第6話
堤防に肘を乗せて海浜を一望する。
ザアーン。
潮風に乗ってやってくるのは波の砕ける音。浜辺はサーファーと帰り支度途中の家族連れで人影はまばら。海面は雲間から差し込む夕陽で茜色に染まっている。夜が訪れるまでそう時間はかからさそうだ。
「いや、できるだけ遠くにとは言いましたけど」
乱闘現場から町を走り抜け、田んぼや山を越え、開かれた土地にやってきたかと思えばそこは小さな海浜公園であった。
僕達が通う学校は海が近いところにあるとは話に聞いていたが、こんなところがあったとは。
「海、いいだろ?」
「新鮮ではありますが」
これ、ここからどうやって帰るんだ?
実のところ地方から進学してきたクチなので地理はよくわからない。先輩は地元なのか知っている風ではあるが、自転車を漕ぎまくったせいで疲れ果て、今は地面にへたり込んでいる。
「そもそも土壇場で女子に運転させやがって。承知しねーからな」
口をツンと尖らせて、先輩はそっぽを向いた。
確かに途中で交代するべきだった、と今更ながら後悔する。いくらチンピラ二人を軽くいなす程の運動神経の持ち主とはいえ、体力は消耗するものだ。
「後ろからいやらしい手付きで腰にしがみついてきやがって」
「ずっと荷台の後ろを掴んでいたんですけど」
「意気地無しめ」
先輩の身体に触れることに対し、恐れの方が勝った。少しでも僕に勇気があれば、と、そっち方面でも悔やまれる。
「で」
「ん?」
「どうしてこんなところまで」
喫茶店に行くはずがどうして。
他にも安価で美味しいスイーツ店があったはずだ。先輩も地元民(?)ならその辺はおさえていたはず。なのに、なぜ。
「……なんとなくだ」
ザアーン。
波の音が一際大きく聞こえ、思わず黙りこくってしまう。
しん。と二人の間に沈黙が生まれ、代わりという風に遠くの方からキャッキャッと楽しげな声が聞こえてきた。見れば、夕焼けをバックにカップルが浜辺で追いかけっこをしている。
ええなあ。
青春やなあ。
そのアオハル成分ワシにも分けてくれへんか? なんて遠い目で見守ってしまう。
「砂をかけたくなってきた」
「やめてあげてください」
妖怪砂かけなんとやらである。
先輩は疲れはてたように頭を垂れたかと思うと「よっこらしょういち」立ち上がって僕の横に並んだ。
「お前今『そのアオハル成分ワシにも分けてくれへんか?』って思っただろ」
「な、な、何ですかいきなり」
ここにきて先輩にまさかのエスパー疑惑が浮上した。こ、心が読めるのか……? まずい。
「何がまずいんだ? 言ってみろ」
「はいはいもうこの辺で」
「砂をかけたくなってきたって言うのは」
「はい?」
「砂浜を駆けたくなってきたって意味でもある」
「わかりにくいです」
「あのカップルみたいにかけっこしようぜ」
「えー」
「ほれほれはよ」
ドン、と背中を突かれ、そのままソフトな張り手で堤防の開口部まで押される。力尽きたのでは無かったのか。渋々、ざらざらのコンクリート階段をおそるおそる下った。
「さあ」
砂浜に降りるなり先輩は僕より15メートル位離れた地点でクラウチングスタートの構えをとった。なんだろう……結構な距離があるはずなのに、すぐに取っ捕まりそうな気がする。というか、僕が逃げる方なのか。これ。
「逃げる準備はオーケー?」
「待って。僕はあまり走りたくないんですが」
「よーい、ドン!」
さっきまでの疲弊っぷりはどこへやら。砂塵を巻き上がらせ、先輩は僕に向かってバビュンと一直線に弾いた。ふうむ。これは純粋に怖いぞ。
「わ、あー!」
数テンポ遅れて逃げ始め、でも、あっという間に距離は詰められる。
「ウラァー!」「ぎゃあぁぁ!」背後からタックルされて二人して砂浜でゴロゴロ転がり、そしてマウントポジションをとられた。
「うふふふ。捕まえたぞこの野郎」
「思っていたかけっことちょっと違いますね。これ」
チーターがガゼルを狩るみたいな?
両手の甲をゆっくり砂に打ち付け、降参のポーズをとる。
しかし先輩が一向に退ける様子はなく、むしろ、ぐっと重みが増した。
「逃がさん」
橙色に染まった、艶かしい太股。脇腹を締め付けられ、身動きがとれなくなる。
「おい」
先輩が、腰の上でぐいっと動いた。
それ以上は、ヤバい。生暖かな体温が、臀部の柔らかさが、五感の作用を翻弄する。つまり、その、僕の股間がヤバいことになる。
「固く、なっ」
「何で、ずっと黙ってんだ」
「え?」
声が、少し震えていた。
先輩の顔は夕陽に陰っていてよく見えない。
多分、笑ってなんかいない。
「……おかしいな。ここから下ネタで少し盛り上がる予定だったんですが」
「さっき私を庇っただろ。お前の大事なノートパソコンを盾にして」
「……」
軽口は無視され、唐突に本題となる。
先輩のストレートなところは嫌いでは無いが、ちょっと調子が狂った。
あーあ。黙っていようと思っていたのに。
「壊れたんだろ」
「ちょっとだけ、だと思いますよ」
「嘘つくな」
嘘だった。
あの時、ちょっとどころではない衝撃が鞄にーー正確には、鞄の中のノートパソコンに走った。ディスプレイはおそらくバッキバキだ。
「データは」
「まあ、いいじゃないですか」
「良くない、だろ」
ぽた。頬に、雫が落ちてきた。
冷たいような、温いような。
……これは、駄目だ。どう誤魔化しても良くない。
「USBメモリなりでバックアップを取っておくべきでした。よく考えたら基本でしたよね」
データは、割れたパソコンの中にしかない。
できるだけ正直に、遠回しに答える。
はぐらかしても、嘘をついても看破されるのがオチだ。それに先輩は、遠慮とか、建前とか、そういうのは一切受け付けないだろうから。
「ごめんな」
けど僕は、先輩の口からその言葉を聞きたくは無かった。
自分でもよくわからないが、咄嗟に息ができなくなる程、胸が傷んだ。
「とりあえず、帰りましょうか」
自分が発したその言葉に、自分でも卑怯だと感じた。
この場から逃げようとしているようで、本当に、意気地が無い。
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