第3話 初めての(食事)体験でした

 どこか物足りなさのようなものはありますが、なぜかお腹がすくことはなく何時間でも歩いていられます。身体の生理現象が止まっているような状態で、眠ることは出来ますが、それ以上のことはできず、ただ歩いて戦って、魔法を使い、眠る。


 食べ物は確保できそうにありません。なにせ草一本生えていないのですから。しかしあるとき魔物を倒すと『オレンジキャンディを入手した』と表示されました。名前の通り包み紙に入った飴のようです。不気味だったので最初は捨てていましたが、他に食べ物らしきものは一切ありません。


 恐る恐る舐めてみると、普通に口の中に甘い味が広がります。ほんの少し気力と魔力のようなものが戻った気がして、確認すると数字も微増していました。これは魔力補給のための資源のようです。魔物を倒すとお菓子が出てくる。悪趣味で冗談のような話ですが、あまりに変化の乏しい道が続き心も身体も疲弊してくると、わずかな潤いに救いを求めざるを得ません。


 遠くに見えるお城に行こうと思いました。死亡するかレベルが上がると全回復しますので、積極的に敵は薙ぎ払っていきます。これは生き物を殺しているのでしょうか。魔物は生き物なのでしょうか? どこか罪を犯すような気持ちでしたが、生きるために歩き続けるためにはその行為を重ねるより他はありません。


 ヒューベルト。お父様、お母さま。親しい人々の顔が浮かんでは消えていき、涙をこらえながら前へと進みます。しばらくすると光る水晶玉のようなもの浮かんでおり、触ると『ここまでの行動を記録しますか』と表示されました。最初はその意味が分かりませんでしたが、とりあえず『はい』にしてみました。


 特に変化はありませんでしたが、その効果は後になって判明します。


 非常に強力な魔物と相対し、不運にも破れ去ったとき。再び暗闇に落ちるような感覚に襲われたかと思うと、目の前に光る水晶玉が浮かんでいました。これは、あの『記録』をした場所です。周囲の様子からすると、どうやら倒された際に元に戻る場所を記録するという意味だったようです。

 

 水晶玉は味方。そう位置づけてそれらしいものがあると積極的に近づいていくことにしました。やがて、風景にも徐々に変化が生じはじめ、遭遇する魔物たちもだんだん変わっていきます。奇妙なことに姿かたちは同じでただ色合いや名前だけが若干違うだけの場合がほとんどです。


『スライム』『強スライム』『もっと強いスライム』『最強スライム』『極限スライム』『終末スライム』『特殊スライム』『異質スライム』『なんかそれっぽいスライム』『酢ライム』


 だんだん魔物の名称が投げやりというか、いい加減なものになっていきます。『酢』ってビネガーのことですわよね? 舐めたら酸っぱいんでしょうか、などと想像する余裕さえ生まれてきます。変化に乏しくいい加減で、どこか緊張感を保てない世界。


 そう、ここはまるで趣味の悪いおとぎ話の世界でした。


 悪夢の中をさまようような不安な気持ちの中で、かろうじて心の支えとしていたのはヒューベルトが生きている可能性でした。ここが何かの牢獄とすれば、彼もあるいは傷を治療されどこかに囚われているかもしれない。出口があるとは限りませんが、せめてもう一度だけ彼に会いたい。あまりに都合の良い思考でしたが、他にすがれるものが何もなかったのです。


 自分が罪人として裁かれるならば家族もただではすみません。既に自分が国王陛下にも見捨てられ嵌められたのだということは理解しています。その目的はヴィオーラ侯爵家の力を削ぐこと、あるいは家の断絶を狙ってのことか。


 国内でも有数の名家であり、高い魔力を保有する血統。国王や殿下にとって目障りな存在であったのかもしれません。より強い血を取り込むことは王族の責務。けれど、わたくしの代わりに聖女の再来であるベガ様を王妃に据えることで聖女の力を王家に取り込む。


 ただの推測ですが、彼らの考えや行動にそこまで深い思慮が感じられませんでした。これはまるで粗雑な粛清。聖女という最大の戦力を保有し、気に入らぬ者たちを切って捨てていく。なんたる暴君。あまりに愚劣極まりない蛮行。あんな下らない人間に頭を下げていたかと思うと怒りで全身が震えます。


 不安と悲しみと恐怖。それら怯えの心で居続けることはどうやら難しいようで、徐々にわたくしの中で芽生えていくのは怒りや激情、敵意といった恐ろしい感情ばかりです。それでも正気にさせてくれるのはヒューベルトの記憶や家族の思い出だけ。


 あぁ、どうして、わたくしは彼を巻き込んでしまったのでしょう。


 幾度後悔しても後悔しても足りません。


 ヒューベルトは悪い噂が広まっていることを知り、しばらくの間疎遠になっていたわたくしにわざわざ会いに来てくれて、助けになると優しい言葉をかけてくれました。幼馴染というだけで、ここまで親身になって動いてくれるのかとどれほど感謝してもしたりませんでした。


 思い起こせば、人生の中で一番楽しかったのは彼と過ごした幼い日々だったような気がします。その記憶すら今は遠くなっていき、灰色に埋め尽くされていくことが、たまらなく辛い。


 繰り返される粛々とした動作と繰り返し。魔物を倒す、数値を確認する。手に入れたもので使えるものは使う。得体のしれない物は捨てる。食べ物以外はあまり試す気にもなれずに放棄していきます。時折変わった食材が手に入ったときだけは、恐怖と不安と好奇心がないまぜになった感情を抱きます。

  

 そのとき私を大いに悩ませたのは『ラーメン』という食べ物です。それなりに重さのある食器を手に、本当にどうしようか心底迷いました。濃いスープの中にパスタと野菜やお肉の乗った謎めいた物体。何故かこの料理らしきものはホカホカと出来立てのように熱く、香ばしく食欲をそそる匂いをしているのです。


 ちなみにこれを所有していたのは『トンコツ』という名前のイノシシと豚の混ざったような魔物でした。あまりに薄気味悪くて、最初は捨てていましたが、良い匂いのするものというのは口にしてみたくなるというのが人間の性らしく、やがてほんのひと匙だけ口にしてみることにしました。濃く深い複雑な味付けが口の中に広がります。未体験の味に思わず喉が鳴るのを感じました。


 フォークはありませんが、なぜか二本の木の棒を細工したものと変わったスプーンが付属しています。それらを使い、苦労して口に運んでいきます。パスタはもちもちとして噛み応えがあり、スープは口にしたことのない旨みと刺激があり、気が付けば食器の中は空っぽになっていました。


 時折パンやお菓子は手に入りますが、しっかりとした温かい食事などろくに口にしていません。食べ終えてから無性に悲しくて、顔を両手で覆いながらすすり泣きます。美味しい物を食べて泣くなんてことは初めての体験でした。

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