第8話オーナー裁決

 チームのオーナーが言ったらしい。


「あのチビは金になる。使え」


 と。


 実際のところ、サッカーもビジネスだからだ。

 選手の売り買いで収支を黒字にして成り立っているチームも多い。




☆☆☆☆☆




 サッカー界の移籍は、1990年代に大幅に変わった。

 いわゆる『ボスマン判決』である。


 かみ砕いて言うと、『ボスマン判決以前』ではクラブと選手間の規約では選手の所有権については、契約満了後であっても引き続き前所属のクラブが保持していた。そのためクラブが認めない限り選手の自由な移籍は不可能であった。


 しかし、ベルギー人の冴えないサッカー選手『ジャン=マルク・ボスマン』は移籍のために欧州司法裁判所に『選手の移籍の自由』


1.クラブとの契約が完全に終了した選手の所有権を、クラブは主張できない(つまり契約が終了した時点で移籍が自由化される)事の確認


2.EU域内であれば、EU加盟国籍所有者の就労は制限されないとしたEUの労働規約を、プロサッカー選手にも適用するべきである(つまりはEU国内選手においては外国人枠がなくなる) 

     

 ということを訴えた。


 それが認められ、選手の保有権は選手自身となったのだ。

 これにより、サッカー選手の雇用形態は根本的な見直しを要求された。


 ものすごく簡単に言うと、今まではサッカークラブは移籍金として『所有権を売買』していたのだが、『契約期間の違約損害金を売買』するようになったということである。


 そのため、ステップアップのために短い期間しかチームと契約を結ばない選手もいるし、契約を延長しないために干される選手、契約を延長しすぎたために移籍金が高くなり他のクラブが手を出せなくなる選手、などが出ている。


 また『項目2』により、いわゆるビッグクラブは資金に任せた多国籍スーパースター軍団を作れるようになり、逆に資金力を持たないチームは草刈り場と化してしまい、ビッグ・クラブとスモール・クラブにはもはや覆しようのない差が産まれてしまった。


 ギャラクティコ銀河系と呼ばれたロイヤル・マドリーはスーパースターを買い漁り、結果としてチーム内に攻撃的なバロンドーラー4名を抱える異様なチームとなってしまった。

 攻撃のスーパースターと守備を支える地味な選手の待遇の差が激しく酷くなり、守備的ミッドフィルダー、クロード・マケレレの放出という致命的な移籍により攻守のバランスを完全に崩してその後、ASバルセロナの台頭により暗黒時代になってしまった。


 野球で例えるなら、一時期の巨人がファーストとレフトしか守れない4番をかき集めたことを世界レベルでやってしまったのだ。


 逆にオランダの超名門アムステルダムは、1995年にUEFAチャンピオンズリーグにて優勝したが、次の年度には主力のほとんどが外国のビッグクラブに金にものを言わせて引き抜かれてしまい、その後の低迷から未だ抜け出せず欧州の中堅クラブと化した。


 そして、移籍金というのは前に所属していたチームだけではなく、本人や代理人、そして前々に所属していたチームなどにも入ってくる。日本の場合だと前々所属チームが高校などの場合もあり、その場合は寄付や助力金などとして計上することがあるようだ。




☆☆☆☆☆




 要するにオーナーは、移籍ビジネスの素材としての向島大吾に目を付けている。




 サッカー界の新人、特に高卒選手はルーキー年にはほぼ使われない。

 それでも使われるということは、その選手に何かがなければならない。


 大吾にとっては、それがオーナーの力であった。


 今の時代、J2でも海外の極東担当スカウトは選手を追っている。

 前時代では、ワールドカップや大陸別選手権がサッカーの見本市であった。その大会で活躍した選手を、欧州のチームが買っていく。三浦知良がイタリア移籍で失敗した後、中田英寿が買われていったのは、まさに1998年フランス・ワールドカップで三連敗した日本代表の中でひとり、気を吐いたからだった。


 また、欧州の大陸別選手権、ユーロに於いて大活躍した選手がいた。有力クラブはこぞって彼を買いたがった。だが、買ってはみたものの、思うように活躍しない。

 彼のキャリアを振り返ってみれば、その大会で活躍しただけの選手だった、というオチが付いた噺もある。



☆☆☆☆☆




――使ってくれるなら、何でもいい


 そういう思いが大吾の胸の中を行き来した。


 その経緯を知ったチームメートから当然、反発も起こる。

 特に、ブラジルからやって来た日系ミッドフィルダー、ロドリゴ・器楽堂きらくどうなどは憤慨しているようだ。


「ポジションガ ジツリョクジャナクテ コネデ ウバワレチャウンダヨ!?」




 次節が始まる3日前。


 試合を終えた翌日は休日で、翌々日から練習は始まった。天気は曇天で、それはチームの状態と士気を表しているかのようだ。いつもは幼馴染兼恋人感覚の味方であるはずの緑の芝生は今日は機嫌が悪いようで、大吾の軽いハイタッチに応えようとはしない。


 二人一組で行うストレッチとパスでのアップが始まった。しかし、大吾と組もうとするチームメートはいない。ユース上がりの大吾が積極的にチームに馴染もうとするのに、味方はそれを拒否しているかのようだ。


 ここで大吾は大きな違和感を芝生だけでなく、フィールドにも感じてしまう。

 フィールドだけでない。チーム全体の空気全体が凍り付いたかのように重く、それでいて周りの視線が敵意を含み大吾を突き刺そうとしている。





 チームの紅白戦。30分2本勝負の試合開始の笛が鳴った。


 レギュラー組に入った大吾。

 5分、10分と時が経つ。苛立ちとともに、奇妙な違和感に囚われるのに15分はかからなかった。


 ボールが回って来ない。

 それどころか、味方の視野に自分が入っているのかどうか。真吾と、利根からのパス。そして自らが奪った以外は、ボールウォッチャーと化していた。



――実力外でレギュラーを取った選手は、チームには要らないってとこか


 思わず、ため息が出そうにもなる。


――だったら、実力で見返せばいい!


 そう思った。

 プロは実力がすべて。ゴールでも奪えば、この鬱屈した想いと関係も晴れるだろう。


 だが、実力で人間関係が円滑に進むことなどない。よほど尊敬し、感服するかどうか、だ。


 それに今の大吾は値しない。

 トップチームに上がって来たばっかりの、マグレ・・・で活躍したオーナーのお気に入り。誰が、進んで、好んで、関係を結びたがるというのか。


 気まぐれに、ロドリゴ・器楽堂が大吾に鋭いパスを出す。大吾のトップスピードを理解していないそれは、サイドラインを割った。


「チッ! ヤタガイ ナラ オイツイタノニ……」


『ヤタガイ』とは、大吾が強制的にポジションを奪った相手・左インサイドハーフの八谷原やたがいはじめ。彼はキャプテンの利根と並び、チームの精神的支柱でもあった。


 ロドリゴ・器楽堂のそのパス・・・・を機に、大吾にはボールがまったく廻ってこなくなった。

 11対10対1

 異様な雰囲気の試合は時計の針を進めていく。

 大吾がボールを奪って、パスを出す。そしてリターンパスを受けようと、走り出した。


「ヘイッ!」


 絶好の場所にいたはずだ。だが、リターンは返って来ない。

 大吾がフリーになっても味方はパスをせず、かろうじてキャプテンの利根亮平のロングフィードと兄の真吾がくさびとなって渡すくらい。そしてひとたびボールを持つと、は本気で大吾を削りに来て、怪我をさせるかのごとくファウルまがいのチャージを繰り出された。



 他のチームメイト全員、『大吾がオーナーの権力によってレギュラーとなった』事実を知り、快く思っているはずもないのだ!

 いくら大吾に与えるポジションが今のフォーメーションにないとは言え、よりにもよって精神的支柱の八谷を外すとは!


『八谷さんなら……八谷さんなら、もっと巧くチームが廻るのに……』


 チームの総意であり、チームメートの八谷への絶大な信頼と、大吾への拒絶まがいの不信感。

 それが今、爆発しようとしていた。



 控えの選手と在らばなおさらだ。

 大吾に対するチャージがきつくなり、本番さながらに削られる。当たりが強く、軽くふっとばされる。


「いい加減にしろよ!」


 自分より15cmは高い控え選手に掴みかかりそうになりながら、大吾が爆発した。

 

「おまえら、何がしたいんだよ! 俺はサッカーがしたいんだよ!」


「オーナーの意思は大吾の指示じゃあない」


 キャプテン利根が言った。


「たしかに17歳のルーキーがいきなりレギュラーに、それもオーナーの力によってなったならみんな良い気はしないだろう。それが八谷さんのポジションならばなおさらだ。だが、大吾はまだ、自分で自分をコントロールできる立場じゃないんだ! 開幕戦、使い物にならなかったチームに、この自分さえ持て余しているチビが勝ち点3をもたらした。だが、それで俺たちはシーズンが始まったばかりなのに10人で試合をやるのか? ふざけるなよ、おまえたちはプロの端くれだろう! 応援してくれるサポーターに申し訳が立たないんじゃないか!?」





「大吾、おまえがしたいのはサッカーか?」

 兄・真吾が大吾のもとに来て言う。


「おまえやりたいのは、俺にはサッカーには到底思えん」


 何が言いたいのか。

 自分がしているのはサッカーだ。

 もちろんやりたいのもサッカーだ。


――本当におまえたちが、やりたいのはサッカーか?


 そう言ってやりたかった。残り少ない寿命が、糞みたいな出来事で削られていく。


 野宮舞の言葉が脳裏に疼く。


『あなた、たぶん10年後には消えてなくなる。そんな人のこと、好きでいたら辛いよ……』


 10年後どころか、次の試合にでも消えてしまうかもしれない。血色の良い顔が真っ蒼になったかのようで、黄色を抜いた信号機が大吾の顔面に浮かんでいる。


――クソサッカー! クソチーム! クソチームメート!


 ペッと、つばを吐き出しそうになるのをこらえた。

 これサッカーにすべてを賭けると、決めたはずだった。


 野宮舞も、チームメートも、兄も、だれもが自分の本質を理解してくれようとしない。

 17年しか生きてない自分が、どうすればいい?

 俺には、あと20年しか残されていないんだぞ!?


――オーナーが俺を売りたいなら、どこへでも良い。売ってくれ!


 燃え滾る思いに冷や水を浴びせられたような気持ちにもなる。

 ハイティーンの心が軋み、折れていく音が聴こえてきそうだ。

 強い決心が萎えていくのを感じる。


 すべてを放棄した自己正当化。

 大吾は走るのを辞めた。

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