だ。


「……こちらへ避難してきた元領民の中には、故郷の地へ帰りたがっている者もいます。戦士団も、いつか領地を奪い返す日が来ると信じているからこそ当家に忠誠を尽くしているのです。そんな彼らの気持ちはどうなりますか?」

「気持ちなどで飯は食えんだろ? 下々の無学な連中はそれがわからんから貧しいのだ。もちろん、そなたは違うであろうな? んん?」


 ダグラスの訴えを、辺境伯は躊躇いなく切って捨てる。


 悔しさと屈辱感で父の顔をまともに見ることができない。

 俯いたままのダグラスを見た辺境伯は、その不満を感じ取っているのかいないのか、大きなため息をつく。


「ふん。その様子では戦士団は解散させた方がよさそうだな。そなたの玩具として与えるには、連中は金がかかりすぎる」


 それを聞いたダグラスははっと顔をあげる。


「彼らは防壁崩壊後もずっと我らに尽くしてくれた忠臣ですよ!?」

「黙れ。そなたが領地奪還などという絵空事に気を取られるのも連中がいるためだろう。金を食うばかりか害悪となる連中などもういらぬわ。身辺を警護する数人だけがおればよい」


 辺境伯は面倒くさそうに手を振りダグラスの言葉を止めさせた。


「万が一、ハーヴォルド伯爵が反抗してきた時に備えて手元に残しておいたが、今の様子ではそれも必要なかろう。奴は立場というものを理解しているようだ……文句ひとつ言わずに儂の言うことに従いよるわ。ぐふふっ――」

「しかし――!」


 と言いかけたところで、頬に強い衝撃を受ける。

 父に平手で打たれたと気づくのに、少し時間を要した。


「今そなたが気にかけることは、これ以上問題を起こさぬことだ。先に話した婚姻話……それを断る口実を伯爵に与えるような真似は、厳に慎め。例えば――冒険者に決闘を申し入れた挙句、無様に敗北するようなことはな」


 その言葉に、ダグラスはぎりっと奥歯を噛み締める。

 やはりそのことまで知られていたのだ。


「貴族としての資質を疑われたらどうする? そなたは何もせず、儂の足を引っ張らぬことだけ考えよ」


 それだけ言い残すと、辺境伯は巨体に相応しい足音を立てて部屋を後にした。

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