第22話 貴族の誇りと消えない後悔

 俺の攻撃はダグラスの意識を刈り取るまでには至らなかったようで、彼はすぐに起き上がろうと地面に手を突いた。


 もちろん《鎧化》を使っていたからそこまで酷いことにはなっていないけど、衝撃によって激しく咳きこんでいる。


「大丈夫? 結構思い切りやっちゃったけど」

「きっ――さま――!!」


 そう言って手を貸そうとしたけど、ダグラスは差し出された俺の手を即座に払いのけた。

 そのまま立ち上がったものの、それだけでいっぱいいっぱいという様子だ。足元がふらついている。


 けどその目はさっき以上の敵愾心に燃えていた。


「……もうやめたほうがいいと思うけど」

「ふざ、けるなっ!! こんなっ、この程度で勝った気になるなよ、冒険者ぁああああっ!!」


 獣の咆哮にも似た叫びをあげて、ダグラスが俺に突進してきた。


 でもそれは破れかぶれに過ぎる。

 さっきまでのような精細な技とは全然違う、デタラメに振り回される剣。


 俺はそれを冷静に捌いていく。


「貴様! 貴様! 貴様! 貴様ぁああああああああっ!!」


 滅茶苦茶に踏み込んでくるダグラスは、明らかに自分を見失っていた。


 これじゃすぐに体力も尽きる。呼吸もぜんぜん動きと合ってないし、そもそも大振り過ぎて避けるのは容易だ。


 だけど止まる気配はない。大勢の前で打ち倒されたことで、引っ込みがつかなくなり焦ってる?


 これはもう一撃入れて気を失わせるしかないか――


 あまりの支離滅裂さに俺がそう考え始めた、その時だ。


「俺は、俺はっ……逃げてなどいないっ……!」

「……!」


 剣戟の合間に、絞り出すようなダグラスの声が聞こえた。


「俺はっ……故郷を見捨ててなどいないっ……!」


 …………。


「俺は、臆病者などではないっ……!」


 剣と剣がぶつかり合う音が響く中、息も絶え絶えなその声はきっと、周りにいる人々には聞こえなかっただろう。


 だけど俺には届いてしまった。それは悲痛な叫びだった。


「落ち着いて。そんな状態で激しく動いたら肺を痛めるよ」

「黙れっ! そんなこと知るか……俺は、俺を臆病者と罵る奴を絶対に許さん……!」


 ダグラスの目は血走っている。

 だけどそれは怒りというよりは、まるで何かから逃れたくて必死になっている人のそれだった。


「俺は逃げてなどいない! 死など恐れるものか! あの時は偶々……何かの気の迷いだ! あの時っ、あの時っ!! ああああああっ!!」


 ひときわ大きく吼えたダグラスが、剣を背後にまで振りかぶる。

 そのまま、大きな弧を描いて身体ごと俺に斬りかかってきた。


 正直、隙だらけだ。

 避けるなり捌くなりして反撃の一太刀をいれることは難しくない。


 こんな精神状態でちゃんと《鎧化》が使えるのかは疑問だったけど、それならそれで彼を傷つけないよう、いくらでもやりようがあった。


 でも――


 逃げない。それは俺も同じだ!



 金属同士が激突する轟音が響く。

 俺はダグラス渾身の一撃を、剣で受け止めていた。


「……分かってるよ」

「――何っ?」


 鍔迫り合う剣が力と力の狭間で震える。その刃越しに、俺ははっきりとダグラスの眼を見た。


「さっきの技は凄かった。貴族が義務的に習うような剣術のレベルじゃない……。あれは、本気で戦うために鍛えられた剣だ」

「!」


 ダグラスの瞳が驚いたように見開かれた。


「それに防壁崩壊から二年間、何もしなきゃこの強さは保てないよ。たぶんずっと鍛錬を続けてきたんでしょ?」

「貴様っ!! 安い同情など愚弄に等しいぞ……! たかが冒険者風情に何が分かるか!!」


 激昂したダグラスが叫ぶ。

 でもその声はさっきまでの狂い叫ぶようなものじゃない。俺が訳知り顔で放った言葉に、彼自身の気持ちで怒りを燃やしている。


 そんな彼に、俺はニヤリと挑発的な笑みを返した。


「何も分かったつもりはないよ。巨神攻城兵ギガントノッカーの討伐をすっ飛ばしていきなり領地の奪還に動くなんてバカみたいだと思うし」

「なんだとっ……!」

「でもっ」


 言葉と共に、俺は一歩を踏み出し鍔迫り合いを続けていた剣を強引に押し込んだ。

 ダグラスはたまらず後ろへ引き、俺たちのあいだには再び距離が生まれる。


「何かに後悔して――二度とそんな思いをしたくなくて……だから自分がやるべきことから逃げたくないって気持ちは、分からなくはないかもね」


 そうだ。


 ダグラスは少し俺と似ている。


 実際のところ、彼が魔獣の恐怖に負けて逃げ出したのか、何か事情があってそうせざるを得なかったのかはわからない。


 でも、結果として彼は故郷を守れず、自分は生き延びた。それに変わりはない。


 そして、そのことを後悔している。後悔から抜け出そうと足掻いているのだ。


 一度はクライスたちを失望させて、その後悔から這い上がろうと藻掻いてる俺みたいに。


「君はやったことも、やろうとしたことも間違ってるし、許されないけど……その気持ちだけは間違ってなかったと思うよ」

「…………!」


 ダグラスは衝撃を受けたように固まっていた。


 周囲で見守る人々も、只ならぬ雰囲気を感じたのか、しんと静まり返っている。


 しばらくのあいだ、俺もダグラスも動く気配を見せなかった。


 ただ風に飛ばされる木の葉だけが、唯一その場で動くものだ。


 それからどれくらい時間が経っただろう――


「貴様」


 ダグラスが沈黙を破って声をあげた。


「名を名乗れ」

「……ウォル・クライマー」

「ふん、間の抜けた名だ」


 なんだと! いい名前だろっ!


 という心の中の抗議を他所に、ダグラスはびしっと俺を指さした。


「いいか、よく聞けウォル・クライマー。貴様のような冒険者ごときが知った風な口を利くな。まして冒険者風情が俺に説教たれようなどと、烏滸がましいにも程がある」


 その言葉と共に、ダグラスが剣を構える。勝負の初めに見せたような、洗練された構えだ。


「……まだやるの?」

「当然だ。俺は負けていない。お前風情に負けるはずがない」

「あっそう……」


 めんどくさ!


 でもその言葉とは裏腹に、ダグラスからは最初に滲ませていた見下すような雰囲気が無くなっていた。

 代わりに、もっと純粋に勝負にこだわるような、勝ちを取りに行く真剣味のようなものが感じられる。


 仕方ない。

 俺も応じるように剣を握りなおした。


 俺とダグラス、二人の視線が交差する。


 じり、と靴裏で石畳を舐める音が聞こえた――その瞬間。


「はあああああっ!」


 先に動いたのはダグラスだ。

 例によって刺突。ただ明らかに俺の左側に狙いをズラしている。


 剣で受けるか、右に避けるか。


 俺が選んだのは回避だった。そのままダグラスの懐に飛び込み、剣の柄で体の正中線を穿つべく振りかぶる。


 ――が、


「!? 動けない……!?」


 俺の上半身が固まったように身動き一つ取れなくなっている。


「はっ、かかったな!」


 高らかに勝ち誇るダグラスの声。

 視線を落とせば、彼は左手で俺の上着を掴んでる。これは――!


「他人の服も《鎧化》できるのか……!」


 左手だけグローブをつけないで無防備に晒していたのはこのためかっ!


「これで……終わりだっ!!!!」


 突き出していた右腕を引き戻し、そのまま俺に向かって振り下ろす。

 上半身は《鎧化》されてるので、彼の狙いは俺の左脚だ……!


「くっ……《壁作成》!」


 そう念じると同時に、地面から薄いレンガ壁が出現する。

 俺とダグラスのあいだに作られたその壁は、伸び上がる勢いでダグラスの両手を弾いた。


「なんだとっ!?」


 壁を挟んで対峙する俺たち。でもその壁は小さく、互いの姿を隠すくらいの大きさしかない。すぐに回り込むことが可能だ。


 ダグラスは一瞬迷うだろう。俺が現れるのは右からか、左からか。

 ほんの僅かなあいだ、彼の意識は左右に分かれる。


 でもどちらでもない。


 答えは――


「真ん中だああああああっ!!」

「なにぃぃいいいいいいい!?」


 壁のど真ん中を透過して姿を現す俺に、驚愕の声をあげるダグラス。


 俺はそのまま下に構えていた剣を振り上げる。先端には例の石材ハンマーつきだ。


 完全に意識外からの攻撃。剣での防御は間に合わない。


 その一撃は狙いを違えずダグラスの顎を撃ちあげた。


「ぐっ――!?」


 彼の身体が宙に浮く。


 頭の布は常に《鎧化》されてるはずだけど、この衝撃は鎧越しでも脳を揺らして意識を刈り取るのに十分だろう。


 はたして、そのまま石畳に倒れ伏したダグラスが起き上がって来る気配はない。


 ここまでだ。


「俺の勝ちだよ」

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