第11話 もう一人のアンドロメダ

 その声や姿は、まさにヒューベルトその人であり、わたくしは思わず目が潤むのがわかります。元気で快活な彼を見ていると、こんなにも心が安らぐのだと気づかされました。ひょっとすると彼はこのゲームの中に閉じ込められているのでしょうか? そう思い魔力で探ってみましたが、全く何の気配も感じることはできません。良子様に指示を受けながら、物語を進めていきます。


「共通ルート長いんだよね、このゲーム。でも最初からやらないと意味がわかんないと思うし」


 夜になるまでゲームを続けていきますが、物語の前半は聖女ベガ様が各地を回って穢れを浄化していくと言う過程が描かれていました。その中でルセウス殿下や他の攻略対象の殿方たちと関係を深めていきます。ヒューベルトは騎士団長の息子の友人、という立場で登場しました。物語の中核にはあまり関係のない存在らしいです。


「アンドロメダの幼馴染で、彼女に報われない恋をする悲しいサブキャラね。物語の幕間として彼女たちの語らいも描かれていくわ」


 覚えのある会話とやり取り。わたくしたちの人生の一部が確かにそこで切り取られるようにして存在していました。違うとしたら表情の豊かさや背景、音楽といった点でしょうか。ただ会話の大筋はほとんど記憶の通りです。


 そして物語は進み、婚約破棄の場面に行き当たります。聖女様はそこでは一連の出来事についてまったく知らされておらず、殿下と国王陛下の姦計によって追いつめられるアンドロメダ。彼女は獄中からいつの間にか消えており、再び現れたときには悪役令嬢として変わり果てた姿になっています。ヒューベルトの姿は途中から見なくなり、物語はルセウス殿下とやり取りが増え、彼と聖女に対して恨みを抱く悪役令嬢が二人の前に立ちはだかります。この辺りはもう、現実とはいろいろ食い違っていますわね。


「私の行動がちょっとおかしかったからねぇ。ルセウスもゲームでは剣を持ちだして刺そうとまではしなかったし」


 現実ではベガ様との関係よりもわたくしへの恨みつらみや嫉妬の方が上回り、といったところでしょうか。アンドロメダが消えていた時期の出来事がわたくしにとっては途方もなく長く辛い日々で、彼女が悪に堕ちた理由も正直とても共感してしまいます。


 ただ一つ違う点としては、この世界の『レベル』という強さを示す数値は上限が『99』まで。わたくしの至った『レベル9999の悪役令嬢』という立場がいかに異常であったかがわかります。敵として現れるアンドロメダもそれほどまでの強さではないですから。


 長く続けていると大分気力を消耗してしまいました。良子様から一度休むように言われ、お風呂を借りて夜ごはんまでごちそうになってしまいます。夕飯はコンビニというところで買った色んなパンやお菓子などをテーブルにたくさん並べて楽しく食事をします。中には魔界で手に入れたものと同じものがあり、ちょっと懐かしくなってしまいました。色々とこれまでのことをお話しながら少しくだけた会話もします。


「タピオカ師匠という魔物が一番の強敵でしたわ」


「あはは、なにそれ。でも『テンキラ』って魔物のネーミングが結構アレなんだよね」


 元聖女の良子様とこんなに和やかなやりとりを交わすことができるとは思ってもみませんでした。ざっくばらんで身分を感じさせない彼女の態度はやはりどこか聖女様を感じさせるところもあります。夜になったので一度眠ることにしましたが、わたくしはやはりヒューベルトのことが気になってしまい、お借りしたベットの上から抜け出し、誰もいないお部屋でこっそりとゲームの続きをします。


「やむを得ずとはいえ、ルセウス殿下と恋愛するのは何とも言えず辛いものがありますわね」


 攻略情報というものを教えていただいたところ、とにかく彼になるべく好かれなくてはいけない。物語を正しく進めることで悪役令嬢も現れるから、とのこと。そしていくつもある筋書きの中で、ヒューベルトの出番が最も多いのがこのルセウス殿下ルートということでした。


 そしてとにかく話を先に進め続けた、ようやくヒューベルトの姿が現われます。彼は悪役令嬢として魔に身を落とした彼女の前に幾度となく立ちふさがります。


「元の君に戻ってくれ。本当のアンはそんな残酷なことができる子じゃない。俺の、俺のアンドロメダは復讐で誰かを傷つけたりするなんてこと、しないはずだ」


「ヒュー、わたくしはもう、この手を血に染めてしまいました。もう貴方のアンには戻れません。わたくしに残されているのはあの愚かな王子と全ての元凶となった聖女を引き裂くという望みしかありません」


 誠実で優しいヒューベルトらしい言葉。そして闇に染まった悪役令嬢。復讐で殿下を追い詰めたわたくしを見れば、きっと彼はこの話のように止めてくれたのでしょう。わたくしは、筋書きとは違えど同じような状態に陥っていたようです。そして、運命の時は訪れます。


 ベガ様の胸を貫こうとしたヒューベルト、その前に立ちふさがった彼の胸をわたくしの、アンドロメダが持つ剣が、深々と突き刺さってしまいます。血にまみれ、倒れ伏した彼を前にして正気に戻るアンドロメダ。


「いやぁぁぁ、ヒューベルト、どうしてこんな、醜いわたくしのためなんかに!」


「アン、俺は……お前のことが好きだ」


 胸を突きさすような、愛の言葉でした。


「幼い頃、はじめて出会った君に、俺はすっかり心を奪われた。君と話していると世界が華やいで、胸が躍るのを感じた。君の横に立ち、恥ずかしくない人間になれるように、ただそれだけのために俺の人生はあったんだ。君のことが好きで、好きでたまらない。幼かった俺は、どうやったら君の気を引けるかをずっと考えて、やんちゃなことばかりしていた」


 アンドロメダは泣きながら彼の胸の傷に治癒魔法をかけます。


「君のために何かできることがないか、全く分かりもせずに、ただ力になりたいと馬鹿のようにそれだけを囁くしかなかった。本当の俺は、ただ君の関心を引いて必要としてほしいだけの、ちっぽけな男だったんだ」


 わたくしは、ただ彼の言葉を聞きます。


「ルセウス殿下になんて、君を渡さない。アンドロメダは俺のものだ。あの婚約破棄の場で、俺は……胸の中で燃え続けていたのは醜い嫉妬と欲望の感情だった。きみを貶め信じることのない、あの愚かな男を引き裂き、殺すことだけを考えていた。きみを奪って逃げ去り、もしもそれを許さない世界ならば、滅んでしまえばいいとすら思った。この国全てを焼き尽くして燃やし尽くす、そんな妄想だって頭の中で何度となく思い浮かべた」


「ヒュー、わたくしは、わたくしは」


「俺にだってこんな醜い感情がある。誰にだってある、だから、たとえどのような身に堕ちても、きみは美しく……愛しい、俺だけの」


 彼の生命の鼓動が徐々に弱まっていきます。悪役令嬢の魔の力が宿った剣の傷はどうやってもふさがることはなく、血はどこまでも広がっていきます。


「いやぁぁ、ヒュー、ヒューベルト!」


 いや、もうやめて。お願い、誰か、彼を助けて。


「……愛している、アン。きみはいつだって誰よりも綺麗だ」


 目から失われていく光。身体から抜けていく力。そうして、ヒューベルトの呼吸は永遠に止まります。そして、二度と彼が目を覚ますことはなく。


 わたくしは、その状態でしばらくの間、動くことはできなくなりました。ただ涙だけが静かに目から流れ落ちてきて、ずっと止まらず、部屋に戻ってベットの中で声を殺しながら泣き続けました。愚かなアンドロメダ。復讐に囚われるよりも、他にもっと大切なものがあったでしょ? 命がけで自分を愛してくれたあの人を、彼と共に生きる、ただそれだけで良かったのに。救われない末路を辿った悪役令嬢があまりにも情けなく、みじめで、そして哀れでした。

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