第6話 もういいですわ、わたくし人間やめます。

 泣いて泣いて、泣きじゃくって絶望に咽び、あらゆる罵詈雑言を天に向かって投げかけます。けれど泣けど喚けど救いはなく。どうしてこんな目に遭わなくてはいけないのでしょうか? ひたすら状況に耐え、頑張ってきたのに。ここに至るまでにもっと慎重に動いていれば。しかし、今となっては後の祭り。


 疲れました。うんざり。もはや、我慢の限界です。

 世の中がいかに理不尽で、優しくないかを、これでもかと思い知らされました。


 もういいですわ、わたくし人間やめます。


 頭の中でブチッ、と何かが音を立てて切れました。

 不思議と奇妙な覚悟が生まれ、燃える炎のように胸の内側で滾るのを感じます。


 ようやく気づきました。

 世界が理不尽なら、わたくしがそれを越える理不尽になればいいのですわ。


 その後、ひたすらタピオカ師匠との殴り合いを繰り広げることになりました。もちろんお互いの攻撃で相手が傷つくことは一切ございません。ダメージ0です。ターン数表示だけがどんどん積み重なっていきます。えぇ、この行為に意味なんてありません。もうヤケです。他にどうしろって言うんですの? 


 そんなわけで延々と同じことを繰り返し続けます。そのうちパンチやキック、頭突きといった攻撃手段も覚え、何かしら変化が出ないかを検討し、試行錯誤し、ただ野蛮で原始的なやりとりを重ねます。動物にでもなったような気持ちでぽかすかします。


 タピオカ師匠に恨みはありませんが、詰んだのは彼のせいですから仕方がありません。そしてそのうち、黒い艶やかな表面の中に次々憎い彼らの顔が思い浮かびます。国王、聖女様、殿下。わたくしはだんだんと奇声を発し大声を上げるようになり、ひたすらに吠え続けました。


 よくも、よくもよくもよくもよくも。恨みが、憎しみが、怒りが、延々と湧き上がります。絶望を越えて思考が焼き切れるんじゃないかというほどにただ魂を焦がします。それで何かが変わるわけでもありませんでしたが、他にできることはなく。

 

 でも泣いて過ごすよりはきっといくらかマシです。ひたすらにタピオカ師匠のたぷたぷとした身体にぶつかっていきます。意味があろうとなかろうともはや関係ありません。時間の流れはわかりませんが、体感的には朝も昼も夜もずっとずっと殴り合いを続けます。数日は余裕で経過したでしょう。我ながらよく精神崩壊しなかったものです。そしてそんなヤケクソ気味な行動の果てに、奇跡が起こります。 


『9999ターンが経過しました。ゲームオーバー』


 その文言と共に『死』は訪れ、わたくしは『記録』の場所まで戻されます。もはや幾度も幾度も見た温かい光の前で、わたくしは絶叫します。歓喜と興奮。あの地獄のような時間から突如として開放されたのです。


 終わりはある、何事にも果てはあるのだ。無意味ではない、続けることに意味はある。そしてひとしきり騒いだ後、わたくしは神に祈りを捧げました。あぁ、この世界にわたくしを生み出してくださって、ありがとうございます。全てのことに感謝をし、そして同時に再び立ち上がる勇気を抱いて前を向きます。もはや恐れるものはありません。ただ戦いに身を投じていくのみです。


 タピオカ師匠は文字通り、わたくしにとっての『心の師』になりました。もはや他のすべての魔物は物の数ではありません。所詮はわかりやすいダメージが通るただの甘いお菓子や食材に過ぎないのです。


 まず、タピオカ師匠の出てくるフロアより一度下の階層に戻り、アイテムの補充とレベルをひたすらに上げに上げ続けます。数値化されている世界ですもの、恐らく準備さえあればきっと打破は可能なのです。そして再び彼と相対した際に、わたくしはひるまず戦いを挑みました。もちろんそう簡単には行きませんでしたが、ここからはもはやただの意地の張り合いであり、限界への挑戦に他なりません。


 やがて、世界は一つの大いなる区切りを迎えます。


『タピオカ師匠を倒した!』

 

 その表示と共に入ってくる大量の経験値。そしてドロップアイテムの『タピオカドリンク』。魔物から手に入れた食料を口にすることにもはや一片のためらいもありません。突き刺さっている筒状の棒を引き抜き、蓋を投げ捨ててその飲み物を一気に喉に流し込みます。むせました。なにやらぶよっとした固まりがいくつも口の中に入ってきて地獄です。終わってもなお油断するなという師匠からの忠告でしょう。


 口当たりは最悪ですが、どこか晴れ晴れとしたような気持ちで次の階層へと向かいます。悪魔でも魔王でもかかってらっしゃい。粉微塵にしてやりますわ。どこか夢見心地のような足取りで先へと進みます。もはやわたくしに恐れるものなどなにもなし。ですが一つの困難を乗り越えたからと言って油断や増長は禁物。そう、気が大きくなった時に限って、自分がいかに甘かったことを気づかされるものです。


『タピオカ師匠×4が現われた!』

 

 うふふ。あはははは。もう、師匠ったら。勘弁してください。だけど、そうですわね、油断や隙があるから足元をすくわれるのです。やるのなら、何事も徹底的にやらなくてはいけません。


 多数の師匠との『死合い』を繰り広げ、突き進んでいった結果、やがて四天王と名乗る存在ともぶち当たります。彼らは名前こそあれども姿かたちは人間の形をそのまま影にしたような物体であり、ゴチャゴチャ安っぽい挑発を口にします。けれど、あなどるなかれ。世界は全てどこまでも理不尽で恐ろしいものでしてよ。


 数々の強敵との戦いを経て、いつしかわたくしのレベルは『9999』に到達しました。特に感慨はありません。数値の変化がなくなった、それだけです。一つの区切りが訪れたからといって、それで何が変わることもなく、ただ平常心とどのような敵に対しても慌てず、油断せず、最大限の警戒をもって戦いに挑むのみです。


 進み続けることが出来たのは、終わりがあるからです。本当の恐怖とは、終わりのないこと。


 そして最上階、王の広間と思われる場所に『彼』は居ました。


「良く来たな、■□■□よ。我はこの魔界を統べる魔王である。ここで無惨な死を遂げるか、それともわが妻となるか、どちらか好きな方を選ぶが良い」


 魔王、と名乗っている通り真っ黒で不気味な服装をしていますし、黒いお角はそれらしいのですが、見た目だけで言えばさほど恐ろしくはありません。人間の男性が少し変わった格好をしているような塩梅です。ただその容姿が、とんでもなくわたくしの感情を逆なでする人物そのものでした。

 

「ふふふっ、あははっ」

 

 その巡り合わせに、あまりの皮肉さに、なんだか急におかしくなって笑ってしまいます。どうしてかわかりませんけれど、人間ってあんまりに下らない目に遭うともう感覚がマヒしてきて物事を面白がるしかないんでしょうね。もちろん、本当に愉快なわけはないのですが。


 ただ憎くて、憎過ぎて、いっそ愛おしい。そんな喜びと、自身の体に収めきれないほどの怒りが、憎しみで胸の中がいっぱいでした。このわたくしの中に溜まりに溜まったそれを、一気に解放できる場面が、ついに訪れたのでした。


「あぁ。うふふ、うふふふふふっ。お会いしたかったですわ『ルセウス殿下』。わたくし、わたくし、わ、わたくし。よくも、よくも、よくも―――わたくしの、わたくしの、わたくしの大切なヒューベルトを、傷つけましたわね」

 

 ここでわたくしが『彼』に何をしたかは詳しくは語れません。ただ魔王とおっしゃる通り随分と『長持ち』される方だったので思う存分に、思いつく限りのありとあらゆる手段と魔法によって叩き潰させていただきました。


 軽く記憶が飛んでおり、ものすごく長い時間戦っていたようにも思えますし、一瞬だった気も……いえ、ごめんなさい、さすがにそれはありませんわ。思いっきり憂さ晴らしさせていただきました。タピオカ師匠と違い、彼はとても魅力的で素晴らしい容姿と反応がありましたから、ついついわたくしも興奮してしまいましたの。はしたないですわ。


 というわけで、もはや見る影もないほどにボロッカスになった魔王様ですが、多少申し訳なくなりましたので魔法を使って、元の形にまで復元させてさしあげました。よく見ればルセウス殿下のようでいてちょっと顔立ちは違っています。表情と言うかお顔の筋肉の使い方が違っておられるのですよね。小憎たらしさというかイライラする感じが随分薄めですわ。


 用心のため『従属化』と呼ばれる魔法を使用させていただきました。これを戦闘中に使うと効果が届く魔物はどこかに逃げ去っていくのです。魔王様の場合は「我は魔王ペセウス。我が主よ、何なりと命令するが良いぞ」と大変に従順な態度を見せてきました。なるほど、こうなるのですかと少し感心しつつ、壊しつくした身としてはほんのりと罪の意識が湧きますわね。


 しかし、ペセウスってどこかで聞いたことがありますわね。ヒューベルトの家で飼っていた犬の名前だったかしら。


「ところで、この世界から脱出する方法ってご存知ありませんかしら、魔王様」


 転移魔法を使っても、元の世界との接点が見つからないため正直手詰まりでした。


「うむ、それではこちらの水晶に触れるが良い」


 それは巨大な水晶でした。『記録』の玉を思わせる光に極めて高純度な魔力が宿っています。魅入られるようにそれに触れると、まばゆい光に包まれました。


 戻ったのは私の良く知る世界でした。


 あまりに彩りに満ち溢れていて、雑多で、いっそ過剰とも言うべき世界の装飾具合。木々が、草花が、陽の光が、風が、小鳥の鳴き声が、ありとあらゆる命の鼓動を感じます。寒さや匂いを感じ、頬をつねると痛みがしました。


 何と言いますか、恐ろしく手間がかかった割には、最後はどこまでもあっさりとしていますわね。これまで一体どれほどの長い間、あの無味乾燥な世界で過ごしたのでしょう。感覚的には数年以上経過していてもおかしくありません。


 わたくしの外見は変化していないようですけれど、あるいはこちらでは、もう数十年も経過しているかもしれません。そうだったらどうしましょう。復讐ができませんわ。八つ裂きにしてあげられません。うふふ、ヒューベルト、もしもあなたがもうこの世界に居なければ、わたくしはこの世界を壊してしまうかもしれません。


 ヒューベルト、今どこに居るの?


「我が主よ、これよりどこへ向かうのだ?」


 あら魔王様、いらしたの。この世界で見ると格好がちょっと滑稽ですわ。

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