ノックの音

「はい」


俺は返答する。


「アドラス様。こちらの準備が整いました。中庭においでくださいませ」


「すぐに行く」


急かされている。


俺は収納魔法がかけられた、普段自分が使っているアイテム袋の中へ目についたものを次々に放り込んだ。

容量はそれほど大きくはないが、重さは格段に軽くなる。

必要最低限の衣類や身の回りの日用品などは全てそれに収納することができた。



部屋を出ると、廊下の向こう側から音が聞こえてくる。


カツ、カツ、カツ……


この嫌味ったらしく、わざと立てているとしか思えないブーツの音は一人しかない。


「良かったね、兄さん。土地を与えられたそうじゃないか」


弟のレオン。細面に、銀色の前髪を垂らしている。

学園ではイケメンだと噂されていたが、俺はどうも弟の顔形が好きになれない。性格も相まって、狡猾な狐にしか見えないからだ。


「それも『ホッキョク』。兄さんが羨ましいよ。まだ手付かずの土地がそのまま与えられるなんて。

開拓し放題じゃないか」


声だけきくと親しみを持って話しかけてくれているようだが、目には冷笑が灯っている。


「ありがとう、レオン。向こうで安定した生活が送れるよう、頑張ってみるよ」


「そうだね。この家のことは気にしなくていいから。十年でも二十年でも、いっそのこと向こうで骨をうずめるくらいの気持ちで取り組んだらいいんじゃないかな」


ようは、この家に帰ってくるなと。


「ああ。じゃあな、レオン」


「うん」


横を通り過ぎようとしたその瞬間だった。


「……っ!」


脛に強烈な痛み。


衝撃で地面に転がる。


顔に影がかかる。

狡猾な狐が、見下ろしていた。


「その飄々とした態度がむかつくんだよ」


「うっ」


腹に、顔に、蹴りがとんでくる。


芋虫のように蹲る。歯を食いしばる。


嵐が止んだかのような静寂。気が済んだのか、と思ったら。


髪を掴まれ、力づくで顔をあげさせられる。


家族に向けるものとは思えない顔が、目の前にあった。

憎悪に血走った目、醜く歪んだ唇。


「あんたが行く先は地獄だ。戻ってこれると思うなよ」


俺の頭を床に叩きつけ、レオンは廊下を歩いていった。


俺は顔を上げ、曲がり角に消えるその背中を目に焼き付ける。


『覚えてろよ』


ぽたぽたと床に血が落ちた。


俺は袖で乱暴に鼻を拭い、立ち上がった。




中庭へ行くと、既に三人の魔術師が集まっていた。魔術師たちは殴られてひどいことになっているだろう俺の顔を見てはっとしたが、詮索はしてこなかった。厄介事には関わりたくないと、どの魔術師の顔にもはっきりと書いてあった。


「アドラス様。どうぞこちらへ」


中庭のはじにある穴を、一人の魔術師が示す。普段は重い蓋がかぶさっているが、今はそれが開けられていた。穴にははしごがかかっている。


「手を滑らさぬよう、しっかりと握ってください」


「わかった」


魔術師の一人が先に行き、その後に続けと言われ、降りる。後ろの二人が、俺が下りていくさまを確かめてから後についてくる。


『別に今さら逃げやしないよ』


あの男の指示なのだろうが、居心地が悪くて仕方がない。


二十段くらいあっただろうか。梯子を下りると、底までたどりついた。あるで井戸のようだが、底まで降りるとそこから横穴が伸びている。


前と後ろをがっちり魔術師に挟まれ、俺は奥へと進む。


「ここです」


先を行く魔術師が、そう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る