第20話 横暴貴族と侮辱の罪
斡旋所が閉鎖される――そうなると冒険者である俺たちがこの街で糧を得ることが難しくなってしまう。
文字通りの死活問題だ、どうしよう?
と内心で焦る俺を他所に、ルイナさんは営業スマイルを崩さない。
ここが閉鎖されたら彼女だって路頭に迷うはずだけど……?
「ダグラス様。この斡旋所はハーヴォルド領主である伯爵家、バドゥル様によって運営される、彼の持ち物です。いくら御父君……辺境伯といえども、伯爵のご同意なく閉鎖する権限はございません」
あ、そうなの?
「ふん。今は伯爵が王都へ召喚され不在だから、下命されずにいるだけだ。彼が戻り次第、父上から正式な触れを出すよう手を回させるさ」
え、そうなの?
確かに辺境伯と伯爵なら、前者のほうが偉かったはず。
だけどここハーヴォルドの領主は伯爵のほう……って待てよ? 辺境伯の方が偉いのに彼は領主じゃないの??
ん、ていうかグァバレアって確か――
「グァバレア辺境伯家はもともと壁の向こう、第五層の一帯を治めていた領主。二年前、第五防壁が破られた時にこっちに逃げてきた」
「あ、やっぱり? 聞いたことある名前だなって思ったんだ」
「ん。彼はその辺境伯家の嫡男、ダグラス・グァバレア」
隣にいたリナがこっそりと教えてくれた。
要するに領地を追われて逃げてきた先で、立場を振りかざして威張ってるのか。
しょうもないなぁ……。
ちなみに第五層というのは第五防壁の背後に守られた領域のことだ。
今いるここは第六防壁に守られた、人類領域の第六層ということになる。
領地の外からやってきた貴族。つまりここの領主にとっては客人にあたるんだろう。
客人だけど領主より位の高い貴族。さぞ扱いに苦労しそうだ。
ルイナさんも気づかれない程度にため息をついている。
お疲れ様です。
「そもそも、この斡旋所を閉鎖してどうなさるおつもりなんですか?」
それでも笑顔で粘り強く対応するルイナさん、尊敬します。
男、改めダグラスはそんなルイナさんの態度をどう受け取ったのか、
「知れたことだ――」
と得意げに言い放つと、そのままカウンターに上って立ち上がった。土足で。
「仕事を求める冒険者、傭兵、それ以外も戦える者は全員、我が辺境伯家の戦士団に入団させる! そして――我が領地、グァバレア辺境伯領を汚らわしい魔獣どもから奪還するのだ!!!」
…………。
………………。
……………………。
声高らかに宣言されたダグラスの言葉に、館内は水を打ったように静まり返る。
多分、みんな思ったことは同じだ。
魔獣から領地を奪い返す。とはつまり、少なくとも第五層の魔物を大部分駆逐した上で、第五防壁を再建するということだ。
それは百年以上前に第一防壁が破られた時からの、人類の悲願。
彼に言われるまでもなく、この時代を生きる人間なら誰もが望む、ひとつの到達点だ。
けど。
「領地の奪還……? できるわけねーだろ、そんなこと……」
と、館内の誰かがぽつりと言った。
そうなのだ。
歴史上、一度獣侵領域となった領地から魔獣が駆逐された例はひとつもない。
獣侵領域の魔獣は強力無比。
防壁自体は一部に穴が開いてるだけだし、それを塞ぐことは不可能ではないのかもしれない。
けど、それも周囲の安全が確保されていればの話だ。
魔獣を領内から排除して、壁の穴を防衛しつつ、それを再建する――少なくとも、いち領主が集めた私兵の集まりに容易くできるようなことじゃない。
今誰かが言ったように、それだけ遠い目標だった。
それに、順序が違う。
上級冒険者たちが危険を冒してまで
それは
人の領域と獣侵領域を隔てる「王の壁」は、一見ただの石壁だけど、実際は既知のどの物質とも異なる未知の素材で作られている。
王の壁はこの世のどんな壁より強固であり、どれほど強力な魔獣もその壁面に傷ひとつつけることはできないとされている。
唯一の例外が
だからその巨大な鎧姿が世に現れることは、俺たち人類にとって最大の厄災、最大の脅威、最大の恐怖の瞬間が訪れたことを意味するのだ。
これまで記録にある中で、確認されている
内三体はそれぞれ、当時の人々の決死の覚悟と、夥しい犠牲の上に討伐された。
残るは二体。
クライスたちを始めとする上級冒険者たちの最大の使命は、獣侵領域のどこかに潜む
その筋道を作ることにあるのだ。
けれど言いかえれば、
だからダグラスの語る目標は、今はまだ時期尚早。
冒す危険に対して、成功の見込みも、成功の意義も薄い、夢物語以下の無謀な試みだ。
この場にいるダグラス以外の誰もがそれを分かっていた。
だからダグラスの話を聞いて、そこかしこでざわざわと異口同音の声があがった。
「無茶だ」「無駄だ」「無謀だ」
いくら冒険者でも、そんな試みに付き合って無駄にする時間もお金も命もない。
ましてや、そんなことのために斡旋所を閉鎖されたのではたまったものじゃないだろう。
ざわめきが抗議の声に変わるのに、そう時間はかからなかった。
「そんなこと付き合ってらんねぇよな」
「斡旋所が閉鎖されたら明日から飯が食えんわ」
「したら別の街いくかー」
「街の人も大迷惑なのでは……?」
「!! ……腑抜け共め、お前たちは人の手にあるべき地が魔獣に侵されているのが、悔しくはないのか……!?」
館内で唯一、ダグラスだけが熱を持った声を張り上げる。
「その手で敗北の歴史を止め、新たな時代を切り拓く英雄になりたくはないのか!? 臆病者共!」
「つーかさ」
ダグラスの大声とそこいら中のざわめきのなかで、けれどその声はいやにハッキリと響いた。
「お前こそ自分の領地を捨てて逃げてきた臆病者だろ?」
その瞬間、館内は再びしんと静まり返る。
俺にもわかる。嵐の前の静けさだ、これ。
「……誰だ」
沈黙を破ったのは、怒りに震えるダグラスの声。
「誰だっ!? 今俺を臆病者と罵ったのはっ!!!? 誰だっ!!!?」
思わず耳を塞ぎたくなるくらいの大声だった。
ダグラスはカウンターから飛び降りると、立ち尽くす冒険者たちをジロリと睨みつける。
当然だけど「はい、私です」なんて答える人はいない。
誰もが沈黙を続ける中、ダグラスは怒りに鼻息を荒くして、ひとり、またひとりと冒険者たちの前を歩いては相手の顔をねめつけた。
けれどやがて呼吸が整ってくると、「はっ」と嫌な笑いを浮かべた。
ちょうど、魔法使いのような装備の、力の弱そうな女性冒険者の前に来た時だ。
「お前だな? 俺を侮辱したのは」
「えっ?」
突然そう叫んだダグラスは、女性冒険者の腕を掴んで引き寄せると、近くにあったテーブルに組み伏せる。
「きゃあっ!?」
いきなりの出来事に女性冒険者はなすすべなく押し倒され悲鳴をあげた。
あいつ――!
さっきの声は誰がどう聞いても男性のものだ。
だからその子が犯人なはずがないのに!
ダグラスはそんなことはお構いなしで腰に帯びていた剣を抜くと、動けない女性冒険者の、自ら抑えつけている手――その指の根元に当てる。
「――ひっ!?」
「貴族を侮辱した罰は指の切断刑と決まっている。覚悟はいいな?」
「ダグラス様、何を――」
「受付嬢風情が口を挟むなっ!!!!」
抗議しようとしたルイナさんの声が、ダグラスの怒声でかき消された。
「おい、待て! さっきのは明らかに男の声だっただろうが! ユリアは関係ないだろ!?」
人の群れの中から踏み出してきたのは、弓手系の男。多分、拘束された女性冒険者の仲間なんだろう。
彼は抗議しながらダグラスに近づくけど――ダグラスはすぐに女性冒険者から剣を逸らし、近づいてきた男の喉元に突きつけた。
たまらず男の歩みが止まる。
「ならば、言ったのはお前か?」
「ち、違うが――」
「ならばやはり、この女だな。そうだ、他に名乗り出る者がいないならこの女に違いない」
「いやっ……違います!! 私じゃありません!! 放して!!」
女性冒険者は恐怖に慄き、死に物狂いで拘束から逃れようとしている。
これは人質だ。
ダグラスももちろん、自分が抑えつける彼女が犯人じゃないことくらい分かってる。
分かっていて……誰もが濡れ衣だと理解している中で、あえて彼女をいたぶっているんだ。
名乗り出ないとこの女がどんな目に遭うか分からないぞ。
彼は言外にそう言ってる。
「他に心当たりのある者は? 犯人を知らせるだけでもいいぞ!」
そう叫んで周囲を見渡すものの、やはり誰も声をあげる人はいない。
そのまま数秒、誰かが名乗り出るのを待っていたけど、やがてダグラスは女性冒険者に視線を戻して「では、やはりお前で決まりだ」とその指元に狙いを定める。
「いやっ……いやっ!! やめてっ……誰か、誰かあああああ!」
「黙れ。もし冤罪だと言うなら、自分に罪を着せた者を恨むんだ……な?」
と、ダグラスは怪訝そうに自分の腕を掴んでいる相手、つまり俺を振り返った。
「……何だ貴様は?」
「もうやめなって。その子が犯人じゃないことくらい分かってるでしょ?」
俺は剣を持つダグラスの腕を掴んだまま、そう話しかける。
途端、ダグラスは素早く俺の手を振り払って手にした剣を俺の眉間に突きつけた。
こっちもそんなにしっかり力を入れてたワケじゃないけど、かなり機敏で正確な動作だ。
「では、先ほどの言葉は貴様か?」
ダグラスが問う。やっぱりどうあってもこの場を収めるつもりはなさそうだ。
仕方ない。
「じゃあ、そういうことでいいよ?」
「……何?」
俺が軽く両手を上げながらそう言うと、ダグラスは眉を顰めた。
さっきの声はもっと低く、俺の声とは明らかに違ってたから、彼も内心で俺じゃないことは分かってるんだろう。
それでも自分だと認めた俺の行動に不審なものを感じている。
「つまり、指はいらぬということか? 分からんな、ゴミのような冒険者でも自分の身体は大事だろうに」
「大人しく指を切られるつもりはないよ。だいたいホントは俺じゃないって気づいてるんでしょ?」
そう言い返すと、ダグラスは押し黙った。
彼の目的はあくまで自分を侮辱した犯人を見つけることだ。
実際のところ、明らかに犯人じゃないと分かってる俺や、そこの女性冒険者の指を切り落としても、何の意味もない。
どころか、それをやったら真犯人を見つけることができないまま、この場は手打ちにしなければならなくなる。
それは彼の敗北だ。
すべてはダグラスの駆け引きだった。真犯人に自ら名乗りださせるための、あるいは周囲の人間から証言させるための。
だから俺みたいに怯まないで相手をしてくる人間は、彼にとってさぞ邪魔なことだろう。
まあ、ただの腹いせでホントに指を切られる可能性も無くはないけど。
お互いに押しても引いてもどうにもならないこの状況。
先に痺れを切らしたのはダグラスの方だった。
「愚かしいにも程がある。お前がやっていることもまた、我がグァバレア家を侮辱する行為だ。断罪されるべき愚か者を、庇っているのだからな」
おっと、そうきたか。
「別にそういうつもりはないよ。そこの無関係な人が巻き込まれるのを見てられなかっただけだ。俺がかばってるのはそっちだけど、その人も『断罪されるべき愚か者』なの?」
「くだらん屁理屈を垂れるなっ!」
激昂して言い返してくる。結構痛いところを突いてると思うんだけど。
とダグラスは俺に突きつけたままだった剣を引き、鞘に納める。
意外なことに手を引くのか――と思ったけど、どうやら違うみたいだ。
ダグラスは指で斡旋所の出入口を指し示すと、好戦的な笑みを浮かべる。
「表に出ろ。貴様に身の程というものを教えてやる――!!」
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