第9話こころ
次節のレギュラーが発表された。
かろうじて大吾はベンチでチームに帯同することを許されたのだ。
――こんなチームでレギュラーを獲ってどうする
自分の時間が、惜しい。行き詰って膠着した自分の想いが、寂寥感を加速させた。
契約がある以上は仕様がないのだ。あのフリーキック4連発によって、自分を欲しいと思うチームは他にもあるはずだ。
契約が切れてフリー移籍ができるまで、あと11ヶ月。
――残り寿命の20分の1!?
そんなに長い時間を、俺はこのチームで過ごさなきゃならないのか。プロになれるというだけで、軽く契約してしまったかもしれない。
傲然とした思いが胸中を行き来する。
試合は真吾がゴールして岡山が押していた。
岡山はカウンター志向のチームだ。それは、テクニック・レベルが高くないのと、真吾の身体能力に由来している。ロングボールを放り込んでヨーイ・ドン! で9割方勝てるフォワードがいるのであれば、それほど
アンカーの利根亮平、右インサイドハーフのロドリゴ・
ボランチとは『ポルトガル語でハンドル』を意味し、チームの舵取り、運転をするからボランチと呼ぶ、というのは一般的に知られているが、真っ赤な嘘だ。
ボランチとは、アルゼンチンのミッドフィルダー『カルロス・ボランチ』に由来する言葉だ。アルゼンチン出身のカルロス・ボランチがブラジルであまりにも中盤で見事なプレーを魅せるので『ボランチのようにプレーしろ』と言われたのが『ボランチ』というポジションの正式な由来である。
そしてダブル・ボランチのうち、守備的なボランチを第一ボランチといい、攻撃的なボランチを第二ボランチという。
良質なボランチは世界的に見ても少数だ。
1994年のワールドカップで優勝したときのキャプテン。日本でも活躍したドゥンガ。彼でさえ守備的であり過ぎると批判を浴びている。それどころか『ドゥンガの時代』というある意味、暗黒時代的な言われ方をしている。
その頃に『ブラジル的な』ボランチがオランダで生まれたと言われている。ASミラノのフランク・ライカールトであった。
ゴールを奪ったにもかかわらず、真吾は前線からチェイシングを仕掛けている。
それどころか、あるときは中盤まで下がって、ゲームの組み立てにも参加していた。
――何がそんなに、兄をこのチームにかきたてるんだ?
センターフォワードでありながらもスライディングタックルまで繰り出す兄の姿に、疑問を抱くのと、それと同時に身震いが止まらない。
真吾がボールを持つと、前線にタメができる。
ボールを失わないと思われているのであろう。サイドバックもオーバーラップを繰り出し、ウイングを追い越していく。その分、ウイングは中に絞り、パスコースを増やした。
ロドリゴ・器楽堂も、八谷も、より攻撃的な位置にポジション取りをする。
真吾はチーム全体を、最前線から指揮しているかのようであった。
敵を背に負いながら、じりじりと前進しながらキープする。
ひとりでは取れないと観念したのだろう。ふたりめが自分のマークを置いて真吾に向かった。
マークが外れた瞬間に、真吾はそこへ向かってパスを出す。決定的なチャンスが、岡山に訪れた。
右ウイングのイタリア人、セバスティアン・インザーギがドフリーになった。スペースでもらったパスを、加速に乗ったまま受け取り、ペナルティエリアへと侵略していく。右足で放たれたシュートは正確に枠を捉えた。
2点目が、岡山に計上される。
「大吾。プロサッカー選手とは個人事業主だ。だが、仲間と連携しなければ、何もできない存在である」
父がそう言う。
「仲良しこよしでなくてもいいんだ。レギュラーを争う敵でもあるからな。しかし、正当な手段を踏まないものはやはり弾かれる。村八分にされる。それが自分の意思でなくとも」
それがどうしたというんだ?
父はそれを受け入れたから、その話が漏れたのではないか!?
オーナーに逆らってスタメンのところをベンチにしたのか?
「それでも、味方のシュートが外れたことに安堵するような、選手にはなるなよ。自分がアピールプレーに成功したことだけを強調して、味方を貶めるような……」
去年の12月の高円宮杯が思い出された。あのときのことを言われているようで少し胸が痛む。
「腐って今日を戦えないものに、明日や来年を語る資格はないぞ!」
再び、心が揺らぎ始めたのを実感せざるを得ない。
だが、自分が腐らなくとも、向こうが信じてくれなければどうしようもないではないか! 試合に出たところで、パスは回ってこないだろう。
「試合を観ていて感じることはないか? 味方をベンチから見ていたら100%無益だったか?」
――このクソチームでどうしろってんだ!?
ここで、選手交代が行われる。
アップはしていたが、大吾は自分に出番があるとは思わなかった。監督も、チームメートとのいざこざを知っているだろう。それでも出すのは、やはりオーナーのオーダーがあったからだろうか。
「ワン・フォー・オールだぞ、大吾」
利根亮平が言った。
利根は岡山の
――自分がクソだと思っているチームで、一生を過ごす?
自分には無理だと思いつつ、羨ましくもある。
オーナー・チームメート・スタッフ、そしてサポーター。すべてに均等に愛されなければ、その立場は確立できないからだ。
J2に落ちたときも、利根はチームを離れなかった。それどころか、真っ先に残留を宣言した。
真似できそうにはない。
八谷に代わって、大吾が投入される。
8→38が電光式掲示板に記された。
「頑張れよ、向島」
交代する八谷が、大吾の耳にかする程の声でつぶやいた。
心からだろうか、それとも皮肉?
今の彼にそれを判別するだけの余裕はない。
だが、やはり大吾にボールは回ってこなかった。焦れ込んで、病みそうにもなる。すべてにおいて愛される選手もいるというのに、チームメートにすら理解されない。それが無性に悲哀を感じさせる。
ゲームに入り込めない。
試合を見捨てたかのように腰に手を当てて、その場に立ち尽くした。眼から色彩が消えて、虚ろな表情が浮かび上がる。
――なんだってんだ!
「チームのためにおまえがいるんだぞ! おまえのために、チームがあるんじゃねえぞ」
真吾が大吾に向かって言った。
その
見透かされているような気分。心の底を覗かれたかのような気持ちがした。
大吾はゲームに入りきれない。それを察したのであろう。敵は明らかに彼を急所として狙ってくる。
こぼれ球を大吾が拾った。
すぐにハイプレスが襲ってくる。普段の大吾なら躱しきれたはずだ。すぐにタックルを浴びせられて、ロストしようとする。
敵はゴール前に迫る。
兄が、真吾がそれに追いつき、スライディングを見舞った。
斜めから入ったタックルは相手を後部から払ったようにも見える。芝が地盤ごとめくれて、土煙がフィールドの一角を舞いあげた。タックルがボールに行ったか、相手の足を刈ったか、それともシミュレーションであったか。審判は判断がし辛い。
あと1メートル前であったなら
累積1枚目のイエローカードが、兄に対して提示された。
真吾は不満も何も言わず、その場を立ち去ろうとする。前線に戻ろうとする兄は弟に向かい言い放った。
「今を頑張れない奴に、明日があると思うなよ! そんな奴はどこへ行っても一緒だ!」
父に続いて兄にも言われた!
心の急所を突かれた想いが少しした。今のイエローカードは本当なら自分が貰っていたはずのものだ。あのオフェンスの要である兄が受け取るはずのものではない。
自分はここで腐って終わるのか……
20年の生は1年で結するのか……
すべてを賭けたはずなのに、たったこれだけで……
――俺は……
今を懸命に生きれないやつに、将来を語る資格はないのではなかったか!?
サッカーにだけは嘘を吐きたくはなかったのではないか!?
「マラドーナの2分を忘れたか!?」
兄の檄が飛ぶ。
残り時間は30分。
アディショナルタイムを含めると35分はあるかもしれない。
大吾はフリーランニングを開始した。
ボールが来ないことは解っている。それでも、奔り続ける。攻撃のときは、
奔ることによって、敵のポジショニングに歪みを生じさせる。
ディエゴ・マラドーナ。
不世出の天才。ワールドカップをただひとりで制したと言われる唯一の男。彼がボールを持つのは、一試合で2分と言われる。マラドーナでさえ、あとの88分はオフ・ザ・ボールの動きでマークを外すことに尽力していたのだ。
向島大吾は貧弱だ。パワー・スピードどれもが及第点に及ばない。
だが30分であれば、走り続けるスタミナはある。
自ペナルティエリアから敵ペナルティエリアまで奔り回る、時間限定のボックス・トゥ・ボックスプレーヤー。
『ボールを持ってナンボ』の選手は大勢いる。おそらく、若い頃から将来を嘱望されたプレーヤーの大半はそうであろう。
ボールに関わることは少ないかもしれない。走り続けること。それが現時点での『大吾の懸命』であった。
縦横無尽に走り回る38番を、敵も味方も無視できない。
岡山の内紛を敵は知るはずもない。だがこのピッチに戸惑いを起こしているプレーヤーにはパスが回ってこない。だんだんとそれがわかってきた。
しかし、いつ回って来るのか? それが問題である。
左サイドバックが、フィールドの内側にインナーラップを仕掛けた。交差するように、アウトサイドを大吾が駆け抜ける。ウイングの如き駆け上がりは、相手右サイドに混沌をもたらした。
ロドリゴ・器楽堂がボールを保持し、ちらっと大吾を見やる。大吾も視線を挙げてそれに応じた。
四半刻かけた懸命な無駄走りが、味方の心を少し揺るがしている。
氷山の一角が溶け崩れかかった。光年で測るべき乖離していた想いが受け継がれようとしているのだ。
ロドリゴはパスを出す事前のアイコンタクトの目を見開く癖がある。試合を観ていてわかったことだ。だから、それに合わせて歩幅を変える。
ゴールエリアの角に、パスが出された。
瞬間的に大吾が反応する。
釣られるかのようにディフェンダーもやって来た。
左足のインサイドで、ボールを受けると同時に右足に持ち替える。そして、左足にさらに戻す。ダブルタッチで、ディフェンスをかわす。
またもや戻した左足で、右足でシュートを打ちやすいところへとボールを落とした。
右足のインフロントで、スライスが掛かったショットが放たれた。
ゴールキーパーが右手を掲げながら跳びつく。
だけれども、防げるわけはないのだ。
なぜなら、ボールは一度ゴールマウスの枠から外れて、急激なカーブによってふたたびそれを捉えたからだ。
あらゆる事象は心の反映だという。
――重要なのは、味方が俺を理解できるかどうかではない。俺自身が彼らを深く理解し、彼らとの絆を得る切っ掛けを作ることだったのだ。それによって、自分と味方とのパートナーシップは対等で、より強固なものへとなっていくはず
ここまでこじれたのを、
悲しいかな、そこにあるのはどうしようもなく感情に支配された人間という存在。
今の自分にできるのは、結果を出し続けることだけだ。
冷たい視線であっても、熱い気持ちで跳ね返すしかない。
それが生きるか死ぬかの、チームスポーツのプロフェッショナルの世界であるはずだ。
走り切ることによって、大吾は8割の信頼を得た。残りの1割はいまだ疑惑かもしれない。
そして、最後の1割は、ゴールという結果によって払拭されようとしている。
無機質になりかけていた心臓が、また身体中に血を巡らせた。
奔り回る大吾。今度はそれにパスが回ることを敵も知っている。
モグラたたきのモグラのようなパスコースの増設。敵は、錯乱し始めた。
厄介なことに、このモグラはテクニックも兼備している。カウンター志向であった岡山は、このどこに顔を出すかわからないテクニシャンによって、ポゼッション率も高まって来た。
サイドラインでボールを受け取るかと思えば、最終ラインに入って。ときに最前線で待ち構えているかと思えば、実はそこは5秒後には中盤になっていたりもする。
アンカーの利根亮平がボールホルダーとなった。
利根の癖もわかってきた。昂った神経を落ち着かせるためなのか、アフロヘアーをしきりに掻く。それが行われるのは、前線に一か八かの決定的なパスを放り込む前に決心する前の儀式のようなものだった。
センターフォワードの真吾を追い越すかのような大吾の動きに、敵は息を呑む。単純に、岡山のゴールへの道筋が増えたのだ。ゾーンディフェンスのマークの受け渡し場所。そこを大吾は突く。
そして利根が頭に手をやった。
真吾がフリーになった。ガチガチに憑かれていたマークから離れ、一瞬呼吸を深くすると、自分の前方に蹴りだされたボールに向かって駆け抜ける。
ゴールキーパーが両手を掲げながら飛び出してきた。
顔をあげて真吾はそれを確認し、ヒットさせるべきボールに視線を落とす。どこを狙うか、キーパーに知らせないための技術でもあった。
左足、一閃。
時速130kmのキャノン砲が、キーパーの右を通り抜ける。すべてを突き破りそうな弾丸が、ゴールネットに所狭しと収まった。
「オール・フォー・ワンでもある競技だがな……」
真吾のつぶやきは、だれの耳をとらえるまでもない。
☆☆☆☆☆
よくわからない選手
やる気があるのか、ないのか、わからない。
動き出したと思えば停まり、停まったかと思うと走り出す。
彼の選手としての色を知ろうと思ってこの試合を見たが、よくわからない。
完全に途中までは彼は試合の外にいた。
走り回ることで、自分の存在をアピールすることになったのはだいぶ経ってからだ。
それまでパスが廻ってこなかったが、味方も彼の存在を無視することは出来なくなった。
まだ17歳。
完成されたプレーが出来るはずもない。
波があって当然だ。
得点こそしたが、今日は波浪警報が出ているかのような安定感のなさっぷり。
前回の試合と吟味して、彼のプレースタイルを把握するには今日だけでは足りないようだ。
向島大吾 5.5
ウィークリー・フットボール 雨宮凜
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