第10話 悪役令嬢、現代日本に降臨します

 かって聖女としてふるまっていた彼女は、本来の肉体の持ち主が目覚め、今では実家に戻られて穏やかに暮らしています。自分を取り戻した彼女は聖なる力の一切は失われていました。生来のベガ様は朗らかでとても人当たりの良い方でした。色々とお話もさせていただきましたが、気づけば得体のしれない他人に身体を支配されていた、とのこと。


 お願いして、彼女の身体と魂を調べさせてもらいました。ベガ様の肉体に残っている聖女の魂の残滓。それを遡ると、天上へと続く淡い道のようなものが存在していることがわかります。どこまでもどこまでも長く続くその道を辿っていけば、その向こう側に行けるかもしれない。果てしなく遠い道のりではありましたが、一度魔界に堕ちた身ですから天界や異世界にだって行く位なんでもありませんわよね。それに一度聖女様が地上に降りてきた以上、そこまで届かない距離だとは思いません。魔物と戦う位覚悟の上です。


 後のことは魔王様に託し、覚悟を決めて転移魔法を使います。高く高く、遠く遠く、どこまでも続いていくその道の先には遠い夜空が広がっていて、幻想的な光景の果てに、巨大な光り輝く世界へとたどり着きました。気が付けば、見知らぬ土地に降り立っており、なんだかやかましく、騒がしい気配に満ちた場所に身を置いていました。わたくしは割と簡単に、別世界に転移してしまったようです。まぁ魔界との行き来を思えばそこまで難しいはずがありませんわね。周囲の人々はわたくしの理解とは少々異なる文化の民のようで、少々格好が目立っているようでしたので姿を消して行動することにします。不思議と言語は理解することができ、どうもあの魔界での奇妙な文字と同じ言語を使用していることがわかります。


 聖女様の所在は気配を辿れば見つけることは造作もありませんでした。小さな建物の中に多数の人々が暮らす集合住居のような場所。普通には入ることができないようでしたので、空中を浮かび聖女様のお部屋の窓をノックしてみることにしました。しばらくすると、中の女性が窓を開け顔を覗かせます。どこか見覚えのある平凡な顔立ちの女性でした。


「あら、あなたがベガ様だったのですね?」


「いっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 絶叫でした。

 まぁ仕方がありませんけれど。



 彼女の本名は白木良子様とおっしゃるそうです。明らかに異なる言語でやり取りをしているのですが不思議と会話は成り立っています。どうも同時翻訳的な力が働いているようで、一度魔界に堕ちたわたくしの力なのか、良子様の力なのかは定かではありません。


「わ、悪かったわよ。許して。ごめんなさい」


 彼女はわたくしをお部屋に招き入れて、非常に申し訳なさそうに頭を下げてきます。ベガ様であった頃とはあまりにも人が変わっており、わたくしの方こそ急に現われて驚かせてしまったことを謝罪いたします。そもそも聖女とは何か、一体どうしてわたくしたちの世界に来られたのかなどをまずは質問しました。


「気が付くと、いつの間にか、かな」


 彼女曰く、仕事で精神的に病んでいた頃、不思議な夢を見たかと思うと、自分の知る物語の世界で聖女ベガになっていたと言います。それだけではさっぱり意味がわかりませんが、どうやらこの世界にはわたくしたちの世界が物語として存在しているらしく、女性が愛好されるゲームの一種として知られていたそうです。そのお話のタイトルは『天に綺羅めく絆』。

 聖女ベガになって、ルセウス殿下をはじめ様々な殿方との恋愛物語を楽しむ内容らしいです。その物語の中には「悪役令嬢」としてアンドロメダ・ヴィオーラも登場し、ヒロインであるベガ様の前に現われる敵対存在として物語の要所で出現した人物らしいです。


「王子さまの婚約者で、婚約破棄の結果魔界の力に魅入られて、世界に災いをもたらす存在になるの。でも貴方はそんなに恐ろしい存在には見えないわね」


 いえ、そうでもありませんわよ? 

 人の心を操り、その気になれば人間を無茶苦茶にする力がありますし、悪しき存在だと言われると否定しきれないところがあります。


 物語にはいくつかの異なる筋があり、ルセウス殿下を攻略する場合に通る物語とほとんど同じ筋で様々な出来事が起こったようです。


「失礼ですが、あのルセウス殿下とよく恋愛される気になりましたわね。相当ですわよ、あの御方」


「うん、それは知ってる。でもあの糞雑魚で頭のおかしいところも可愛いっていうか、なんか自分よりもダメな人間を見ていると妙にホッとしない?」


 何と返して良いのやら。殿下をお相手とした恋愛物語など願い下げですが、どうもそうした人間的な欠陥や問題のある男性をいかに癒して心を開き改心させていくか、というところがそのお話の魅力だったようです。


「ヒロインが徹底的に甘やかして甘やかして、ちょっとだけ叱ってそれでようやく過去の罪を告白してね、シナリオの最後の最後までおバカな王子さまなんだけど、それなりに幸せな結末になるんだ。それでヒロインは王妃になって尻に敷く」


「やっぱりそういう人ですわよね、彼は」


「アンドロメダ・ヴィオーラはどちらかと言えば、王子に振り回された被害者。でも、彼女は魔界で闇の力に染まってしまい心を失うの。そして、まぁそこからはヒロインが負けちゃったから筋書きは意味をなさなくなった、ってことかしらね」


 良子さまは少しだけ言葉を濁します。アンドロメダの末路は何となく察せられますね。本来は聖女に倒されて死んでしまう、といったところでしょうか。


「アンは人気のあるキャラで、私も貴方のことが大好きだったわ。綺麗で素敵で闇堕ちした後の黒いドレス姿も可愛かった」


 急にベタ褒めされますと、どういう顔をしてよいかわかりませんわ。でも、ここに来た本来の目的はわたくしのことよりもヒューベルトのことなんですの。彼の魂の行方を求めて来た、と告げると良子さまは非常に難しい顔をされます。


「ごめん、私にはわからない。この世界には魔力も魔法も存在しないの。ヒューベルトのその後は物語にも……いえ、なんていったらいいかな」


 あまり良くないことを隠していらっしゃる、そんな様子でした。

 良子様いわく、ヒューベルトに回復魔法を施したのは彼女だったようです。物語の筋書きである「悪役令嬢を追放」に従いつつアンドロメダを保護するつもりで、周りの人間を必要以上に傷つける気などなく、ただ気が大きくなっていただけということでした。


 その「悪役令嬢を追放」の部分でピンポイントに被害を受けた者としては大変複雑ではありますけど、突然物語の世界に飛ばされて本来とは別の自分になり聖女として力を得る、という体験は確かに人の心を変えるには十分な出来事かもしれませんわね。


 かくいう私も、レベル9999の悪役令嬢となって聖女をこらしめた際にはとんでもなく高揚しており、殿下を裁いた際には残酷で冷酷な己に支配されていました。人心を魔法で操作し都合よく利用している現状にしても、異常な状況です。幸い誰かを殺めることはしませんでしたが、殺さなければ何をしても許されるわけではない。復讐心に猛っていた時期は過ぎ去っており、後にあるのは何とも言えない苦み走った暗い気持ちだけでした。良子さまを一方的に責められる立場ではありませんわね。現在進行で私は罪を犯していると言えるのですから。


「良子様、そのゲームについてなのですけれど、わたくしに触れさせていただけないでしょうか」


 彼女はためらう様子を見せましたが、こちらの意思が固いことを知って諦めるように頷きました。ただその前にお昼が近いと言うことでランチをごちそうになります。


「お嬢様が口にするような立派なものは出せないけど、何か食べたいものはある?」


「あ、でしたら『ラーメン』というものはあります?」

 

 魔界で魔物から入手したあの食べ物。わたくしの世界では存在しなかった料理ですが、こちらの世界にならひょっとして存在するんじゃないかと思ったのです。「インスタントで悪いけど」と言われましたが、それはわたくしの記憶通りのラーメンであり、具材は色々違っていましたが独特の濃い風味と味付けを久しぶりに味わうことが出来て嬉しかったですわ。あの辛い日々の中少しでも気を紛らわすことが出来たのはこの味と出会ったからとも言えます。


 それから良子様からゲーム機という物を貸していただき、何か灰色の鏡のような板に移る流麗な音楽とわたくしの知っているルセウス殿下の顔と声が流れてきました。何と言いますか、恐ろしく奇妙な感覚です。物語を遊ぶのが目的ではなく、ヒューベルトのことを知るのが目的です。彼の存在は最初は出てきませんでしたが、悪役令嬢アンドロメダに絡み、ようやく姿を現わします。


「アン、きみとまた話すことが出来てうれしい」

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