第8話 森の古城と謎めいた少女

 俺は女の子が磔になっている壁に近づく。

 目のやり場に困るけれど、この異様な状況による緊張感の方が勝った。


 その子はぴくりとも動かない。でも石像や精巧な人形なんかでは決してない。

 まして死体にしては血色が良すぎる。


「ねえ君、大丈夫……?」


 呼びかけても返事はない。恐る恐る手を伸ばして、彼女の頬に触れてみた。


 さらりとした髪と柔らかな肌の感触は、確かに人間のものだ。

 その上――


「息はしてないけど温かい……!? やっぱり生きてるんだ!」


 出入口どころか窓すらなく、最後に人が出入りしたのは何年……何百年前かもわからないような古城。

 その中で見つけた、生きている人間。


 果たして彼女は何者なのか、どうしてここで磔になっているのか。


 考えることは色々あるけど、ひとまず助け出すのを優先しよう。


 俺は彼女が埋まっている壁に目をやった。


 ここの城壁や俺が作るそれとはまったく違う、光を反射しない真っ黒な単一の素材でできている。

 塗られているわけでもなさそうで、その正体はわからない。


 そっと手を近づけると――


「何これ、触れない……!?」


 するり、と霧か煙にでも触れたように手が埋まってしまった。

 何とも言えないぞわりとした感覚に襲われ、慌てて手を引っこ抜く。


 触れないなら、なんでこの子は埋まったままなんだろう?


 少しためらいはあったものの、女の子の両脇に腕を差しこみ、抱きしめるように背中へ手を回す。

 彼女の髪に鼻先をくすぐられて面はゆい。


 そのまま引き抜けないか試してみたけど、結果はダメだった。

 あまり強い力で引っ張ったりしたら怪我をさせてしまう可能性もある。別の方法を探したほうがよさそうだ。


 と、そこで少し閃いた。


「これならどうだろう。《壁消去》!」


 黒い壁に手のひらを向け、スキルを発動させる。

 すると――


「うわっ!?」


 黒い壁は一瞬だけ強く発光しかたと思うと、次の瞬間には空間に溶けていくように消えてなくなった。


 解放された女の子の身体がこちらへ倒れてくる。


 その瞬間、ずっと閉じていた彼女の瞳が薄く開かれた。

 焦点が合わないように虚空を映していたその瞳が、俺を捉える。


 女の子は驚いたような表情を見せ、けれどすぐに笑みを浮かべた。

 瞳の端には涙が浮かびあがる。


「やっと――やっとお会いできましたね……――――様……!」


 彼女は囁くように何かをつぶやく。


 そして彼女の真正面にいた俺は、一連の出来事に驚いていたこともあり――


「うわ!?」


 押し倒されるように尻餅をついてしまった。


「いったぁ……!」


 諸共に倒れこんでしまったけど、しっかり抱きかかえていたのでこの子に怪我はない。


 解放された女の子は、壁に埋まっていた半身も人間のそれだった。


 肩あたりで揃えられたまっすぐな髪は純白で、この辺りではまず見かけない。


 小柄で軽いその身体を仰向けに寝かせる。

 少し幼さが残る綺麗な顔。長いまつ毛に縁取られた目は、相変わらず眠るように閉ざされたまま。


 さっき一瞬だけ目を覚ましたように見えたのは、気のせいだったのかな……?


 確かに俺を見て、何かを口走った気がしたんだけど。


 ほとんど聞き取れなかったこともあって、あれが現実の出来事なのか、少し自信が持てなかった。


 ひとまず、正体は不明だけれど仮にも女の子だ。

 いつまでも裸のままにしておくのは忍びないので、俺は外套を脱いでその子の身体をおおう。丈は短いけどとりあえず身体は隠せるだろう。


 その時にふと気づいた。

 胸が上下している。いつの間にか息をしてるんだ!


「ねぇ、君。起きて――ねぇ大丈夫?」


 肩を支えて軽く揺すっても反応はない。


 どうしようかな……。


 他の部屋も調べてみたかったけれど、何が潜んでいないとも限らないこの場所に、この子をひとりだけ寝かせておくのはまずい。


 だからといってこの子だけを封鎖した部屋に置き去りにしたら、もし目を覚ました時に驚くだろうし、不安な思いをさせてしまうかもしれない。


 仕方ない。


 俺は女の子を抱きかかえると、最初に入ってきた部屋へと戻ることにした。

 ちなみに、試してみたところこの子を抱えたままだと《壁透過》はできなかった。


 それから空気の通り道だけ残して《壁作成》で出口をふさぐ。

 女の子を床に寝かせると、自分もその隣に横になって目を閉じた。


 今日一日、色々なことがあって肉体的にも精神的にも疲労していたせいか……

 驚くような出来事があったばかりにもかかわらず、意識は急速に眠りへと沈んでいった。




 翌朝。

 といっても真っ暗な城の中だから、正確な時間はわからない。


 俺は誰かに揺さぶられるような感覚で目を覚ました。


「あの……起きていただけますか……?」

「う~ん……?」


 目をこすって見上げると、あの女の子が起きている。


「! よかった、目を覚ましたんだ」


 横になったまま声をかける俺に、その子はきょとんとした反応を示す。

 どうも俺の言葉の意図が分からなかったのか、その目には戸惑いが感じられた。


「すみません、ここはどちらでしょう? 私、どうしてこんなところにいるのかわからなくて……」


 そう言いながらすっくと立ちあがり、周囲を見回す。

 そんな不安げな様子に、まずは落ち着くよう優しく声をかけてあげようとしたけど――


「ぶっ!? は」


 彼女は丈の短いマント状の外套一枚を羽織っただけの格好だ。

 しかも俺は寝たまま彼女を見上げる体勢だったものだから、広がった裾から外套の中が見えてしまった。


 慌てて視線を逸らす。

 が彼女もそのことに気づいたのか、一瞬はっとした表情を見せて裾を押さえると、「あぅぅ……」と顔を真っ赤にして、少し離れたところにぺたりと座りこんでしまった。


 大丈夫! 《壁発光》の明かりだけだったからからそんなにはっきり見えてないよ!


 なんて言い訳は通用しないだろう。


 俺はどもり気味に「ご、ごめん……!」と謝罪を口にしながら起き上がった。


 彼女は彼女で「いえ……お見苦しいものを……すみません……」と消え入りそうな声を出してうつむいてしまう。


 こういう時、そんなことないよ綺麗だったよと言うのが正解なんだろうか?


「と、ところで君、何も憶えていないの?」


 俺は彼女に昨晩の出来事を話して聞かせる。

 出入口のない城、その中でたったひとりだけ見つけた人間、すなわち彼女が謎の壁に磔になっていたこと。


 ところが彼女は何を話しても目を丸くして、首をかしげるばかり。

 状況がまったく呑みこめていない様子だった。


 そればかりか――


「じゃあ、君はどこに住んでて、普段は何をして暮らしているの?」

「それは……すみません、わからないです……」


 と、自分自身のことすら曖昧にしか憶えてないらしい。

 演技という感じもしないし、これはあれだ、記憶喪失というやつかな?


「だとすると相当やっかいだぞ……」

「ごめんなさい……」


 ……しまった、声に出ていた。


 彼女は落ち込んだようにしゅんとしてしまう。


 いけない、今一番不安な気持ちでいるのはこの子だっていうのに……。


 さっきから俺が訊くことに満足な答えを返せず、その度に彼女は泣きそうになりながら申し訳なさそうに「すみません」「ごめんなさい」と繰り返している。


 記憶が無くたって、人格まで無いわけじゃない。

 きっと元々臆病というか、自信がない性格なんだろう。

 森で会ったクラルゥとは真逆だ。


 そんな彼女に矢継ぎ早の質問を浴びせた挙句、厄介者みたいな言い方をしたら、ますます委縮させてしまう……そんなのあたり前だ。


 俺は軽く頭を掻いて、改めて彼女に向かい合う。

 それからなるべく優しい声で落ち着かせるように話しかけた。


「いろいろ訊いてばっかりでごめん。そういえば自己紹介もまだだったね……俺はウォル。ウォル・クライマー。冒険者だよ」


 そう言ってそっと頭を撫でる。


「もしよかったら、俺と一緒に森を出ない? 君についてはわからないことだらけだけど、こんな所に一人で残していくワケにもいかないし……」


 正直、彼女には謎が多すぎる。


 けど悪い子には見えないし、上手く言えないけど俺には彼女を見つけて解放した責任があるんじゃないだろうか。


「それに、俺にも君が自分のことを思い出す手伝いをさせてほしいんだ。色んな所に行って色んなものを見たりすれば、もしかしたら自分のことも思い出してくるかもしれない」

「……どうして」

「ん?」


 囁くような声がした。


「どうして私のために、そんなことをしてくださるんですか?」


 そう問いかける彼女の目には、若干の警戒心が見られた。


 それはそうだろう。

 こんな古城の中で目を覚まして、自分のことを何も思い出せず、その上見ず知らずの相手から「一緒に行こう」なんて誘われても、不安しかないのだから。


 でも、彼女をここに残しておけないのも事実だしなぁ……。


 こういう時、クライスやマリンならすぐに仲良くなれるんだけど……俺やジオディンやスティーナはそういうのが得意じゃない。


 でもここには頼れる仲間はいない。

 俺だけなんだ。この子を助けられるのは。


 だから、逃げない。


「う~ん」


 考えたって良い案が浮かばないなら、自分の気持ちを正直に言うしかない。


 少し真面目な話になる。俺の雰囲気が変わったのを察したのか、彼女もやや緊張感を増したのがわかった。


 やや間をおいて、口を開く。


「実は俺、壁になりたいんだよね」

「はい……ハイ?」


 俺の夢が壮大すぎたせいか、目を丸くされてしまった。


「それで俺は冒険者になったんだけど、壁を目指すにあたって困ってる人は放っておけないっていうか。ほら、やっぱり壁は人を守ってこそじゃない?」

「ええと、そう……なんですね……?」


 よかった。そこは分かってもらえたみたいだ。

 それなら理解を得るまでもう一息!


「だから君のことも放っておけないんだ。まだまだ俺は壁とは言えないけど、それでも壁なら当然困ってる君を守りたいと――」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいごめんなさい……」


 両手を前に突き出しぶんぶん振って俺を制止する女の子。

 そのせいで外套の合わせが広がって中が見えてしまってるけど、それはあえて指摘しない方がよさそうだ。

 怪訝そうな色を増した彼女の表情を前に、そう判断する。


「もしかして、あんまり伝わらなかった……?」

「えぇと、はい……すみません……」


 なぜだろう?

 誠実に気持ちを話したら、返って警戒心を強めてしまった。

 さっきまでと警戒の種類が違ってる気がするけど、それは気にしないでおこう。


 俺はどうすればいいんだクライス……。


 そう語りかけても、頼れる勇者は最終防壁フロントラインの向こう側だ。


 クライスなら、あるいはマリンなら、どうしただろう?

 それは分からないけど、唯一言えるのは――


「つまりね? 俺の憧れてる人たちならこういう時、困ってる君を見捨てたりしないなーと思って……彼らは本当にすごい人たちで……」


 あああ、だめだ。

 焦って説明がしどろもどろになる。


「だから……俺も彼らみたいになりたいと思ってるんだ!」


 もはや勢いだけで喋っていた。これでは彼女をより不安にさせてしまうだけだ……!

 そう思ったけど、意外なことに彼女は何か得心がいった様子だった。


「え……それだけ……ですか?」

「そ、それだけ? いや、それだけと言われればそうなんだけど……」


 結構色々語ったハズなんですけど?


 ぐだぐだだったとは言え俺の熱い想いを「それだけ」で片づけられたことに若干のやるせなさを感じてしまう。


 けれど次の瞬間、彼女はこらえきれないという感じで、


「ぷっ……」


 と笑い声を漏らした。


「ふふふふ……あははははっ」

「ちょっとちょっと、何で笑うの!?」

「あ、すみません……でも何だか可笑しくて……ふふ」


 そう言って目の端から涙を拭う。


 そんなに面白いことは言ってない。言ってないよね?


「壁とか何とかよく分からないことを仰るのでびっくりしてしまいました。そういうことだったのですね」

「よく分からない……」


 ショック!


 俺が打ちひしがれているのを他所に、彼女はくすくす笑いながらすっと立ち上がると、俺の目の前までやってきた。


 そして少しためらいつつも、おずおずと俺の手を自らの両手で包む。

 指先だけで遠慮がちに、けれどぎゅっと手を握られる感覚。


 女の子は両手で握手する。憶えた。


「ウォル様にそうまで思わせる方――きっと素敵な人たちなんですね」

「……うん、そうだね。今は遠くにいるけど、いつかは追いつきたい俺の目標なんだ」

「……そうですか」


 そう言うと、彼女は一瞬だけ考え込むそぶりを見せ、


「私――私は――ムル。ムルです」


 そう名乗った。


 どうやら名前は憶えていたらしい。


「ウォル様のお気持ちはよくわかりました。何も憶えていない身でご迷惑をおかけしますが、私をウォル様の旅にご一緒させてくださいますか?」

「――もちろんだよ。よろしくね、ムル」

「……嬉しいです」


 繋がれた手を優しく握り返すと、ほんのりとした温かさが伝わってくる。


 彼女――ムルの正体が何にせよ、この感触と温かさは紛れもない人間のそれだ。


 今は、それでいいことにしよう。


「よろしくお願いします、ウォル様」

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