第3話 究極の必殺技

 謙吾は呆れた。

 行彦の行動原理には一片の迷いもない。

 自分の正義を信じているからだ。

 行彦は間違っていない。

 正しい行いをしている。

 それは謙吾にも分かっていた。

 だが、それが正しい事かどうかは別だ。

 行彦のやり方は間違っている。

 少なくとも、行彦がやっている事は決して良い結果にはならない。

 その証拠に、今の状況がまさにそうだ。

 行彦が相手にしている暴走族集団・黒走会が、今度は学園祭の準備中に乗り込んできた。

 しかも、行彦が居るクラスに対して嫌がらせを始めた。

 そのせいで学園祭は中止に追い込まれようとしている。

 行彦は学園祭を台無しにする為にやってきた不良達を撃退しようと、彼等の前に立ち塞がった。

 謙吾は怒りを覚えずにはいられなかった。

 何故なら、謙吾も行彦と同じ気持ちを持っていたからである。

 つまり、行彦の正義感は、実は謙吾のそれと非常に近しいものなのである。

 だからこそ、2人は親友として今まで共に過ごしてきたのだ。

 謙吾の息が上がっていた。

 両腕を持ち上げ、肩を大きく上下させる。

 謙吾が加わったことで、戦力差は30対2になったが、依然として劣勢に変わりはなかった。

 このままでは時間の問題だ。

 男の一人が殴りかかってきた。それを行彦が受け止める。

 しかし、すぐに別の男が行彦の背後に回り込み、脇腹を狙って蹴りを入れた。

 行彦の身体が大きくよろめく。

 そこに更に別の男の拳が飛んでくる。

 行彦はそれをかろうじてかわすが、避けきれず、頬に強い衝撃を受けて、顔を思い切り仰け反らせた。

 謙吾は咄嵯に飛び出し、行彦に襲いかかろうとした不良に飛びかかった。

 あっさりと振り払われてしまう。

 地面に倒れた謙吾に向かって、不良達が一斉に襲い掛かってきた。謙吾は直ぐ様身を起こすと、逃げるのではなく逆に男達の中心に向かって行き、一番近くに居た相手の顔面を殴った。

 殴られた男は勢いよく後ろに倒れ込んだ。

 仲間がやられた事で、他の男達は一瞬怯んだ様子を見せた。

 それも束の間、再び彼等は動き出す。

 謙吾は再び走り出した。

 そして、最初に倒した男の上に飛び乗ると、そのままその男を踏みつけながら立ち上がった。

 謙吾の体重が一気にかかり、踏みつけられた男の顔が苦痛に歪む。

 しかし、そんな事に構ってはいられない。

 謙吾はすぐに次の標的を探し、見つけるなり殴りかかる。

 殴り合いは嫌いじゃない。

 むしろ得意分野だ。

 喧嘩のコツは、とにかく相手を殴る事。

 相手を殴り続ける事だ。

 殴れば殴るほど、相手は痛みを感じ、恐怖を覚える。

 だが、相手だって反撃してくる。

 だから、謙吾は相手が攻撃してこなくなるまでひたすら殴り続けた。

 謙吾が暴れ回っているおかげで、不良達の連携が乱れ始めた。

 それでも数の上では圧倒的に不利な状況にある。

 おまけに相手は謙吾よりも体格が良く、力が強い。

 謙吾は必死になって戦った。

 しかし、とうとう限界が訪れた。

 行彦と謙吾は、囲まれないように一旦引くと、お互い背中合わせになる形で構えた。

 状況は変わらない。

 2人を取り囲むように、不良達が取り囲んでいる。

 もう何度同じやり取りを繰り返しただろう? さっきからずっとこの繰り返しだ。

 どうすればいいのか分からない。

「謙吾。お前、何人やった?」

 行彦が言った。

 声音からは疲労の色が窺えた。

 当然だろう。

 行彦は謙吾が駆けつける前から戦っていたのだ。体力的にも精神的にも、そろそろ限界を迎えようとしていた。

「2人かな。何人か殴って、蹴ったけどダウンさせられたかは分からない」

 謙吾も同じように疲れていた。

 呼吸も荒く、額には汗が滲んでいる。

「情けねえな。俺は5人もやってやったぜ」

 行彦は自嘲気味に笑みを浮かべた。

 謙吾には笑う余裕などなかった。

 その時、謙吾の脳裏にある考えが浮かぶ。

 それはあまりにも危険過ぎる賭けだ。

 だが、他に手はない。

「行彦。アレを使おう」

 謙吾の言葉に、行彦は驚いた表情を見せる。顔色が青ざめていくのが分かった。

 謙吾が口にした"アレ"とは、もちろん二人の切り札の事である。

 しかし、行彦の反応を見る限り、その効果は絶大だったようだ。

 確かに、今のこの状況を打破するにはそれしかないかもしれない。

 だが、世の中にはやっていいことと悪いことがある。

「正気か謙吾。あの技の恐ろしさは、俺達が誰よりもよく知っているはずだぞ!」

 そう。

 謙吾と行彦の格闘技経験は、小学校低学年の時からの格闘ゲームから始まっている。

 そして、2人はシュートボクシングジムに通って、そこで様々なトレーニングを受けてきた。真面目にリアルな技を習得すると共に、格闘ゲームの無茶な技の再現を練習し続けてきた。

 その甲斐あって、2人の実力はみるみると上達していった。

 特に謙吾は筋が良いと言われて、将来を嘱望されたものだ。

 だが、ある事件をきっかけに2人が通う格闘技ジムは閉鎖を余儀なくされた。

 その原因となったのが、2人が身に付けた必殺技である。

「だが、このままではジリ貧だ。やるなら今しかない。違うか?」

 謙吾が言うと、行彦は何も言い返せなくなった。

 謙吾の言っている事は正しい。正しいが、行彦の脳裏に無数の男達が倒れている光景が蘇る。血を流し、ボロ雑巾のように転がっている男達の姿が……。

 当時、まだ小学生だった行彦と謙吾は、その真ん中で仁王立ちしていた。

 自分達の周りには、何人もの男達が倒れており、中には死んだように動かない者も居た。

 彼等は全員、行彦と謙吾によって倒された男達だ。

「いや。ダメだ。俺達は誓ったハズだ。もう二度とあの技は使わないって。死んで墓の中に入っても絶対使うなって。約束したじゃないか! アレを使えば、また大勢の人間が傷つく事になるんだぞ。それでもいいのかよ!?」

 行彦は叫んだ。

 謙吾は首を横に振る。

 そして、はっきりと口にした。

 自分が出した答えを。

 それは、行彦にとって最も残酷な言葉だった。

「一度も二度も同じだろ」

 謙吾の口元に薄らと笑みが浮かんでいた。

 まるで勝ち誇ったような笑みだ。

 行彦の身体が大きく震えるのが分かった。

 行彦の顔が絶望の色に染まっていくのが分かる。

 他に方法がないのもまた事実だ。

 それも無理もない。

 あんな恐ろしい技を、もう一度使えという方がどうかしている。

「分かった。封印を解除しよう。だがな、これが俺達の人生で最後だ。これ以上は使えない。もし、使ったら……、その時は……」

 行彦はそこまで言って言葉を詰まらせた。

 それ以上は言わなくても分かっていた。

 謙吾と行彦はお互いに顔を見合わせると、同時に大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 それから、再び不良達に向き直る。

 謙吾は不良達に向き直ると、大きく息を吸い込み、吐き捨てるように言った。

「これから僕達は、一つの必殺技を発動させる」

 男達の間にざわめきが起こる。

 それはそうだ。

 いきなり必殺技発動宣言をしたのだ。驚かない訳がなかった。

「必殺技だと? 手からビームでも出すのか?」

 男の一人がせせら笑い、馬鹿にした口調で言う。

「バカ。そんな生易しいモンじゃねえよ。ここが地獄と化すってのによ」

 行彦は男に対する答えというより、自分への戒めのように呟く。

 謙吾が続ける。

「その名を、スフムシャガ(SUFMSHGA)。これは地球上のあらゆる武術、格闘技にも属さない僕と行彦が考案した唯一無二の技」

 謙吾は真顔で述べる。拳を強く握り締める。

「謙吾。最初のベース(土台)は俺がやろう」

 行彦はそう言うと、謙吾の肩に手を添える。

 謙吾は小さく首肯する。

「頼むよ。行彦」

 行彦は一歩前に進み出ると、謙吾はその背後についた。

 二人の姿が、一つに重なる。

 謙吾は行彦の両肩に手を置くと、自分の体重を預けた。

 行彦は謙吾の重さを感じながら、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 大丈夫だ。

 行ける。

 行彦は自分に言い聞かせた。

 次の瞬間、謙吾は行彦の背中に負ぶさった。

 

 おんぶ


 だった。

 その場に、静寂とともに風が吹き抜ける。

 一体何が起こったのか分からない。

 誰もが呆然としたまま動かなかった。

 男の一人の口から空気が吹き出したかと思えば、一斉に大爆笑が始まった。男達は腹を抱えて笑っている。

 だが、行彦と謙吾には、それが笑われている事などどうでもいいことだった。

 二人は今、過去の記憶と戦っている。

 忘れたい、消し去りたいと願っても決して消えることのない過去との闘いだ。

 その戦いは熾烈を極めていた。

 行彦は目を閉じて、歯を食いしばっていた。

 額からは大量の汗が流れ落ちている。

 一方、謙吾は行彦の背に負ぶさり、静かに目を瞑っていた。

 だが、謙吾は内心では恐怖に打ちひしがれている。

 思い出したくもない。

 あの時、自分達が何をしていたのか……。

 男達の中には、まだ小学生だった謙吾達とケンカして病院送りになった者も多いだろう。

 だが、その事を謙吾は決して覚えていない訳ではない。

 謙吾は知っているのだ。

 自分がやった事は、どんな理由があろうとも許される行為ではないという事に……。

 そして、その罪を背負って生きていくしかないという事も。

 謙吾は目を開くと、目の前に立つ男達を見据える。

 男達は未だ嘲笑っている。

 彼等にとっては、ただのお遊びでしかなかったのかもしれない。

 だから、こんなにも笑える。

 自分達は命懸けで闘ってきた。

 いや、今でも闘っている。

 自分達は弱い。

 だからこそ、身に付けた。

 技術を考えた。

 強さを考えた。

 効率を考えた。。

 そして、今も強くあり続けている。

 謙吾は息を大きく吸い込む。

 もう恐れる事はない。

「謙吾。何が可笑しいんだろうな」

 行彦の達観した口調に、謙吾は不敵に笑んだ。

「そうだよね。この恐ろしい技を見ても笑ってられるなんて、よっぽど肝っ玉が据わってるか、馬鹿かのどちらかだよ」

 謙吾の言葉に、男達の表情が変わる。

 男の一人が進み出る。

 そして、行彦と謙吾に向かって吐き捨てるように言った。

「お友達をおんぶして、何が必殺技だ! ふざけんじゃねえぞ!」

 男は行彦の正面に立って顔を近づける。

 しかし、行彦は微動だにしない。

「バカが。自分から死にに来やがった」

 行彦は呟く。

 次の瞬間、男が悲鳴を上げる。

 腰骨がメキメキと音を立て、身体中の筋肉が硬直していく。

 男は必死に身体を動かそうとするが、両腕もまるで金縛りにあったかのように動けない。

 見れば、自分の身体が両脚で締め上げられている。

 行彦に負われた謙吾の両脚だ。

 足首の先をクロスさせ、力負けしなければ絶対に解けないようにしてある。

 それを差し置いても、脚の筋力は腕の4~5倍という。

 ベンチプレス(腕)をやってみれば分かるが、特別な運動をしていない人なら体重の半分くらいがせいぜいだ。

 だが、脚なら体重の倍はできる。

 男の悲鳴が切れるように止まる。

 なぜなら、行彦が男の首を両手で締め上げ宙に浮かせているから。

 男の身体が小刻みに震え始める。

「な、何だあいつら。ベアハッグとネック・ハンギング・ツリーを同時に決めているぞ」

 多少の格闘技通らしい不良の一人が驚愕の声を漏らす。

 ベアハッグとは、プロレスなどで相手を抱きしめる体勢の事。背骨から肋骨にかけてを圧迫する。その際に相手を持ち上げる事で相手体重が加わり、より強いダメージとなる。

 また、ネック・ハンギング・ツリーは相手の首を両手で掴み、相手の体を宙に吊り上げて頸部を圧迫する。吊り上げられる重力で自然と親指が喉に食い込む形になる。

 行彦は更に頸動脈を圧迫し失神させる絞め方を行う。

 それを、行彦と謙吾は同時に行っているのだ。

 すでに男は口から泡を吹いている。

 このままだと死んでしまうかもしれない。

 だが、行彦の瞳には一切の慈悲がない。

 謙吾は行彦の背中の上で、冷静に状況を見守っていた。

 男が昏倒した瞬間、二人は男をゴミのように投げ捨てる。

 男は完全に白目を剥いていた。

 行彦は謙吾を負ぶったまま、男達の中に自ら入って行く。

 冗談のような見た目だと言うのに、二人の使った技の異様さに、ようやく男達は得体の知れないモノを感じた。

 男の一人が、左から殴りかかってくる。

 行彦は、それを躱すまでもなく、男は突然腹に鋭い痛みを覚える。見れば、自分の脇腹、肝臓に蹴りが突き刺さっている。

 謙吾の脚によるトーキック。

 それは、足の爪先を用いて相手を蹴り込むキックの総称。

 素足での使用には爪先の鍛錬が必要だが、丈夫な靴を履く事で素人にも使える。

 その威力は絶大で、人体に蹴りが刃物のように刺さる。

 男の顔がレバーを蹴られたことで胃袋の中身をひっくり返しそうになると、粘土細工のように変形し、人間が棒切のように飛び背後に居た男達を巻き込んで5mは吹っ飛んでいた。

 行彦によるストレートパンチがクリーンヒットした為だ。

 だが、その威力は凄まじいものだ。

 車にでも跳ねられたかのような強烈なブロー(打撃)に、男達は唖然としている。

「……な、何てパンチ力だ」

 男の一人が言う。

「今更、驚いているよ行彦」

「だから言っただろう。これが、俺達の必殺技だってな」

 行彦は言い放つ。

 格闘技において体重は武器になる。

 それは、体格に恵まれていない者にとって特に重要なものなのだ。

 ボクシングは、階級制の格闘技だ。

 全部で17階級あり、基本的に、それぞれの階級に合わせた体重で試合を行う。その試合に合わせるために、体重を落とすことが「減量」だ。

 体格差は両選手の身長・リーチ・スタミナ・パワーなどに多大な影響を及ぼす。体重が重い階級の選手はそれにともなって身長も大きくなり、リーチなども長くなる。身長は大きくないのに、減量したくないから重い階級で試合するのはかなり不利になってしまい勝ち難くなる。

 そのため、全ての選手は少しでも相手より有利な階級で勝つ為に過酷な減量に挑む。わずか1.8kgや3kgで階級が変わる世界だ。過酷な減量は水分補給すらも制限し、その辛さからトイレに行った際にトイレの水すら飲んでしまうという。

 パンチ力は、基本的に質量×加速度だ。

 重い選手から被弾した場合、クリーンヒットしなかった場合でも相当なダメージを受ける。軽自動車と重いトラックが正面衝突した時、どうなるか。大破するのは軽自動車の方だ。

 ヘビー級チャンピオン・ロッキー・マルシアノとフロイド・パターソンに倒されたライトヘビー級チャンピオン、アーチ・ムーアは言った。

「ヘビー級の左ジャブは、ライトヘビー級のKOパンチに匹敵する」

 と。

 つまり、ミニマム級(47.62kg以下)選手が、ヘビー級(90.72kg以上)ボクサーと戦う事は、死を意味するという事だ。

 5kg違えばパンチが通用しない、10kg違えば勝負にならないとさえ言われるほど、打撃技において重量差というのは大きいのだ。

 二人の身体には贅肉がなく、全身がバネのような筋肉で覆われている。

 二人とも50kg程しかない。

 ライトフライ級かフライ級だが、行彦は謙吾を背負うことで、体重を100kgに増やす。そのウエイトはヘビー級のそれと遜色ない。 

 二人が一つになることで、ヘビー級のパワーを引き出すことに成功したのだ。

 行彦は、謙吾を負ぶった状態で男達の間を駆け抜ける。

 圧倒されていた為、男達が行彦のスピードについていけない。

 そして、すれ違いざまに、謙吾が男達の首にウエスタンラリアットを喰らわせる。

 首を支点に、男達の身体が宙に浮く。ラリアットは食らった相手が倒れる際、後頭部に高い衝撃がかかるため、打撃技であると共に投技の特性もある。

 だが、男達も無意味にやられている訳ではない。

 一人の男が、行彦に向かって拳を振り下ろし、行彦の頬にパンチが入る。

「何だそのパンチは、僕は痛くも痒くもないぞ!」

 背負われた謙吾は叫びながら、男の顎を下から打ち抜く。

「俺は痛いけどな」

 行彦は、小声で訴える。

 謙吾は背中に重い鈍痛を味わっていた。バットによる一撃だ。

「背後から凶器攻撃だと。ハハ、そんなもの俺に効くと思っているのか!」

 背負っている行彦はノリに乗って叫ぶ。

「僕は痛いけどね」

 謙吾は、小声で訴える。

 行彦は左サイドキックを放って、男を蹴り飛ばす。

 サイドキックは高威力 長リーチの蹴り技ではあるが、足が遠くに行くので、膝を曲げて重心を落とさないと、バランスを崩しやすくなり、威力も出ない。

 だから、謙吾は右脚を下ろし、行彦の右脚と合わせて軸足を二本にすることで、バランスも威力も格段に上昇させる。

 男の一人が突っ込んで来る。

 タックル。

 多少サマになっているところを見ると、子供の頃にレスリングや相撲等の組技格闘技経験者かも知れない。

 男は行彦に組み付く。

 クリンチ。

 それは格闘技の立ち技状態において、相手の体に抱きついたり体の一部を掴んで相手の動きやパンチを避けるための技術。

 行彦のパンチ力に恐れをなしての戦法。あるいは転がしてしまえば、後は集団でタコ殴りにするつもりなのかも知れない。

 だが、体重100kgになった行彦は簡単に倒れない、しかも男がタックルを決める前に謙吾は両足を地に下ろし、行彦を支えていた。四本の脚で支えられた行彦が倒れる訳がなかった。

「オイオイ。俺達がただの打撃技しか知らないガキだと思っているのか? この密着状態は危険な距離だぜ」

 行彦は男を左脇にズラす。行彦は右手で相手の左手の甲を掴み、もう左片方の手を相手の肘の下を通す形で自分の前腕を掴み捻り上げる。絡めた腕が支点となるテコの原理で肩関節にダメージを与えることができる。

 アームロック。

 男は肩が引きちぎられそうな痛みに鳴く。そこに謙吾のパンチが胃袋(ストマック)に突き刺さり、男は吐瀉物を撒き散らしながら失神する。

 関節技と打撃技のコンビネーション。

 行彦と謙吾が使うシュートボクシングとは、キックボクシングから派生した格闘技だ。

 パンチ・キックの打撃技に加え、投技および立った状態での関節技(極め技や絞め技)が認められている格闘技で、立技総合格闘技とも呼ばれる。

 男達は焦り始めていた。

 自分達より小柄な二人が、次々と仲間を倒しているのだ。

 しかも、一人は少年を背負っているにも関わらずにだ。

 行彦の息が上がる。

「行彦チェンジだ」

 謙吾の呼びかけに行彦は答えると、背負う者と負われる者の位置が瞬時に変わった。今度は謙吾が行彦を背負い形になった。

「少しインターバルを取らせてもらうぜ」

 行彦は、謙吾の背中から言うが、謙吾は首を横に振る。

 謙吾は行彦に告げる。

「次に行彦を下ろす時は、彼奴等が全員地べたに這った後さ」

 謙吾は、そう言い残して男達の中に飛び込む。

 謙吾は、相手のパンチの威力を利用するカウンターを得意としていた。

 相手のパンチの威力を利用しつつ、自身のパンチを相手に当てる。

 それは、並大抵の事ではない。カウンターは諸刃の剣でありミスればこちらも被害を受ける。だから最大限まで成功率を高めなければならない。相手とのタイミングや癖を見抜いて予測して、それが自分の感覚と一致すればカウンターは高い確率で決まる。

 一人の時は成功率は低かった。

 だが、行彦とコンビを組むことで、その確率は100%に限りなく近いものになる。

 なぜなら――。

 謙吾に男の一人が拳を打ち込んで来る。

 謙吾は構わず突っ込んで行く。

 男のパンチを行彦が反らせる。

 謙吾のストレートパンチが男の顔面を捉えると、男は車に跳ねられた様に飛ぶ。ヘビー級パンチにカウンターがプラスする事で威力は2~3倍に上がり、その複合ダメージは大きい。

 別の男が謙吾の腹を狙って鋭いフックを放つが、行彦の脚に阻まれる。

 男の顔に戸惑いが生まれる。

 何故なら、目の前にいるのは、体格的に劣る少年なのだから。

 男のテンプル(こめかみ)に謙吾の強烈なフックが決まる。

 謙吾は、体重差で勝っている相手にも、臆することなく向かっていく。行彦が防御を担当することで、謙吾は攻撃にのみ集中できるからだ。

 そして、謙吾のカウンターパンチのコンビネーションが冴え渡る。

 男達が倒れるのは時間の問題だった。

 これが、二人の編み出した必殺技。

 その名を、《スーパー・ウルトラ・ファイナル・ミラクル・スペシャル・ハイパー・グレート・アルティメット》 と言う。

 もはや、ネーミングセンスについては当時小学生だった二人が考えたものだけに、何も言えない。

多少格好良くするための、スフムシャガ(SUFMSHGA)という技名も、再帰的頭字語を無理やり読んだものだ。

 だが、その見た目に反して威力は絶大だ。

 ウエイトはヘビー級になり、ウエイトを生かしたパンチ力もヘビー級ボクサーと互角のパワーを持つようになったのだ。

 ハイキックは軸足の踵の返しや腰を回す速さが上がれば上がるほどキック自体も速くなるが、その分バランスを崩しやすくなる。

 しかし、軸足を二本にすることで安定感は抜群に跳ね上がる。バランスを無視した高威力のキックを行うことができる。

 腕が四本になったことで、攻撃と防御が同時に行えるようになっただけでなく、打撃と投げを併用することも関節技や絞技を併用することも可能となった。

 それはどんな格闘技でもなし得ない異次元の技と言える。

 ダメージにおいても、全面と背後の二つに分けることで、バイタリティは二倍になり、背負われている方はインターバルを取り、疲れが出れば負われる側と背負う側とが入れ替わることで、継戦能力を向上させる。

 その戦闘力は、まさに反則級だ。

 その反則級の技を、二人は試合会場で使ってしまった。

 これは、大会関係者にとって悪夢以外の何物でもない。

 会場には、二人の他にも多くの選手がいたが、誰もがリング上の出来事に目を丸くしていた。

 それも当然だろう。

 いくら子供とはいえ、大人が小学生に負けるなど普通では考えられないことなのである。二人が試合会場で暴れた理由は、審判を買収しての誤審審判が横行していたのが許せなかったという理由だ。

 それならば観客のブーイングの中で試合を行えば良かったのだが、二人は正しい審判がされないことが許せなかったのだ。

 相手選手団に対し啖呵を切ると、ルール無用の大乱闘を引き起こし、炸裂させたのがこの必殺技であった。

 結果、死者こそ出なかったものの、重傷者多数で病院送り。

 二人が所属していたジムは、責任を取って閉鎖に追い込まれた。

 無論、誰でもできる技ではない。阿吽の呼吸を持ち、互いが互いの考えていることを自分のことのように理解できるからこそ、この技が完成する。

 行彦と謙吾。

 この二人だからこそできたのだ。

 男達が次々に倒れていく。

 謙吾はカウンターを得意としているだけに、相手の攻撃力を利用しての攻撃だ。つまり威力そのものを相手を利用している為、疲労度は少なく済む。男達の1/3以上を行彦が倒したが、残り2/3近くは謙吾が主体となって倒していった。

 そして、最後の一人になった時、行彦を背負った謙吾は言った。

「――終わりだ!」

 謙吾は男の顎をアッパーカットで打ち抜く。

「止めだ謙吾!」

 行彦に謙吾が応じる。

 謙吾と行彦のダブルハンドブロー。

 腰の回転や引き手の力を活かすことができない突き技だが、同時に二箇所の場所、顔と腹という様に攻撃することができる。

 空手には諸手突き、山突きという技がある。

 これは、人間は本能的に顔面を庇う習性を利用して、本命の腹に突きを決める。一方の攻撃を防御されたとしても、もう一方の突きをヒットさせることができる。

 いや、四本の腕で繰り出されるクアドラプルブローは、もはやどれを防御しようが関係なかった。

 4つ同時に放たれるパンチに対し男は混乱し、防御も攻撃もできなかった。

 男の身体を宙に舞わせた。

 二人の拳は、男を大型トラックに跳ねられたかの如き勢いで吹き飛ばした。

 男は地面に転がる。その勢いは止まらない。回転が止まらない独楽の様に、地面を転がり続け川の縁まで転がってようやく止まった。

 こうして、二人は勝利した。

 しかし、その代償はあまりに大きかった。

 顔の打撲に始まり、学生服には擦過傷や切り傷、泥汚れなどが付きまくっていた。その下は、複数の打撲にアザだらけになっていた。

 だが、そんなものはどうでもよかった。

 男達は全員気絶していた。

 二人は勝利の余韻に浸っていた。

 だが、謙吾はすぐに我に帰り、行彦を地面に下ろす。

 二人は、背中合わせになって、お互いの背中を支え合う。

 男達は、完全に沈黙していた。

 二人は息を整える。

 行彦は、背中の謙吾に声をかける。

 謙吾は言う。

 行彦の背中から。

 行彦は謙吾に言う。

 謙吾の背中から。

「行彦、大丈夫か?」

「ああ……。俺は平気だ。それより謙吾は、どうなんだ」

「僕もさ」

 謙吾と行彦は笑い合った。

 みんなを守れたという勝利の喜びが、痛みを忘れさせていた。

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