第5話 タピオカ師匠が現われた!
それは行く先々で時折見つかる、小さな光の玉でした。『記録』の光とどこか類似性を感じ、自分にとって有益なものであることを察して見つけては持ち歩いていましたが、やがてその効果に気づきます。夜眠る際に、その光の玉を誤って潰してしまったことがありました。
失敗した、と残念な気持ちになったものですが、眠りに着くと懐かしいヒューベルトの姿が浮かびます。それは幼い頃の彼との思い出で、わたくしは夢の中では小さな子どもになって、彼といっしょにどこまでもどこまでも駆けていきました。
それはただの夢というのはあまりにも明瞭で色濃く、ふと光る玉を壊したことを思い出し、次に眠りに付いた際にも同じことを繰り返してみました。すると、再びヒューベルトとの思い出が鮮明に浮かんできて彼と楽しく過ごす子ども時代を堪能することが出来ました。これはきっと、自分にとって愛しい記憶を見せる道具なのでしょう。
夢を見ては楽しい気持ちになり、目覚めては涙を流します。こんな風に自分の心を慰めても、彼が救われるわけではないのです。それでもわたくしはこの甘い夢の中に浸り続けるしかありません。光る玉を見つけては大事に大事に持ち歩きます。
遠き日の思い出だけが、わたくしの荒んだ心を光につなぎとめてくれます。
いつの間にか、手に入れた食料はなんでも口にするようになっていました。魔物も死んで消滅するのでなければ、いずれ口にしていた可能性すらあります。慣れと好奇心。この世界についても様々な考察を立て、調査し研究を重ねています。ここはあるいは、わたくしが使った魔法が暴走してたどり着いた魔の領域、目の前に浮かぶ文字で示された『魔界』と呼ばれる世界なのではないかと考えます。
『悪役令嬢』という意味だけはよくわかりませんが、聖女様や殿下らにとってはわたくしは紛れもなく『悪役』なのかもしれません。闇の魔法を使役し、魔物たちをことごとく食らい尽くす。いっそ『魔女』としてもらった方が今の自分にはふさわしいのではないかと思えます。
そして、繰り返しの日々はやがて終わりを迎えます。それまで途方もなく遠くにあったこの世界で唯一の建造物についにたどり着いたのです。あまりに長く不毛な旅でした。いつの間にやらレベルは上りに上がっていましたし、魔法の種類もこの世界に来る前の軽く数百倍は覚えていました。でも、これでもあの聖女にはかなわない。限界まで、果てに至るまで力を付けなくては。だって彼女はわたくしよりずっとずっと強いのですから。
わたくしがもっと強ければ、誰にも負けないほどの魔法を使えていれば、あの悔しい思いを二度としなくて済む。お城の中に入っても強力な魔物はどんどん湧いてきて、わたくしは歪んだ笑みを浮かべます。
「ごきげんよう、よろしければわたくしの糧になっていただけます?」
きっと間近で見ればとても恐ろしい顔をしているでしょうね。あまりに虚ろで行き場のない憎しみだけが胸の中に空いた穴をどんどん広げていきます。お城の中はとても広く、とにかく上の階を目指します。
不気味なことと言えば、魔物たちがどんどんおかしくなっていくことですね。名前も『未設定』となっており、姿かたちがラーメンやお菓子などアイテムのそれだったりと、明らかに異質なのです。せっかく良い笑顔を浮かべても食べ物相手にすごんでいてはただのおかしな人ですわね。
ここに来て、このよくわからない世界の茶目っ気のようなものに救われます。
わたくし、この時点ではまだ少し和む余裕もあったんです。いい加減な世界ですが、どこかユーモアもある光景にひととき現実を忘れて、奇妙な夢の中にいるような心地でした。
そんな心の緩みと油断。頑張ればどうにかなる、そんな淡い期待と希望を打ち砕く敵が突如現われたのです。
『タピオカ師匠が現われた!』
その魔物を形容すると、黒くて表面が艶々していて、ぶよっとした感じの巨大な球体でした。スライムに似ていますわね。ただ空中に浮かんでおり、真っ黒い炎のようなものが立ち上っています。
ここまでの敵のほとんどは『未設定』と呼称される存在でしたが、意味は不明ながら具体的な名称、ここに来ての独自造形ともなると、多少警戒は致します。
しばらく様子を見てみますと、このタピオカ師匠。攻撃方法はただの体当たりのみでこちら側のダメージは0、その代わりこちらが殴っても同じくダメージ数値0、魔法攻撃でのみダメージを与えられるようでした。そして一定のダメージを与えると『全回復』します。
変わった特性ね、と思いながらもさほどの脅威ではないことを感じます。
ですが、タピオカ師匠の恐ろしさはここからでした。ひたすら攻撃魔法でダメージを与えても全回復を繰り返し、延々とそれを続けるのです。
極大魔法や多種多様な恐ろしい闇魔法を駆使してダメージを増強しようとしますが、表示される数値は『999999』固定。一撃では倒せず、たちまち回復するので終わりが見えない状態です。
ただ相手に底が見えずとも、こちらには魔力の限界があります。回復アイテムを使い、余力を保とうとするのですが、攻撃すれども果ては無し。次第にわたくしは焦り、余裕を失っていきます。魔力回復手段を失った時点で軽い頭痛を覚えます。これは、まずいですわ。
逃げようとしても不可、相手へのダメージ手段は魔法のみ、そして魔力の回復方法も……少し呼吸を落ち着け、大量の魔法の中で何か有効になるものがないかを検証します。その結果、『魔力吸収』というドレイン系の魔法に行き当たります。
ほとんど使ったことがありませんでしたが、幸いにもタピオカ師匠の魔力を吸収することが出来ました。
こちらに魔力の底がある以上、あちらにも限界はあるはず。それだけを頼りに戦いを続けていきますが、やがて『タピオカ師匠は全回復を使った! しかし何も起こらない』という状態に陥ります。ようやく終わりが見えた、と魔法攻撃を繰り返します。
ですがこのタピオカ師匠。体力の数値も相当なようで、繰り返し魔法をぶつけてもびくともしません。どこまでも平然とした状態で無意味な体当たりと回復しない『全回復』を続け、わたくしは徐々に焦りを覚えます。
お待ちになって。これはいったいどこで終わりが見えてきますの?
彼の魔力が枯渇した以上、こちらも魔力を回復する手段はなし、ダメージを与えられるのは魔法のみ。そしてお互いに通常攻撃ではダメージ0、今現在何かしら意味を持っているのはわたくしの攻撃魔法のみ。だけど、これで倒しきれなかったら?
魔力を節約し、毎ターンダメージ蓄積タイプの毒魔法などを使いますが、こちらは効果はやがて切れることに加えてダメージ数値は低い。まだ攻撃魔法を調整しながら限界数値を叩きだす方がマシでした。補助魔法や様々なからめ手もほとんど意味をなさず、ただ時間だけが流れていきます。
「どうしよう、どうしたらいいの」
魔力の残り数値が目減りし、もはやあと数回しか攻撃はできません。その数回の内に倒せればそれで終わりですが、もし倒せなかったら? だんだんと身体に震えが走ります。確認しても回復アイテムはなし、状況を打破できそうな魔法もなし。ここに来て、わたくしは一旦攻撃の手を止めひたすらに思考を繰り広げます。
この状況はほぼ『詰み』なのでは?
これまでの戦いはいずれも明確な終わりがあり、倒されても記録した地点に戻されるだけでレベルや経験値が減るといったペナルティもなし。死への恐れはありましたが、生き返ることがわかっていれば耐えられないものではありません。
だけど、もしも終わりがなかったら?
逃げられない。攻撃できない。倒せない、倒されない。それでもさながら永久機関のようにタピオカ師匠は動作を繰り返します。わたくしも魔力が尽きればもはや相手を殴るよりほかはありません。
果てがない。この状態でおよそ数時間に相当する時間が流れ、わたくしは激しい疲労を感じます。この不可思議世界では肉体的な疲れはなくとも、精神は疲弊するのです。いっそ眠ってしまえればよいのですが、戦闘中は座ることや地面に横になることは一切できません。直立したまま考えるだけ。
考えても考えても悪い想像しか浮かびません。ひょっとしたら、わたくし、とんでもない地獄に堕とされたのではないかと気づきます。一歩間違えれば『永遠』の中に閉じ込められる。それも立ったまま魔物との体当たりのような動作を繰り返す牢獄です。
これまではどれだけ長い戦いと言えども終わりはきました。けれど、半永久的に終わりのない可能性に行き当たるとはさすがに想像はできません。できるはずがありませんわ。だって、物事には必ず終わりがありますもの、限界がありますもの、でも、その終わりがなかったら?
すさまじい悪寒が背筋を走ります。恐怖と不安をこらえながらも、最後にできる選択肢である攻撃魔法を打ち続けます。一度二度三度、お願い倒れて、倒れて。祈るような気持ちで攻撃を繰り返します。もはや頭の中はぐちゃぐちゃになり壊れる寸前ですが、それでもかろうじて大好きな人たちの顔を思い浮かべ、必ず終わりは来ると信じます。神に祈ります。
『魔力が足りない!』
あまりにも無慈悲な文言。
現実が受け入れられず、ただ「え?」と呟きます。
この魔界の中で、地獄の中で、諦めず、何かを変えようと努力を続け。
きっと彼に会えるのだと、それだけを信じて。
わたくしは。
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