聞こえた声
行き詰まりには、ちょっとした空間が広がっていた。今からこの四人で楽しくダンスでも踊れそうなくらいの大きさの。もちろんそんなことをする雰囲気でも間柄でもないが。
魔術師が指に灯した火、その明かりによって、行き詰まりの壁に描かれた模様が目に入る。
魔法陣。
年季の入りようからして、今日昨日で描かれたものではないとわかる。もう何十年も前から、ここにあるとは聞いていた。所有する僻地へとつながっている、転移陣があることを。
もちろん転移は高度で危険な魔術だから、滅多なことでは使われない。今回北の僻地に俺を送るにあたって馬車ではなくこれが使われていることには、ぱっと考えるだけでも三つくらいの理由を思いつく。
一つ。俺が飛ばされる極寒の辺境『ホッキョク』は、馬で行けるほどの近距離ではない。
二つ。転移自体に危険が生じるとしても、俺の身の安全なんてどうでもいい。
三つ。今すぐにこの家から消えろ、二度と帰って来るな。
たぶんこんな感じだ。腹は立つが、ここにいても逆らえないのは目に見えている。
だったらいっそ、二度と干渉されないような僻地に飛ばされるというのは考えようによってはメリットしかないのかもしれない。
まぁ「ホッキョク」という極限の地で自分がどれほど生き延びられるのかすら分からないのだが。
俺がぐずぐずと考えている間に、魔術師は躊躇なく作業を進めた。どこからか取り出した壺、その中の透明な液体を壁にぶちまけ、呪文を唱え始める。
しばらくして、魔法陣が反応し始めた。古代の文明が目を覚ましているかのような、異様な迫力。光と煙。シューシューと音を立てて、魔法陣が輝きを増す。
壁がドロリと溶け、不気味な穴が出現した。
「お待たせしました。どうぞおはいりください」
魔術師の一人が言う。
俺は穴を見る。奥からは、微かにごぉーという音が聞こえてくる。背中がぞくぞくする。直感で、ここが自分の人生の分岐点なのだと分かる。これをくぐれば、昨日までとは全く違う生活を過ごすことになるだろう。その覚悟が、今の自分にはあるだろうか。
でも。
『行くしかない。今の俺に、選択の余地などないのだから』
無理やり言い聞かせる。そして穴の中へ、足を踏み出した。
穴を通ると、奇妙な感覚があった。
まるで水の中に入ったときのような、穴の外と内の空間に質感の差を感じる。
ブヨンッ。
低い、奇妙な音がして振り返ると、通った穴に黒い膜が張られていた。半透明で、向こう側が透けてみる。魔術師三人が立ったまま、何か話し合っていた。声は聞こえないが、口が動いているのがわかる。
「この先を進めばいいんだよな?」
俺は不安になって、真っ暗な穴の先を指差して三人に問う。
だが魔術師は、誰も返事をしなかった。
『聞こえてないのか?』
俺は膜に近づく。
膜を隔ててすぐ近くにいるのに、誰も俺を見ようとしなかった。どうやら向こう側からは、こちらが見えていないようだ。
黒い膜を通して、微かに音が聞こえてくる。俺は膜に耳を近づけて、その音を聞いた。魔術師三人が、会話をしている声だった。
「壊すのか、この魔法陣を」
「ああ。ハーン様の命令だ。従わないわけにはいかない」
別の魔術師が言った。
「だが……二度と行き来はできなくなる。いいのか? 本当に」
「ハーン様が決めたことだ。つべこべ言わずやるぞ」
一人の魔術師が壁に何かつぶやき始めると、残りの二人もそれに従った。
やがて黒い膜はだんだんと濃くなっていき、完全に向こうが見えなくなった。
俺は手を伸ばし、触れる。
膜ではなく、ただの壁になっていた。
つまり、魔法陣は閉じられたのだ。しかも今の話だと、今後は行き来もできなくなる。
『どうやら安否を確かめるための使者を送るつもりすらないらしい』
俺ははっきりと自覚した。
自分はたった今、完全に捨てられたのだと。
縁を切られたという悲しみや辛さはほとんどなく、肩の重荷がおりたという清々しさすらあった。
『よし。何とかホッキョクで生き抜くぞ』
俺は壁に背を向けて、穴の中を一歩ずつ進んでいった。
しばらく歩くと視界の先に真っ白な光が見えた。
『出口だ』
気持がいよいよ高ぶって、その白い点まで走る。
「うわっ!!」
穴の外には、辺り一面の銀世界。加えて、細かい雪が鋭く降っている。
ディルセゥト国にいたときも、毎年冬になればうっすらと積るくらいの雪は降った。
しかしここまで白い世界は見たことがない。
「すげー……」
俺はその世界に見惚れ、何の考えも持たず踏み出してしまった。
次の瞬間。
全身に刺すような痛み。
「なっ」
俺は思わず、地面にしゃがみこむ。
寒いなんてもんじゃない。痛い!!
直接肌に氷を押し付けられているみたいだ。
呼吸すると、喉に痛みが張り付く。
俺は慌てて、穴の中に戻ろうとする。
しかし背後を振り返ると。
『!!!』
穴などどこにもない。後ろにはただ、雪を被った岩があるだけだった。
どうやらあの空間全てが、転移の魔法陣によってつくられたものだったらしい。
だから出口寸前まで、寒さを全く感じなかったのか。
『くそっ!!』
嘘みたいに、体が震え始める。
『このままだと、死ぬ!!!』
アイテム袋から慌てて衣類を取り出し、体に巻き付ける。しかしそれほどあたたかくなるわけではない。
頭の締め付けられるような痛みがピークに達し、意識が遠のいていく。
人間の住める場所ではないとは聞いていたが、まさか降り立った瞬間にその危険にさらされてるとは。
ハーンの顔が浮かぶ。最初からあの人は、こうなっていることが分かっていたのか。ろくな説明もなく、準備する時間すら与えないで送り飛ばし、出た瞬間に命を奪おうとするなんて。
直接手をかけるも同然の所業だ。
「く、そ……」
その時だった。
――スキルが覚醒しました。
……は?
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