2007年のツンデレ彼女

千八軒@瞑想中(´-ω-`)

2007年のツンデレ彼女


『ねぇ、ひまじん。何してるの?』


 今年も残り数時間で終わろうかという年の瀬の夜。毎年代わり映えのしない大晦日番組を、みかん片手にぼんやりと眺めていた彼の携帯にかかって来たコールは、いつもどおり憮然とした声の彼女でした。


『紅白見てる』

『ふうん。おもしろい?』

『おもしろいよ。お前見てないの?』


 彼女は『興味ない』とだけ言いました。本当に興味がないのでしょう、そのまま電話口で黙り込んでしまいました。

 彼は電話を耳に当てたまま、目と意識はテレビ画面を追っていました。


『ねぇ、なんか言ってよ』

『なんかって何だよ』

『なんかって言ったらなんかよ。そんなの自分で考えなさいよ』


 彼と彼女の付き合いは長く、いわゆる幼馴染という関係です。これでも幼いころは兄妹同然に育った仲でした。

『じゃ、『なんか』……これでいい?』

『ッ!!……死ね、馬鹿!』


 ぶつりという音と共に唐突に切られます。

 彼は完全に接続が切られていることを確認するとテーブルの上に携帯を投げ出し、意識をテレビに戻しました。


 数分後、また彼の携帯にコールがかかりました。彼が好んで使用している一昔前の海外のロックアーティストの着信音です。CD音源と大差のない歌メロディ全盛の今、電子音丸出しの単音がテーブルの上で鳴り響きました。


『寒い』


 着信はやはり彼女からでした。やはり機嫌の悪そうな憮然とした声でした。


『暖房つけれ』

『暖房無い』

『嘘つけ。いつからお前んちはそんな貧乏になった』

『星が綺麗です。冬の大三角形も、さそり座アンタレスも輝いています』

『今日たしか月が大きいから星あんまり見えないだろ。っていうかお前外にいるの?』

『うん』

『馬鹿、何してんだよ。風邪引くぞ』

『馬鹿は風邪引きません』

『屁理屈言ってんじゃねーよ』


 彼はそこでやっとコタツから這い出しました。


『今どこに居るんだよ』

『何処でしょうか。私にも分かりません。ただ一面銀世界です。凍死するかもしれません。死んだらあんたのせいだって遺書書くから覚悟しなさいよ』

『あ?まさか迷子になったんじゃないだろうな。外にいるってことはお前、おばさん達と○○神宮行ってるんじゃないのか?』


 彼女の家では毎年家族そろって近所の神社に初詣に行くのが通例でした。彼ももちろんそれを知っていて、彼女は彼女の家族と一緒に居るものだと思ったのでした。


『うん。迷子になった。周り知ってる人誰もいない。お金も無い。ここ何処かもわかんない。どうしようか。どうしようもないね。このままここで白い雪像になって死ぬね。今までアリガトウ。あんたなんか大嫌いだったよ、五十二回と半分、豚に喰われて死ね、ファックオフ』


 彼女はそれだけ言うとまたしても唐突にぶつりと電話を切ってしまいました。

 彼は半分惚けたような顔で電話を耳に当てた姿勢のまま固まっていました。彼女は以前からなかなかにエキセントリックな性格でよく彼を困惑させるのです。


「うぜぇ……」


 そういう彼の表情にはしっかりと苦渋の相が出ていました。

 しかし、彼はなんだかんだと言いながらジャケットを羽織り、マフラーを巻き外に出かけていくのです。


 彼の両親は共に仕事で留守でした。彼は誰もいない家に「行ってきます」と一声だけかけ外に飛び出しました。

 彼女の言うとおり、外は確かに一面の銀世界でした。彼が家の中に閉じこもってテレビに興じている間にいつの間にか降り積もっていたのでしょう。粉雪のようなきめの細かい雪がちらりちらりと降っていました。


 彼は内心舌打ちしました。この天気では危なくてとても自転車は使えません。彼女のいる筈の○○神宮までは徒歩では三十分近くもかかってしまいます。

 彼は夜の寒さに身震いしました。これは不味い。そう思いました。

 彼は彼女のことを考えます。彼の知る彼女は確か寒さにはトンと弱いはずです。すぐ風邪を引いてしまうような子でした。

 彼女は一度風邪を引くと長引くのです。長い付き合いで彼はそれを知っていました。


『走っていくしかない』


 そう、彼が悲壮な決心して徐々にテンションを上げ、走り出そうとした時です。門柱の影に赤い鮮やかなものが見えました。


 その影は、彼の方を伺っているようでした。本人は隠れようとしているのでしょうがその着物の柄が鮮やか過ぎてちっとも隠れていません。


「……うぉい」

 赤い振袖を着たその影はビクリと体を震わせました。

「にゃ、にゃ~ご……」


「なんだ、ネコか」

 この近所には野良猫が比較的多いのです。彼も気が乗った時は残飯をあげるくらいです。正月ともなればネコも振袖ぐらいは着るのでしょう。彼は『事実は小説よりも奇であるなぁ』と考え通り過ぎました。


「って納得しないでよっ!!」

「うるさいっ。こんなとこで何してんだ、この馬鹿!」

「ま、迷子になってたのよ」

「人の家の真ん前で?」

「う、うん」

「そんな晴れ着着て?」

「な、何か文句ある?」

「神宮までここから2キロ以上あるのに?」

「不思議な裏道通ってきたのよ。それこそネコしか知らないような不思議な裏道」


 彼はため息をつきました。

「お前さ。前から思ってたけど」

「なによ」

「馬鹿だろ」

「あんたほどじゃないわ」

「お前には負ける」


 彼は、はっきりとそう言いきりました。彼女はとても不満そうでやはり憮然とした表情でした。

「ほら、頭に雪積もってる」

 彼は彼女の頭を軽くはたきました。彼女は冷たい雪が背中に入り込んだのか『冷たい』とむずがりました。


「あのさ。初詣行きたいならもっとまともに誘えって」

 彼は彼女の寒さでいつもより白くなった頬を撫でながら言いました。彼女の頬は本当に冷たくなってしまっていて、彼は何かいたたまれない気分になりました。

「は?何で私があんたと一緒に初詣に行きたがらないと行けないのよ」


 彼女はそういって頭一つ分高い彼の顔を睨み付けました。

「むしろあんたが私に頼んで来るべきです。『愛する貴女様と一緒に今年最初で最後の年越しデートをさせてくださいまし』って」

 どう見ても彼女の目は本気です。彼は少しだけ頭が痛くなりました。


 彼女は赤い花と鳥の図柄の振袖を着ていました。赤地に白と金の刺繍が良く映えていました。小柄な彼女の白い肌にそれはよく似合っていました。

「これどう?」

「何が」

「これこれ」

「だからなにがさ」


 彼女はこれみよがしにすそを持ってくるりとターンを決めたりしました。


「この格好に決ってるでしょうが、ほんっとに馬鹿ね」

「いいじゃねーの」

 彼はできるだけそっけない風を装って歩き出しました。後ろから不満そうな彼女の声が聞こえます。

「ちょっとどこいくのよ」

「○○神宮。初詣行くんだろ?」


 彼はほら、と彼女に手を差し伸べました。彼女は少し迷った末にその手を取りました。


「君、手冷やっこい」

「お前の方こそ冷えすぎだろ。風邪引くぞ、馬鹿」

 こうすれば寒くないだろ。そういって彼は彼女とつないだ手を自分のジャケットのポケットの中に入れました。

 急に距離が近くなった彼女は少し顔を赤らめたようでしたが、しばらくすると諦めたようで大人しく彼に寄り添って歩き出しました。


 彼はそっぽを向いていました。

 ふたりは粉雪のちらちらと舞い散る夜を歩きます。ふたりの吐く息が白く立ち上って行きます。ふたり分の雪を踏みしめる音が静寂の世界に穏やかに響いていきます。


「ねぇ」

「なんだよ」


 彼女が呟きました。

「あたしのこと好き?」

 彼は応えません。


 彼女は下を向いています。ただ閑々とした雪の降る音と二人の足音だけが聞こえます。

 彼のポケットの中で握られた彼女の手からするりと力が抜けていくのが感じられました。

 彼はその気配を察し、その手を逃がさないように、ぎゅっと握りました。彼女の体が少しだけ震えるのが分かりました。


「嫌いなわけ、ないだろ」

「……ひねくれ者」

「お互い様だ」


 彼らの行く先ににぎやかな音と光りが見えてきました。○○神宮は沢山の灯篭とちょうちんに彩られてその場所自体が光りを放っているようでした。人の楽しそうな声が聞こえてきました。かがり火の熱気も感じられます。


「あ、除夜の鐘」

「お、ほんとだな」


 ゆっくりと、穏やかに、この雪の世界に染みとおるような鐘の音が聞こえてきました。

 鐘の音は静かに夜の街に響いていきます。この時ばかりは犬もネコも人間もすべての生き物に平等なのです。


「今年も一年。ありがとう」

 彼女が言います。


「うん。来年も、一緒に居られたらいいな」

「……どうしてもって言うなら、しょうがないから一緒に居てあげてもいいわよ」

 二人は楽しそうに笑いあいます。


 雪と鐘の音は若い恋人達を見守ります。この空の下、すべての人の下に平等に雪と鐘の音は降り注ぐのです。


 彼と彼女は、笑いながら、ふざけ合いながら歩いて行きます。

 願わくば、彼らがいつまでも幸せに共に歩いていけることを雪と鐘の音はいつまでも祝福するのでした。

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