第6話 新たな出会いと拾った絆
不意に、全身に力が満ちていくような感覚が溢れてきた。
これは……レベルアップだ。
それもこれまで経験したときより、力が湧いてくる感じが強い。
巨大な猪型の魔獣を倒したことで、かなりのレベルが一気に上昇したようだ。
「それだけ強かったからなぁ。だいたい、この辺りじゃこんなの見たことないよ……」
俺は倒れたまま、猪型魔獣の残骸に目をやる。
大きさといい執念深さといい、これまで戦ってきた魔獣の比じゃない。
果たしてコレがどこからやってきたのか。
身体の一部でも持ち帰って調べればわかるかもしれない。
でも解体に必要な道具はないし、剣はさっき壊れてしまった。
諦めるしかないか。
「って、いつまでも寝てる場合じゃないな」
まだ森のど真ん中にあの少女騎士を放置してるんだ。
俺はぐっと体を丸めると、そのまま全身のバネを利用して跳ね起きる。
レベルアップの恩恵によって体力が回復し、怪我もある程度は治癒しているのだ。
スキルカードの確認もしたかったけど、今はあの子の所へ急がないと。
俺は先ほど転がり落ちてきた斜面を登り、少女騎士を残していった窪地へと向かった。
少女騎士は先ほどまでと同じ場所に、気を失ったまま倒れていた。
さっきから気づいてはいたけど、眠るように目を閉じる彼女の顔はとても整っていて、かなりの美人だ。
そしてさっきは気づかなかったけど、よく見れば着ている鎧は細かく装飾が施され、サイズも汎用品ではなく彼女に合わせて作られたように合っている。
かなり仕立てが良い品みたいだ。
ただの冒険者や戦士団員じゃなくて、どこかの貴族に召し抱えられている、それなりの身分の騎士なのかな?
肌も綺麗だし、長い赤髪はしっかり手入れされている様子からもそんな感じがした。
と、見とれてる場合じゃないな。
「君、大丈夫?」
「う……ん……?」
身体を揺さぶりながら話しかけると、ややあって少女騎士が目を覚ます。
よかった。無事と言っていいのかはわからないけど、命にかかわるような怪我はしていないみたいだ。
少女騎士はしばらく微睡むように目を瞬かせていたけど、ハッとその瞳が俺を捉える。
途端、突然がばっと起き上がった。
そして真っ先に着衣の乱れがないかを確認する。傷つくなあ!
「貴方はさっきの……? あのイノシシは……私はどうなったんです?」
「君は飛ばされて気を失ってたんだよ。大丈夫、あの魔獣は倒したから」
「倒した? あんなに大きな魔獣をあなたひとりでやっつけたんですか?」
「それはええと、まぁなんて言うか……」
実際には俺が倒したというより、あの城壁が倒してくれた――もとい、勝手に壁に激突して死んだだけなので言葉が濁る。
「そうでしたか――」
けどそれをイエスと受け取ったのか、少女騎士は居住まいを正して俺に向かい直した。
左手を自分の胸元に添え、僅かに小首をかしげてにっこり微笑む。
なんて言うか、上品な所作が洗練されてる感じだ……。
「危ないところを助けていただき、ありがとうございました。私はクラルゥ……えーっと、クラルゥとお呼びください。よろしければお名前を伺っても?」
「あ、ああ、俺はウォル。ウォル・クライマー。冒険者だよ」
「ウォル様、ですね」
お互いに名乗りあい、俺は握手のために手を差し出す。
すると少女騎士――クラルゥはその手を両手で掴み、ぐいと身を乗り出してきた。
息がかかるような距離まで顔と顔が急接近し、思わずのけぞる。
「あれほどの魔獣を倒せるなんて、とってもお強いんですね? 私、強い殿方って憧れちゃいますっ」
「え、あの、ちょっと……?」
さっきまでの楚々とした雰囲気から一転、勢いよく喋りだしたクラルゥ。
その様子に俺は少し面食らう。なんか急に雰囲気が変わったね!?
でも可愛い女の子に迫られて悪い気はしない。
耳のあたりが急激に熱を帯びるのを感じた。
「こんなところで貴方のような素敵な方に会えたのも運命ですね! あ、運命って信じてます? 私的にはあると思うんです。さっきウォル様が私の手を取って走り出した時に、びびびーっときたって言うか。もうこの人、私の運命の人確定!みたいな?」
おおおう、ぐいぐいくるな……。
この熱のこもったまなざし、異様に近い距離感、身体への接触のためらいのなさ。
これはあれだろうか。もしかして彼女は自分の命を助けた俺のことを好きになっちゃったのかな??
うーん、それは困った。ホントに困った。ウソじゃない。
……ってそんなワケないだろ!!
「――それでですね? 不躾かもしれないんですケドぉ、ウォル様にお願いしたいことがあるんです……聞いてくれますか?」
赤らめた顔をわずかにそらし、少し潤んだ上目遣いでこちらに視線を向けるクラルゥ。
その破壊的な可愛さに頭がぼんやりする。
……が、思った通り彼女は俺に何か要求があるみたいだ。
そのために俺を篭絡しようとしている。
これはあれだな。上品な所作が洗練されているんじゃない。
男を手玉に取るあざとい仕草が洗練されてるんだ……!
わかっているのにぎゅっと握られた手を振り払うことができない。
我ながらチョロすぎだな……。
と、その時――
「――――ゥ様! クラルゥお嬢様!! 聞こえていたらお返事ください!!」
「先ほどの異様な音はこの辺りからだ! 全員、警戒しつつ周囲を探れ!!」
木々の向こう側から別の誰かがそう叫ぶ声が聞こえてきた。
それを耳にしたクラルゥのとけるような表情は一変。
「ちっ――」と舌打ちが聞こえたかと思ったら、突然俺の首根っこを押さえて自分ごと姿勢を低くした。ウソだよね?
頬と頬が触れ合いそうな近さに一瞬ドキっとするけど、むりやり視線をはがして声のした方を見る。
ずっと遠くに何人かの騎士が立っているのが目に入った。
銀の甲冑を身に着けた、数人の男たちだ。。
「……なんで隠れたの?」
あからさまに騎士たちから姿を隠したクラルゥに問いかける。
「そ、それはですね……そうだ。実は私、追われてるんです! あの人たちは悪者!」
クラルゥは今考えついたようなしどろもどろの答えを返す。
さっきまでのあざとさは鳴りを潜めていた。
「いや……いまクラルゥ……様?の名前を呼んでたし、装備も君と同じみたいだし」
じとーっとした目を向けると、クラルゥはうっと怯むように目を反らした。
それで俺にも大体の事情が見えてくる。
つまりこういうことだ。
目の前の少女騎士は貴族のお抱えどころかお貴族様ご本人で、何らかの事情があって護衛と思しき彼らの許から逃げ出してきたんだ。
そして運悪くあの猪型と出会ってしまった。
ちなみに、貴族でも優秀なスキル持ちなら鎧を着て戦いの先陣を切ることは珍しくない。
クラルゥはしばらく目を泳がせていたけど、ジト目が功を奏したのか、やがて観念するようにため息をつくと、
「……たしかに、彼らは私の護衛です。ちょっと色々あって逃げてきたんですよ」
と唇を尖らせた。
さっきの艶っぽい演技とは違うけど、そんな仕草も可愛いのだからズルい。
「どんな事情があったのかは分からないけど、ここは彼らに保護してもらった方がいいんじゃ……?」
「それはイヤです!」
騎士たちが逆方向に離れていったことで、クラルゥは身を起こした。
間近にあった彼女も顔も遠ざかっていく。残念とか思ってないよ?
「せっかくここまで逃げてきたんですから、このまま逃げきってやりますよ」
「でも――」
「そ・ん・な・こ・と・よ・りっ」
なおも言い返そうとした俺の言葉を遮って、クラルゥがずいっと身体を寄せてきた。
下からのぞきまれるような上目遣いに、またしてもドキッとしてしまう。こりないね。
「ウォルさんにお願いしたいことがあるんです。私をモルドガッドまで連れていってもらえませんか? あ、もちろん報酬はお支払いします! ウォル様は命の恩人ですし、無事に街までたどり着けたらイロイロとお礼しちゃうかも――何なら泊まるところは同じお部屋でもいいんですよ……?」
鎧の胸当てを軽く引っ張り、わずかに胸元(でかい)をチラつかせながらそんなことを言うものだから、ついつい「オーケー!」と言いそうになった俺を誰が責められるだろうか。
でも彼女の頼みを聞くわけにはいかない。
「わるいけど、それはできない相談かな」
「えっ、どうして……!?」
自身の手管によっぽど自信があったのか、クラルゥは驚いたように顔をあげる。
俺は彼女の肩を掴むと、そっとその身体を引き離させた。
「あの街に戻れない俺個人の事情もあるけど……なにより君は怪我してるからね。そんな君を連れてモルドガッドまで無事にたどり着ける保証はない」
そう、森の魔獣はなにもあの猪型だけじゃない。
あれほどの強敵ではないにせよ、この辺りの魔獣は危険度が高いものも少なくないんだ。
そんな中、怪我をしたクラルゥを俺ひとりの力で守りながらモルドガッドに辿り着けるかは……正直なところ未知数だった。
せっかく助けた命。そんな簡単には散らせてほしくない。
「今、俺のことを命の恩人って言ったよね? それなら今は無事に生きて帰ることを優先してほしい。お礼はそれで十分だよ」
俺はできるだけ優しく、諭すように言って笑いかける。
その気持ちが通じたのかは定かじゃないけど、クラルゥはしばらく目を丸くした後、唐突にぷいと顔をそむけた。
「なんですか、それ……」
と手で顔を隠しながら、消え入りそうな声を出す。
あれ、気のせいかちょっと顔が赤くない?
そう思ったけどすぐに気を取り直したのか、クラルゥはすっくと立ちあがった。
「もう、わかりました、わかりましたよーーーだっ。命の恩人のお願いじゃあ、聞かないワケにはいかないじゃないですか」
子供っぽくスネたような態度。
そんな彼女の姿に思わず苦笑してしまうけど、案外これが彼女の素なのかもしれない。
俺も彼女に倣って腰をあげる。
「お望み通り、今日のところはおとなしく彼らに保護されることにします」
そう言うとクラルゥは俺に手が差し出した。一緒に行こうということだ。
でも俺はその手を取らない。
「いや、俺はまだこの森でやらなきゃいけないことがあるんだ」
それに一緒に出ていくと面倒なことになりそうだ。
こんな森にひとりで来て何をしていたんだ――?とか訊かれても、うまく事情を説明できる自信がないし、したくない。
「……ワケわかんないですよ、私とのキャッキャムフフな二人旅を蹴って、こんな森での用事が優先だなんて。変わった人ですね、まったく!」
ジト目で俺を睨むクラルゥは手をひっこめると、その指にはまっていた指輪を外した。
そしてそれを「ん」と俺の鼻先に突き出す。
「……これは?」
「お礼ですよ、お・れ・い。せめてこのくらいはさせてください」
「え、でも……」
「いーいーかーらっ!」
と俺の手を取って強引にその指輪を握らせてきた。
金のリングに黒い円盤状の宝玉がついたその指輪には、なにやら紋章のようなものが刻まれている。家紋かな?
「これはかなり高価な品なんじゃ……」
「あたり前です。でも売ったりしないでくださいよ? それは引換券ですから」
「引換券?」
「はい、引換券です」
もう用は済んだとばかりに、窪地の淵へと上がるクラルゥ。
「この先、困ったことがあったらハーヴォルドの領都に来て
そう言いながら命じるようにびしっと俺を指さす。
なるほど、そういうことならありがたくもらうことにしよう。
「わかった。失くさないよう大切にするよ」
そう告げると彼女は満足そうに頷き、「では!」と手を振って騎士たちがいる方へと去っていった。
俺は手元に残された指輪に視線を落とす。
嵐みたいな女の子だったな。
この短い時間で散々振り回された気がするけど、不思議と嫌な気分じゃない。
いつかハーヴォルドの街を訪れたときには、会いにいくのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、俺はもらった指輪を左手にはめる。
「さて、あとはアレを探さないとね」
俺はまだこの森でやることがある。
決意を新たにした俺は、先ほどクラルゥが向かっていったのとは逆、モルドガッドの方向へと歩き出した。
そしてその日の太陽が沈みかけてきた頃、俺は小さな川が流れる渓谷の底にいた。
レベルアップで回復した体力も底をつきかけ、体中が泥まみれ。
特にひどいのは手で、無数の切り傷から血が溢れ、爪もひび割れて水が沁みる。
そんな俺の手のひらの中には、同じく泥まみれになった指輪。
銀のリングに赤い宝石がついたシスターリング――勇者たちとの仲間の証が握られていたのだった。
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