第3話普通と異常

 インタビュアーが、大吾に発言を求めようと呼び止めた。

 それに対し、大吾は無難な言葉で、その場を収めようと試みる。

 

『そうですね』としか言わない発言は面白くない、という者が多い。だが、それは訊く方の問題でもあると大吾は思う。質問の質が高くないから、答える方もいつも毎回同じになってしまうのだ。


 インタビューに応えながら、観客席を見回す。野宮舞はこの試合を見に来てくれているだろうか。


 彼女と付き合い始めて、もう数年経っている。

 だが、自分のサッカーの試合を観戦に来てくれたことは数少なかった。


「自分の、一生がかかっている試合だ」とは今回、告げた。


「この試合で失敗したら、もうサッカーやめるの?」


 答えられなかった。まだ高校2年。3年生もあれば、大学経由でさらに高きを望むこともある。

 しかし、今を一生懸命に生きられないやつが、将来を語るのはあり得ない気もする。




 どうせやるなら、すべてのタイトルを取りたいという気持ちが大きい。

 リーグ戦も、カップ戦も。オリンピックも、アジアカップも、チャンピオンズリーグも、ワールドカップも。


 個人賞も。高円宮杯のMVPだけじゃあない。世界最優秀選手・バロンドールも。


 夢見がちな放蕩者と言われるかもしれない。だが、魂の置き場はそれくらいでちょうどいいはずだと思う。


「大吾。今度の休みにプロ契約を結ぶぞ。保護者の人に連絡……は要らないか」


 スタッフがそう告げた。

 大吾の父親は、岡山のトップチームの監督だった。同じ実力であるなら、実息ではなく、他の選手を選択する。そういう厳しさを持った男のはずだった。

 だからこそ、ここでプロ契約を結ぶというのは意味があるはずだ。元日本代表の父に、しがらみを抜き取って実力だけを認めさせた。それが自分にとって何よりも嬉しいのだ。




 観客席から手を振る女がいる。

 野宮舞だ。


 舞は良いところのお嬢さんだった。たぶん、働かないでも食っていけるだろう資産がある家の出。

 その、人の苦労をあまり知らず、なんとなく癒す雰囲気。悪く言えば深く物事を考えることがないような気軽な性格に呑まれ、いつの間にか自然と二人でいるようになった。


 岡山から東京へわざわざユースの試合を観に来るのは面倒であったろう。事実、チケットは2枚渡したが、ひとりでしか来てない。交通費など、自腹のはずだ。それでも観に来てくれる彼女に、征服欲を大吾は感じてしまう。


「トップ昇格、決定だね!?」


 観客席からの声に頷いて、サムズアップを送る。

 

「最近、大吾。ピリピリしていて、あんまり好きじゃなかったんだ」


「どういうこと?」


「なんか、ここで上がれなかったら、自殺しちゃうような勢いだった」


 自分は今、どんな表情をしているだろうか。笑顔でないことは確かだ。引きつる神経を惑わすかのように、声を絞り、張り上げた。


「そんなこと……ないよ!」


 図星をつかれたような感覚。

 

 向島家はサッカー一家として有名だった。

 父は元日本代表。兄は現役A代表&五輪代表のエース。

 いつも比較されながら、生きてきた。


 家族で一流のものが居れば、他の道を歩むものは多い。だが、他の道を歩むには、大吾はサッカーが好き過ぎたのだ。


 大柄な両親と兄。自分も大きく育つのであろうと思っていたが、その意思とは反比例に成長は止まった。

 

 いつしか、比較されなくなってしまった。その体格差のためだ。それは、苦痛や心労、様々なものを大吾の心にもたらした。




――スタート地点に立った


 大吾はそう思った。

 FIFAによって、外国人がよその国でプレーするのは18歳未満までは禁止になった。今の条項では、もはやアルゼンチンからバルセロナへと移住したリオネル・メッシも生まれない。

 日本に生まれた18歳より下の日本人は、Jリーグを最初に選ぶことしかできない。海外の若手は、イングランドのプレミアリーグ、スペインのラ・リーガ、イタリアのセリエAなどがデビュー・スタート地点。日本人として日本に生まれたからには、最初からハンデを背負っていると感じることもときどきある。


「来てくれて、ありがとう」

 

 そう言い残し、大吾はスタジアムの内部に引っ込む。女子高校生がサッカーを観るためにひとりで上京してきているのだ。その好意は並大抵ではないはずだ。


――海外へ行くときも、彼女は一緒に付いて来てくれるだろうか


 逸る気持ちを、そういう風に大吾は考えた。まだ、プロとしてなんの実績もないくせに。

 思わず彼女の肢体を想像する。


 シャワー室で火照った身体に冷たい水を浴びると、そういう膨張した自我は消し飛んでいた。




※※※※※




「じゃあ、これでOKだね。プロの世界へようこそ!」


 書類にサインすると、スタッフがそう言う。


「普通じゃない道を歩くのは難しいぞ」


 今度は保護者と監督を兼任する父・向島博が言った。


――なんと言うべきだろう。サッカー界の人間は全員普通じゃない? おかしい?


 言葉が出ず、口ごもる。


「うちはサッカー一家だから、普通に感じるのかもしれないが……普通ではないんだ」


 父の両親は農家だった。毎年、田の稲を刈ると膨大な面積のデコボコのグラウンドが出来上がる。そこで、ラグビーボールのように弾むボールで幾らドリブル技術を磨いたことだろう。


「契約期間は3月1日から来年の2月28日まで。今日のところはこれで帰っていいよ」


 そう言って、退出を促された。




 クラブハウスを出ると、駅に向かう。どうやら、ちょうど帰りのラッシュに巻き込まれたようだ。学生や、サラリーマン、何をしているのかわからない職業不詳な者たちが大吾の横を通り抜けていく。


「普通ってなんだろ」


 普通・・に学生や、会社員をやることが普通なのであろうか。憧れたサッカー選手とは、ヤクザな生き方なのか。


――普通に生きるってことの方が、異常なんじゃないか


 大吾は左胸に手を置く。

 心臓の鼓動が速くなっているのに気付いた。なぜ、速くなるのであろうか。それは、自分が今異常であるということを自分で認めているからではないだろうか。


――普通に生きて、魂は震えるだろうか


 わからない。

 自分には、もう、そういう生き方は出来ないのだ。

 

 職業として、真剣にJ1のサッカー選手を選んだ。

 地元で怪物と呼ばれる選手が、J2やJ3でやっている世界だ。大吾はその中でエリートと言われるかもしれない。家族関係からいってもそうだ。しかし、それだけで自分の努力をすべて語られるようで嫌だった。


「普通と普通とじゃないを考えて、異常じゃないのはこっちかも」

 

 思わず言葉にして口に出してしまう。


 様々な人生がある。一般人と呼ばれる存在に、サッカー選手は夢を魅させる側だ。だからこそ、収入が多いし、有名にもなる。

 

 大吾が望んでいたのはそういうことではなかった。

 サラリーマンがデスクワークをするように、サッカーで生きていきたい。もちろん、サッカーが世界で一番普及しているスポーツであることも知っている。

 それは、弱者が貧困脱出のためにサッカーを選ぶからだ。

 皮肉なことに、世界の貧しさがサッカーのレベルを高めている。バブルの頃より経済力が落ちてきたとはいえ、なぜわざわざ日本人がサッカー選手を職業とするのか、と言われる所以であった。


 単純にサッカーが好きだから、職業にする。好きなものを職業にすると辛いという人もいる。

 大吾はそうではなかった。


 サッカーを愛しているといっても過言ではない。

 一日中、いや365日ともにしたい。


――やはり向島家の血が流れているのだ


 否定したくても、100%否と言うことはできない。

 みずからのDNAに刻まれたそれに、愛しささえ覚えることがあるのだった。

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