仮住まいの建物

「ん…」


どのくらいたっただろうか。


俺ははっとして、ハグを緩めダークエルフの顔を確認する。


永い眠りから覚めたように、閉じられた瞼がゆっくりと開いた。定まらぬ視点が、宙をぼんやりと彷徨っている。


「ミァ! 分かるか、返事をしてくれ!!」

「聞こえますか!? ミァ! 返事をしてください!」


二人のエルフが、必死に叫ぶ。


ミァと呼ばれたダークエルフの目が、ゆっくりとそちらに動いた。


「フレア、エメーラ……」


「そうだ、私もエメーラもここにいるぞ。分かるか?」


「うん」


ダークエルフは頷き、「私……」と不思議そうな顔をする。


「大丈夫だ。何も心配ない。

寒くないか? どこか痛いところはないか?」


「うん、大丈夫……」


ダークエルフの頬に赤みがさす。

どうやら命の危機は免れたらしい。


「良かった。本当に良かった……」

「ミァ……!!」


二人のエルフの呟きに、俺まで涙ぐんでしまった。





吹雪が止むまでの間、俺は三人のエルフとその洞穴で話をした。


三人はそれぞれ、フレア、ミァ、エメーラと名乗った。


赤い髪のリーダー格のエルフが、フレア。

ミァは寒さに倒れていた小柄なダークエルフで、穏やかな雰囲気の金髪エルフがエメーラだ。


彼女たちも、まだホッキョクに来てからはひと月ほどしか経っていないらしい。


「来るまではこんなに寒いところだとは思わなかったよ。しかも今日なんか急にこの大雪だし。

いくら火をつけてもおいつかなくて、あっという間に魔力切れだ」


赤髪のフレアがそう苦笑いする。彼女は指先に火を灯してみせるが、それはマッチでつけたもののように小さく、すぐに穴の外から吹きつける冷たい風に打ち消された。


「三人はどうしてここへ?」


俺はエルフたちを見て尋ねる。


エルフは大抵、住処にしている森から離れない存在だと耳にしたことがある。


寒さに対して対策が万全でないところからしても、それなりに遠い地方から来たのではないだろうか。


俺が尋ねると、ダークエルフのミァと金髪のエメーラは、リーダー格のフレアの顔を窺った。


フレアは二人に頷いて、俺の方を見た。


瞳に宿っている光は、決して敵意を含んだものではない。エルフは情に厚い生き物だと聞くが、俺がミァの救命を手伝ったことで信頼を得たのかもしれない。


フレアが、羽織っていたローブの第一ボタンを外した。


「!」


彼女が俺に見せてきたのは、鎖骨下あたりの肌だった。


「奴隷契約……?」


「そう。私たち三人はある商人の奴隷なんだ」


フレアに倣い、ミァもエメーラも鎖骨あたりの肌を露わにした。


細かい文字が、肌に刻印されている。明らかに奴隷契約の魔法印だった。


「ホッキョクへは、魔鉱石を採掘するためにやってきた。ここでしか取れない鉱石がある上に、まだ手がつけられていない鉱脈もたくさん残っていると聞いてね。

あと一週間もすれば、我々のあるじがこの近くの村まで迎えに来る。

その時までに大量の鉱石を採掘して、私たち自身を、主人である奴隷商人から買い戻すんだ」


フレアの瞳には決意がみなぎっていた。


フレアは故郷の森が燃え、住処を失ったことによって。

ミァとエメーラは、それぞれの親に売られたことによって。


三人は全く別の場所で暮らしを送っていたが、同じ奴隷商人のもとで管理されるようになり出会ったそうだ。


「奴隷には他のエルフもいたんだけど、この二人とだけ気が合ったんだよ。

それで今回のホッキョク行きも、三人だけで話し合って主人と交渉したんだ」


エメーラが頷いて、微笑む。フレアとエメーラは歳がほとんど変わらないように見え、まるで仲の良い姉妹のようだった。


ミァだけが少し幼く見える。人間で言うと、8~10歳くらいだろうか。顔はほとんど無表情だけど、甘えるようにエメーラの体にくっついている。


「そうだったんだ」


「ああ。だが、なかなか鉱石の採掘も捗っていなくてな。焦っているところにこの吹雪だ。魔力も切れてしまって、もうだめだと思った。

ありがとう、アドラス。君は私たちの命の恩人だ」


「いや、たまたまだから」


面と向かって感謝され、照れてしまう。


グライゴッド家にいた頃にはこんなことまったくなかった。


もはや十六年間一緒に暮らしていた向こうの人たちよりも、さっき会ったばかりのこのエルフたちの方が打ち解けられている気さえした。


「アドラスさんは、どうしてここへ来たのですか?」


エメーラが尋ねてくる。


俺は簡潔に、自分の身の上を話した。


スキルが得られなくて家を追い出されたこと。つい数時間前に転移魔法で移動してきて、あやうく死にかけたところで『氷人』を覚醒したこと。


それを聞いてエメーラが目を丸くする。


「スキルを覚醒したばかりだったのか?」


「うん、そうなんだ」


「へぇ……てっきりもう何年も前から氷人のスキルを獲得していたのかと思った。それでスキルを活かすためにホッキョクへ来たのかと」


「ううん、全然。転移陣でいきなり放り出されたもんだから、あまりの寒さに死にかけたよ。話には聞いてたけど、思っていた以上にホッキョクの寒さってやばいね」


フレアが快活に笑った。


「はは。ほんとそうだよな。私たちも、来るんじゃなかったって何度後悔したことか」


まるで、長年い付き合いがある友人たちと話しているみたいだった。


同じ状況に置かれているということもあるのか、種族の垣根を感じることもなく気楽に言葉を交すことができた。


「おっ、あがったみたいだな」


気が付くと、洞窟の外は明るくなっていた。あれほど吹き付けていた吹雪はぴたりと止み、空からは穏やかな光が降り注いでいる。


「ミァ、歩けそうか?」


フレアが気遣うと、ミァはこくりと頷いた。


しっかり者の長女と、少し歳の離れた甘えん坊の末っ子。

それを優しく見守る、控えめな次女。


三人の関係性はそんな風に見えた。

奴隷エルフという共通項しか持たない赤の他人同士とは全く思えなかった。


ここに来るまでにも、色々な試練を乗り越えて、絆を深めてきたのかもしれない。


「じゃあ行こう。アドラスも一緒に来ないか? 近くに、私たちが仮住まいにしている家があるんだ。

というか、ぜひ来てもらいたい。また途中で吹雪にあったりしたら私たちの方がやばいし、それにできればお礼もしたいから」


フレアが不安そうに言う。


そんな顔をしなくとも、俺も別にどこか急いで向かうべきところがあるわけではないからちょうどいい。

なにもあの男が用意した屋敷でなくとも、寒さがしのげる場所であれば問題はないわけだし。


「わかった。じゃあお供させてもらうよ」


「よかった。すまないな」


フレアがほっとしたように、笑った。


俺も素直に笑顔を返す。自分の顔に自然にこういう表情が浮かんだことに、少なからず驚く。

今までの人生ではまったくなかったことだ。よほど委縮させられる家にいたのだなと思い知らされる。


「じゃあ行こう、出発だ」


三人のエルフに続いて、俺は洞穴を出た。





吹雪が降る前よりも、地面に積る雪はさらに分厚くなっていた。


しかし体は軽い。俺はミァの体を救ったかもしれないけれど、心を救われたのは俺の方かもしれなかった。


スキルによって寒さには強くなったものの、三人に出会わなければ、極寒の僻地に独りぼっちという状況は変わらなかった。


フレアもエメーラも何度も感謝の言葉をくれたけれど、こちらこそだな。



「アドラスさん、あの建物です!」


ひたすらに歩くと、木製の建物が見えてきた。

二階建てで、それなりに大きい。


「すごい……こんなところに住んでいるんだ」


三人の主人である奴隷商人の所有物なのかもしれない。

この建物ならば、俺が一泊くらいお世話になったとしても問題はなさそうだな。


思わず呟いた俺に、隣にいたエメーラがほほ笑む。


「たまたま通りがかったときに見つけたんです。鍵もかかっていなくて、中の様子ではもう何年も、誰も住んでいないようでした。

だから中を綺麗にして、勝手にお邪魔させてもらってるんです。あまり褒められたことではないんですけどね」


申し訳なさそうな表情で、エメーラは言葉を続ける。


「帰りにお礼の手紙と、採掘した鉱石を幾つかせめて残してから立ち去ろうって決めて、仮住まいにさせてもらっています」


「ああ、そうなんだ」


俺は納得して頷いた。


「まぁ持ち主がどう思うかは分からないけれど、何年も使ってないんだったら別にいいんじゃないかな。

それにここは極限の土地なんだし、さすがにこんなお屋敷を見つけて外で眠るなんて選択はとれないでしょ。

たぶん持ち主がいて中に住んでいたとしても、事情を話せば泊めてくれたはずだよ。

だからそんなに気にしなくていいんじゃないかな」


「そう言ってもらえると救われます。優しいですね、アドラスさん」と彼女は表情を緩めた。


ダークエルフのミァは、何も言わずじっとこちらを見つめている。


洞窟で話しているときも感じたが、ミァは子供のような見た目には似合わず、とても寡黙だった。


俺がいるからかなと最初は不安に思ったが、フレアとエメーラによれば、普段からこの感じらしい。


「よし、かえってきたぞー!」


先頭のフレアが扉を開け、家の中に向かって叫んだ。


俺とエメーラは、顔を見合せて笑った。


「いつもああするんです」


「そうなんだ」


そしてフレアに続いて、扉の前にある木の段差を上り中へ向かう。


そのとき玄関扉の横に刻まれた文字が目に入った。


『……ん???』

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