第1章 2019 Jリーグ 岡山
第2話THE FOOL on the Planet.
日本のサッカーシーズンのすべてが終わろうとしていた去る2017年12月。
その年の雪が産声を挙げる寒さの中、アンダー世代のサッカーゲームが行われようとしていた。雲の合間から覗き込む太陽が、チラチラとその木々に纏わりついた白化粧を照らして幻想的な雰囲気を醸し出す。
試合開始前のウォーミングアップが終了し、ロッカールームで最後のミーティングが開かれる。監督が相手の要注意人物やら、とってくるであろう戦術について選手のポジションが描かれたホワイトボードを前にしてマジックペンを持って力説している。
そして、
「ここまで来たら、どっちが勝ちたいかだぞ!」
と、精神論で締めくくった。
いつもはそうではない。特にその日は神経が苛立っていた。
選手入場までのわずかの時間、
爆音で鳴るロックに無理矢理にでもテンションを上げる。そうでもしないと、胸がはち切れそうだったからだ。クラシックを聴いて平穏な気持ちで試合に臨むなんてウソだ。緊張して止まりそうな心臓の鼓動を引き上げる。
――試合が怖い
馬鹿正直にそういうやつをみんなはどう思うだろう。
サッカーに向いてない
スポーツに向いてない
そもそも競うことに向いていない
だが、サッカーに嫌われても、逆はない。人生が終わるときも足元にボールがあるはずだろう。サッカーにだけは嘘をつきたくなかった。
心がささくれ立っているのは、これが現役最後の試合になるかもしれないからだ。
高校2年を終えて、3年を迎えようとしている。トップチームに呼ばれることはあっても、試合に出たことはない。
世界の有望株は、15、16でトップに定着している。それも競争が激しい海外リーグで。
それを考えると、自分がぬるま湯に浸かっているようで怖い。将来が決まらず、漠然と高校最後の年を迎える。腰が抜け落ちそうだ。今日で結果が出る。膝がガクガク震えかける。
20年前のロックナンバーが、耳を刺激した。両親が好きだったバンドだ。その影響で自分も好きになった。
旧日本軍の特攻隊を唄った歌だった。『来世で会おう』と締めくくるその歌は、特段強烈な印象を大吾に残している。
自分の今世は、たった今、オールインした。もし来世があるなら、またサッカーで生きていけるか、試すことだろう。
最後のドラムが刻む8ビートが終わり、大吾の心を沸き立たせ、沸騰させる。
ビビっていた陰鬱な影が雲散霧消し、アマチュアレベルではなかなかのファイターが産まれていた。
『サッカーだけでは生きていけないが、サッカーなしで生きていきたくはない』
それが、彼の偽らざる信条だった。
たとえば、プロサッカー選手という職業は人類に必須であるものではない。19世紀以降の産業革命が産んだ、
農業や、大工、政治家などとは違い、生きていくために必ず必要であるわけじゃない。
だから、サッカー選手が大金を稼ぐようになると『大した仕事じゃないのに、給料を貰い過ぎだ』と騒がれるのであろう。
向島大吾は、その必要とされない職業に就くことを望む若者であった。
高円宮杯・プリンスリーグ・ファイナル
岡山ユースvs横浜SCユース
師走の冷たい空気が、喉を焼く。
息をしないと死にそうで。すればすればで、体力が減っていく。吐く息、吐く息がこだまして、大吾の心臓を打ち鳴らす。
後方からのロングパスが、大吾の足元に届く。その球体は、天然な自然を左足に感じさせた。
水・金・地・火・木・土・天・海。
その中で大吾が所属しているのは、3番目の惑星のアジアという地域。世界で一番、サッカーが弱いとされている大陸であった。
――日本は島国だから、余計に弱いのだろうか?
ブラジルではサッカーが下手な人のことを『
イングランドも世界最高峰のプレミアリーグがあるとはいえ、肝心の代表は何十年もタイトルから見放されている。やはり何か因果関係があるに違いない。
そんなことを考えながら、丁寧に左足のインサイドでトラップする。
ただ、岡山という県は、サッカーが弱いことで知られている。男子サッカーよりも女子サッカーが盛んな地域でもある。
岡山のジュニアに入る前に、県内地域別対抗戦というのが行われた。大吾の住んでいた地域は、3戦全敗。
かつて日本は一番弱い大陸の、一番弱い国であった。
その中の一番弱い県の、一番弱い地域。
そう思うと、ひどく自分がちっぽけな存在に思えた。
チーム内ではエースだった。
だから余計に。
一番弱いチームのエース。
だから余計に頑張った。
田舎は公園よりも田が多い。そのデコボコ道で、ラグビーのように転がるサッカーボールで幾らスキルを磨いたことだろう。
大吾はドリブルで左サイドを駆け上がった。
「あいつを……14番を止めろ!」
この試合がラストチャンスだと思っている。
未だ高校2年。見切りを付けるには、まだ早いはずだった。
だが、世界中の
――1番を目指したい
世界中のサッカー選手が目指す世界最優秀選手賞・バロンドール。
だれもが一度は夢見ては挫折する、黄金色のボール。そう。未だ日本人が届いていないそれを獲得したい。そのために、何時間、何万時間消費しただろう。
「当たれば、そんなチビは飛ぶんだから、引っ掛けてやれ!」
間違ってはいない。
大吾は168cm・54kgしかなかった。父親は180cm、母親は169cm、兄は188cm。
父は元日本代表。兄はサイズ・パワー・スピード・テクニックすべて日本人離れしたA代表&五輪代表の現エース。
いつだったか、母親に『自分は本当にお父さんの子なの?』と訊いた。引っ叩かれるかと思ったが、その代わりにされた悲しい表情。
たぶん、これから先。自分のプロフィールを書いたり、メディカルチェックを受けるたび、その表情を思い出すだろう。
相手ゴールキーパーのその言葉が、心の中に火をつけざるを得ない。
左サイド前方にて大吾はボールを愛撫するかのように、足裏でキープしタメを作った。
その間、2秒ほどであろうか。オーバーラップしてきたサイドバックが大吾を追い越して、センタリングエリアへと駆け抜けた。
大吾はそれに向けてパスを出す仕草をする。相手のディフェンスのひとりがそれに引っかかって、サイドをケアした。キックフェイントだけでマークの一人を外すことに成功した。
正対するディフェンダーはひとりになる。
1対1。
よく日本人は1対1になっても勝負にいかず、パスを選ぶと言われる。極端に責任の所在を誤魔化す、日本の社会がサッカーにも反映されているようであった。
だからシュートを外して戦犯になったりするフォワード、致命的なミスで失点につながるゴールキーパーにこれといった人材が出てこないのであろう。
大吾は右足アウトサイドで、ボールを右斜め前方に差し出した。相対する敵の重心が、ややズレる。そこをインサイドで引っ掛けて、股の間を通す。
股抜き
今、大吾ができる最高の技だ。
そのまま、引っ掛けたボールを今度は逆足の左足でアーリークロスを上げる。弧を描いたクロスは、センターフォワードの頭を正確にとらえた。
だが、絶好球でありすぎるがゆえに、不意を突かれたフォワードのヘディングは、ゴールの枠から外れてしまった。
「ふぅっ」
大吾は一息ついた。結果的には、これで良かったのだ。
自分はドリブル突破に成功して、センタリングを上げてみせた。そこから先はボールを受ける側の仕事。言ってみれば、自分はアピールに成功して、フォワードは失敗した。
加点方式と減点方式。どちらでも、トップチームに上がるのにふさわしいのは自分だろう。チームメートであろうと、数少ないトップチーム昇格の枠を争う敵であるはずだ。
日本にアシストランキングがあるなら、また話は別だけれども。
横浜SCユースの攻撃が、味方のゴールキーパーによって阻止された。
ボールはスローイングで味方ディフェンダーに渡され、アンカーを経由して、また大吾へと渡る。
大吾がドリブル突破を開始した。
大吾はサイズだけではなく、パワーもスピードも一流とは呼べない。
小学校6年生で止まった身長。それまで売りにして来たフィジカルコンタクトを
――だから、テクニックでは負けるわけにはいかない
大吾の技術は同世代を超越していた。技巧だけなら、とっくにトップチームに定着していてもおかしくない。
筋肉の付きにくい華奢な体。食も細く、それが唯一にして致命的な弱点。
「当たれ、当たれ、当たれ!」
敵のキーパーがそう指示する。大吾は3人に囲まれた。
だが、飛び込んでかわされることを恐れたのであろう。だれも積極的にチェックに行かない。
大吾はまたボールをキープして、試合をスローダウンさせた。
いや、スローになったのは大吾だけだった。フィールドの中央の大吾を除いて、目まぐるしくピッチ内は混沌に陥っている。
大吾のキープ力を信頼しているのであろう。キーパーとセンターバックを残して、チームは雪崩の如く前線に向かった。
横浜SCのディフェンスは混乱に陥る。
だれがだれをチェックするのか。ゾーンで守るなら、どこで受け渡し、マークを交代するのか。
大吾を囲む3人も、果たして大吾一人に3人も付いて大丈夫なのかと一瞬戸惑いを隠せない。
だから、その隙をついて、大吾は思いっきりボールを振り抜いた。
天空にひこうき雲を描いたかのようにして、30メートルはあろうかというドライブシュートはネットに吸い込まれた。
昂揚し、特攻隊員の気持ちでこの試合に臨んでいた心臓のBPMが173を記録する。
大吾の特攻は成功した。これ以上ない戦果を伴って。
試合が終わると、MVPには唯一の得点者、向島大吾が選ばれた。チーム関係者が『やったな』と声をかけてくる。『トップ昇格もまとまりそうだ』とも。
左腕で顔の汗を拭う。思わず微笑んでしまいそうだが、心の底からの喜びではない。
――これで終わりじゃない。ここからが始まりなんだ
人は死んだ時に21グラム軽くなるという。
魂の重さ。
――自分の、この燃え滾る想いも、たったそれだけしかないのだろうか?
魂の尊厳
魂の所在
魂の在り処
それは、21グラムどころか168cmの身体、太陽系を包んでもまだ足りないような気がする。
そういうものを探し、発散していく術。
それが向島大吾にとってのサッカー、バロンドールであるかもしれなかった。
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