第4話 一番大事なもの
迷ったときはヒューベルトならどうするだろう、と考えながら行動します。子どもの頃は良く言えば無邪気で勇ましく、悪く言えば無謀で猪突猛進。元気のかたまりのような男の子で、こちらもつられて庭を駆けまわり、楽しく遊びました。
小さな頃だからこそ許された、短い遊び。成長するにつれてそれが許されないことだと学び、本を読み手芸を嗜み美術を鑑賞するなどといった趣味に浸ります。だけど心のどこかで物足りない、なんて考えていました。
「魔法の研究はしないのか?」
成長してから再会した彼にそんなことを言われて、わたくしは首をかしげました。
そんなこと専門家でもないのにする必要はありません。
「小さい頃言ってたじゃないか。自分は魔法が大好きだから大きくなったら王立研究所で魔法の研究家になるって」
「そんなことを言っていたかしら?」
自分の頬に手を当てて考え込む。ヒューベルトと過ごした日々の中でひょっとしたらそんな言葉を戯れに口にしていたかもしれません。無意識に蓋をしていたような思い出に、どこか息が詰まるような思いがしました。
すでにその頃ルセウス殿下との婚約が交わされており、王妃となるための勉強や教育がはじまっていました。魔法の勉強にも時間を割いていましたが、心のゆとりや余裕など一切なく、ただ与えられた課題をこなしていく日々。
「アンは才能がある。きっと誰にも使えない魔法を発見するよ」
そんなことを冗談めかして言ってきて、少しだけ「からかわれているのね」とムッとしたものですが、後になってからそれも悪くはない、と考えを少しだけ改めます。振り返ってみれば、自分の中で確かに未知なものへの好奇心や魔法への探求心のようなものがくすぶっていて、誰もがたどり着いたことのない領域に、宇宙に手を伸ばすこと、そんな想像をすると心の中が夜空に浮かんだ星々がきらめくような、とても素敵な気持ちになるのを感じました。
それからは魔法の勉強の傍ら、ほんの少しだけ空いた時間を利用して魔法の実験を行ったり、新しい魔法や弱くてあまり活用されていない魔法の使い道を考えたりと研究のまねごとをはじめます。短い間の手慰みでしたが、この自由に心を解放する時間はわたくしにとって本当にかけがえのない、自分だけのものでした。
あぁ、ずっと魔法の研究をしていたい。他の事なんて本当は全部投げ出してしまいたい。そんな悲しい気持ちを振り払いながらも、ただ前に進みました。
それからというもの、わたくしはヒューベルトと顔を合わせる機会を見つけては、自分の思ったことや悩みのようなものをぽつりと口にするようになりました。王妃教育が辛いこと、本当は魔法の研究が好きでずっとそれだけをしていたいこと、などを淡々と呟くようなものです。彼は黙ってわたくしの言葉に耳を傾け、「俺にできることがあれば何でも力になる」と返してくれました。
わたくしを取り巻く世界や状況を変えることなんて何もできはしません。これが「俺が何とかしてやる」とか「王妃などやめてしまえ」といった言葉なら彼に対して頑なになっていったかもしれませんが、ヒューベルトはただ「出来ることはないか」と聞いて、ただ話に耳を傾けてくれます。これはどうしようもない、自分の運命。国を守る王妃となることはなによりも誉れとなること。そう言い聞かせていても自身の本当の気持ちは、少しずつ胸の中のひび割れからしみ出していきます。
「辛いの、もう何もかも投げ出してしまいたい」
「俺の出来ることなら、なんでも言え。お前がどんな決断をしても、俺だけはお前の味方になってやる」
どうしてそこまで言ってくれるのでしょうね。時折、何か彼の得になることでもあるのかといろいろ疑ったりもしていましたが、話し相手としての彼を手放すことは一切できず、ただ一緒にお茶を飲んで話をして愚痴を聞いてもらうというだけで、わたくしの心はスッと晴れたのです。どういう思惑があっても、理由があっても、彼の事が自分の中でいつしか欠かせない存在となっていきます。
出会うたびにどこか不機嫌そうな顔をして「きみはいつだって優秀だからな」「悩みなんて欠片もないんだろう」などというルセウス殿下の言葉。時には冷たいとすら言えるような態度。彼が心を閉ざしていたのは過去の出来事も関係していたように思います。
殿下は幼い頃に双子の兄君を亡くしていました。
大人たちが目を離したほんの短い間に、崖から転落し頭を打って命を落とした哀れな王子。魂の半身とも言うべき存在を失い、王位継承者としての責務と重圧にたった一人で耐えるルセウス殿下。そんな彼の支えとなって生きることは大変な誉れとなるはずでした。
それはひいては国の為、みんなの為。顔も知れない大勢の民の中に、ヒューベルトの笑顔を思い浮かべると、とても温かい気持ちになりました。
わたくしにとって、一番大事だったのは果たして誰だったのでしょう。
その内心の感情が殿下に対する裏切りと言われれば、確かにそうだったかもしれません。正直なところを言えば、ベガ様を侍らせ、わたくしに対するむき出しの敵意をぶつけてくる彼のことを目の当たりにして、ほんの少しだけ自分を許しても良いのではと思いました。
殿下が自分の心を押し殺し、自身の役割に殉じ続けるのならば、わたくしもそれに従うしかありません。けれど殿下が奔放にふるまうのであれば、わたくしの心も少しくらい自由になっても良いのではないでしょうか。
わたくしの本質は、きっと自分勝手で己の好奇心や興味を満たしたいだけの幼い人間なのだ。同時に大事な人を愛したい、護りたいという途方もなく大きくて深い欲望のようなものを自覚します。
そして、世界で最も大切な彼を傷つけたルセウス殿下のことを、決して許せない。わたくしを翻弄し玩具のように扱ったベガ様。殿下を諫めるどことか積極的にそれを利用した国王陛下。許さない。許せない。彼らだけは絶対に何があっても許せない。
それは燃えたつ、血のように赤く熱い炎でした。どのようなことをしても償わせる。万が一、ヒューベルトが命を落としていたら―――そのときのことを想像するとどこまでも、『死』よりも暗い闇の底をのぞき込んでいるような気持ちでした。灰色の空には星々はきらめくことがない。
この世界に来てからいったいどれほどの時間がたったでしょう。何日、何十日、何年? 時間の感覚すら曖昧で指標となるものはなし。
いつの間にかレベルの数字だけはどこまでも上がっていて、現在は『レベル3560』に到達していました。だけどこれでは足りません。あの聖女様に対抗するにはまだ全然足りない。魔力を練り上げ、より強力で恐るべき魔法の構築を検討します。短い戦いながら、聖女様の恐ろしさや途方もない力には人知を超えた何かが必要だと感じます。
そして自身の情報が記された文字の中で『闇』といった部分が気になります。属性の一種であることはわかっており、既に十分極めた四大属性と違い、まるで鍛えていない未知の属性。わたくしの興味と好奇心はその魔法の開発と成長に費やされていきます。
時間だけはどこまでもどこまでも存在しますし、このあまりに理不尽で都合の良い無茶苦茶の世界の中では、わたくしは自由に好きなことをしていいのだと気づきました。これまで生きてきた中で、一番自由。怒ることも哀しむことも、憎むことだって抑える必要はありません。
気が付けば恐ろし気な闇魔法ばかりを使っており、暗闇に敵を落とす術や影で相手を拘束する術、闇の獣に敵を食わせるといった野蛮で暴力的な魔法をどんどんと増やしていきました。このままわたくしはきっと悪魔のようになってしまうんだ、と泣きたくなるような気持ちでいっぱいでした。
そんな辛い状況の中で、わたくしは小さな希望と出会います。
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