第5話 決死の覚悟と掴んだ勝利
「くっ……《壁作成》!」
猪型と自分のあいだに壁を作った俺は、すぐに手近な木の陰に隠れる。
もはや一瞬の足止めにもならず、壁は突破される。
しかし現れた猪型は俺の姿が見えないので、蹄を突き立て急停止した。
それだけで地面には堀のような溝が刻まれる。
今の内だ……!
猪型の視界に入らないよう上手く木を盾にしながら、できるだけ距離を取る。
見つかる前にできるだけ遠くへ、可能な限り離れた場所へ。
俺を見失った猪型は怒りの咆哮をあげながら、苛立ったようにその場をぐるぐると回り始めた。
けど次第に落ち着きを取り戻したのか、その動きも緩慢になっていき――。
不意にぴたりと動きを止めた猪型は、元きた道を引き返すように俺に背を向ける。
そこですかさず、俺は木の陰から姿を現した。
「おーい、こっちだ! 牡丹鍋の具材になるのが嫌だからって逃げるなよ!!」
もちろん言葉なんか通じないだろうけど、俺の姿を認めた猪型は再び興奮状態となって、猛烈な勢いでこちらに突進してくる。
そして俺は壁をつくり、また姿を隠す。
さっきからこの繰り返しだ。
今の俺の役割は、この猪型をできる限り少女騎士から引き離すことだ。
猪型は俺を見つけられないでいるとあの窪地へ戻って少女騎士の方を襲おうする。
そうさせないため、俺は俺自身を囮にして猪型と共にどんどん森の奥へと向かっていた。
願わくば、今のうちにあの少女騎士が気がついて逃げてくれるといいんだけど……。
残念ながら俺にそれを確かめる手段はない。だからできる限り時間を稼がないと!
そんなわけで先ほどから猪型と命を懸けた鬼ごっこをしているワケなんだけど――
「あれ、変だな……?」
作った壁がいつまで経っても壊されない?
それなりに距離があったとはいえ、あの猪型ならものの数秒で壁までたどり着くはずなのに……。
そこまで考えて、俺は異常な事態に気づく。
どんなに耳を澄ませても蹄の音が聞こえない!
まさか――
嫌な予感が頭をよぎったその瞬間。
突如として俺の側面、壁とはまったく別の方向から猪型の咆哮が響いた。
「こいつ……回り込んだのか!?」
これまで出会った魔獣の中にも、忍び足で獲物の背後や側面に回り込む個体がいたことはいた。
けど……まさかこの巨体で足音ひとつ立てずにこんな真似ができるなんて!
既に距離は十メートルもない。壁で視界をふさいだところで回避できない――!
くそっ……背に腹は代えられない!
「《壁作成》!」
自分の足元に手のひらを向けて念じる。
瞬く間に足元の地面が垂直に伸び上がった。盛り上がる壁と共に、俺の身体も空中へと押し上げられる。
そして、直後に猪型の突進を受け、壁は容易く崩れ落ちた。
当然、上に乗っていた俺も落下して地面へ叩きつけられる。
「ぐっ――!?」
咄嗟に受け身をとろうとしたけど、それなりの高さからの落下だ。
姿勢の制御は上手くいかず、片足から地面に落ちてしまい、痛みに呻き声をあげる。
「足が……!?」
捻ったみたいだ。
これじゃもう逃げ回れない!
一方、猪型は離れた位置で急停止すると、再びその顔をこちらへ向ける。
気のせいかもしれないけど、俺には猪型がニヤリと笑ったように見えた。
「こんなところで……」
まだ……まだダメだ。ここは少女騎士を隠した場所からそれほど離れてない。
ここで俺が倒れたら、俺を始末した後であの少女騎士まで猪型の餌食になってしまう。
それだけは許すわけにはいかない。
「だから、だからここでやられるワケには……!」
俺は痛みをこらえて立ち上がる。
捻った足はほんのわずかでも体重が乗ると激痛が走るけど、諦めるという選択肢はないんだ。
俺は壁になる男、ウォル・クライマー。
壁は人を守るために存在する。
たとえ片足だけだろうと、この身体が砕け散るまであがきつづけてやる!
と、その時だ。
ふと誰かが俺を呼ぶような声が聞こえた。
身も心もとっくに限界を超えていたし、幻聴かとも思った。
けど、確かに聞こえた。
俺と対峙する猪型を挟んでさらに向こう側……急斜面がくだっていく方からだ。
こんな森の中で、いったい誰が俺を呼んでるんだ……?
それはわからない。
でもこのままここで立ってたところで、踏み潰されて死ぬのは目に見えている。
なら……一か八か、賭けに出るしかない!
俺は足の痛みをこらえて、猪型が動き出すより前にやつに向かって駆け出した。
これまで逃げる一方だった俺が、突然立ち向かってきたことに猪型は怯む――
なんてことはなく、やつは例によって前脚で地面を掻くと、巨体を解き放つべく姿勢を低くする。
後ろ足に溜めた力が爆発しようという、まさにそのタイミングを見計らい――
「ここだ! 《壁作成》!!」
足を止めることなく猪型の真下に壁を作った。
大した高さもない、壁というより地面のでっぱりみたいなものだ。
それでも前脚に体重が移る瞬間を見事に捉え、猪型のバランスを崩させ俺と逆方向へ転倒させることに成功する。
その隙に――
「うわああああぁぁあ!」
俺は急斜面へと飛び込み、そのまま坂を転がり落ちていった。
土と草の地面とはいえ、ところどころにある木の根や石に身体がぶつかり、全身が痛む痛む。
もはや無事なところを探すほうが難しい。
そして斜面の一番下まで落下した俺は、それを見つけた。
「! これは……」
霧が立ち込める中、姿を現したそれ。
それは俺が最も信じているもので、最も頼りにしているものだ。
これなら……これならいけるかもしれない。
そこまで考えたところで、斜面の上から狂ったような雄叫びが降ってきた。
奇策で土をつけたことがよほど気に食わなかったのだろうか。
振り向けばさっきより興奮度合いを増した猪型が、一直線に駆け下りてくるところだった。
下り坂で増した速度は、先ほどまでの比じゃない。
直撃を受ければ、今度こそ身体がバラバラに四散する――!
考えてる余裕はなかった。
「これで最後だ――《壁作成》!」
俺はできる限り幅が広くて高さのある壁を目の前に作り出す。
正面の面積を優先したその壁は、厚さが十センチメートルもない。
でもそれでいい!
俺は咄嗟にその場から飛びのく。
ほぼ同時に猪型が俺の作った壁に激突し、薄っぺらなそれは脆くも砕け散る。
そして――
辺り一帯を揺るがすほどの、地響きにも似た轟音。
猪型は俺の壁のすぐ後ろにそびえていた、古の城塞――その城壁へと激突した。
それは俺が作る、そこらの素材を固めただけの壁とはワケが違う。
巨石を積み上げることで作られた重厚な壁。
その隙間にはナイフすら入りそうにないほど精緻に組まれ、天を突くような高さは同時に相当の厚さを持つことを示している。
どれほど古くからそこにあるものなのかはわからない――わからないが、悠久の時を経てなおその威容を損なうことなく保っているという事実が、この壁の偉大さを物語っていた。
そんな壁に凄まじい勢いで激突した猪型の牙は砕け、硬質の表皮に守られている頭も潰れて血と肉、目玉の破片がそこら中に飛び散った。
衝撃は下半身にまで至り、毛に覆われた皮膚のいたるところが裂け、一部からは骨が突き出す。
そして、一瞬だけ壁に張り付いた姿勢を保っていた猪型は、ぐらりと傾き――
ついにその巨体を地面へと横たえたのだった。
猪型が衝突した城壁の方は――驚いたことに、ヒビひとつ入っていない。
「はは……はははは……」
もはや息をするのもつらい。俺は猪型の死骸の横へ大の字に倒れ込む。
体中のあらゆるところが痛むし、既に手足の感覚なんてほぼ無くなっていた。
でも……勝った。
「どうだ……!!」
守り抜いた。
「やっぱり壁ってすごいんだ! 思い知ったか……!!」
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