第2話 悪役令嬢って、なんですの?
「いやっ」
わたくしの胸の中で、奥深くにしまってある大事な宝石が音をたてて壊れたように感じました。
「いや、いや、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
その引き裂かれるような痛みと、聞いたこともないほどに悲痛な叫びが自分が発したものであることになかなか気づくことはできませんでした。だってこんなに赤い血が、彼の燃え立つような炎が散らばって、広がって、どこまでもわたくしの心を、壊して、染め上げていく。
ほんの一瞬。
わたくしは、光になりました。
治癒魔法、解毒魔法、解呪魔法、修復魔法、構築魔法、復元魔法、防御魔法、障壁魔法、成長魔法、攻撃魔法、防御魔法、結界魔法、転移魔法、補助魔法、炎魔法、水魔法、地魔法、風魔法、自身の頭と身体に刻み込んだ無数の魔法と言う魔法を、わたくしは全て同時に発動しました。本来、そんな無茶苦茶な真似はできませんし、使う必要なんてありません。ただ、そのときは本当に、何かしなくては、彼を助けなくてはとそれだけをただ願ったのです。
そこにあったのは、もはや怒りも憎しみもなく、ただ深い悲しみと愛情だけが中心に在り、目の前を通り過ぎていく星々のきらめきも過去の美しい思い出と、小さくてか弱い自分を見つめてました。
「なぁ、アン。いつか大人になったらオレはさ―――」
愛しくて抱きしめたくなる幼い少年の面影に手を伸ばそうとして、空を切ります。周りの風景が気付けば真っ暗に変わり、天井も壁も床もなく、ただ底なしの暗闇の中に落ちていくことだけをかろうじて、感じ取ります。そして何にも見えなくなりました。
そこは見渡す限りの荒野でした。
あまりに寒々しい光景は現実離れしていて、しばらくの間呆然としていました。
気づけば、大広間も、傷ついたヒューベルトも聖女様も殿下の姿もなければ、人間の気配など何一つ感じない。得体のしれない魔力がそこかしこに流れていて、とてつもなく気味の悪い薄暗い灰色の空がどこまでも広がっています。ここは、一体どこでしょう、わたくしは、夢でも見ているのでしょうか?
「ヒューベルト、どこ?」
我に返ると、とんでもない状況だったことが思い出されます。殿下の剣で刺された幼馴染の姿が思い起こされ、血の気は引き、混乱して周囲を見渡します。彼の名前を必死に呼び続けますが、どこにも姿はなく、その痕跡も魔力の残り香すら感じられません。長いこと、涙を流しながら彼のことを探し続けましたが、見つかりません。
見知らぬ場所で当てもなく動き回るなんて初めての経験でした。わたくしは小説の世界でしか味わうことのないような孤独で無謀な状況下に置かれてただ一人で誰の助けもなく、ただ彷徨い続けています。かろうじて頼りにできるのは、身に付けている魔法だけ。
周囲の気配を探りながら、生きている人間がいる場所を探し求めます。だけど、この世界はまるで何もかもが死に絶えたように一切の生命を感じ取れず、代わりに何か空っぽの存在がそこかしこに漂っているようでした。
変わりばえのない景色、自分がどこまで歩いたかもわからない有様ですが、かろうじて遠くにお城のような建物の影が見えます。どこをどう見渡しても、他にめぼしいものはありません。ひたすらに涙をこらえて足を動かします。
気持ちがある程度落ち着いてから魔法を使うことを思い出しますが、転移魔法を連発したところ、日頃は感じたことのない『魔力切れ』に陥ります。
まだほんの数回使っただけですが、身体の内側にある魔力の量が凄まじく目減りしていてほとんど中のものを使い切ってしまったように感じます。暗闇の中を灯すような唯一の味方まで頼りにできず、わたくしは心底途方に暮れていました。
それでもただ足を進めるよりほかはなく、ヒューベルトのことやルセウス殿下、聖女ベガ様のことなどを考えることしかできません。不安と心配と焦燥、苛立ちと怒り。そして他者に傷つけられたのだと言うことへの哀しみと憤りで胸がいっぱいでした。
そんな油断と隙が生じていたせいでしょう。
わたくしは目の前に得体知れない粘液状の物体があることに気づきませんでした。おぞましく生理的に背筋の冷たくなるような造形は、書物の中でしか見たことのない魔物の一種でした
『スライムと遭遇した!』
「えっ?」
目の前に突然不思議な文字が現われます。空中に一瞬だけ浮かび上がると消え、周りの空間が急に狭くなったような印象を受けます。魔力が切れた状態で、得体のしれない存在と対敵するのはあまりに無謀。その場から逃げ出そうとしましたが『逃げられない! スライムの攻撃』と再び文字が表示され、身体に重たい衝撃がぶつかってくるのを感じます。
『アンドロメダは10のダメージを受けた』
見知らぬ文字ですが、自分の名前を指していることは何故か分かりました。一度も学んだことの無いような字ですけれども……。困惑した状態で、その場から離れることもできずただ『スライム』らしい魔物に追突を繰り返されていきます。わたくしはどうしていいかわからなくなり、手を前に突き出して追い払おうとしましたが、相手は何の痛切も感じることはないらしく、こちらにぶつかってきます。
『体力が0になった。アンドロメダは死んでしまった』
非常に不謹慎な文字が表示されたかと思うと、目の前が真っ暗になります。全身が凍えるような寒気と気持ちの悪さに襲われたかと思うと、先ほど居た何もない場所に立っていました。身体のどこも痛くはありませんが、思わず自分の両肩を抱いて、へたり込みます。生きている、自分は生きている。混乱する自分を落ち着け、とにかく状況を把握することにしました。
ここはどこか見知らぬ世界。
得体のしれない魔力が漂う場所で、罪人用の封鎖空間に閉じ込められ幻を見せられている可能性に思い当たります。この合理性のないただ惑わすためだけにあるような状況からすると、それ以外は考えられませんが……ふと気づくと目の前に何かがあることに気づきます。それに意識を向けるとパチン、とはじけるような音がしました。
アンドロメダ・ヴィオーラ
■クラス・悪役令嬢
■レベル・1
■体力 100/100
■魔力 500/500
■経験値 0
■魔法 闇E 炎A 水A 風A 地A
■死亡回数×1
■魔界に堕ちた悪役令嬢。
目の前に文字が浮かんでいます。先ほど魔物と遭遇した際にも見たものです。外国語は複数学んでいますが、全く見たこともないような文字で、だけどそこに書かれている言葉の意味が、先ほど同様に何故かわかります。自分の名前と魔法、体力や魔力といった文言と、そして―――。
「悪役令嬢って、なんですの?」
恐る恐る、文字に触れてみるとわずかに反応があることに気づきます。見えない透明な板のようなものに文字が貼りつけてある? 不思議な感触のそれを探っていくと文字の一部が少し浮いていて押せるような感触があることに気づきます。
「魔法」の項目を指で触れると、自分が使える魔法の種類と思われる表示一覧と「消費魔力」が表示されました。転移魔法は「50」となっています。その場で転移魔法を使用してみると、目の前の文字の数字に変化がありました。『魔力』の数字が『450/500』になっています。諸々検証してみた結果、どうやら今現在、魔法がこの数字の範囲でしか使えないのではないかと察します。
相手を攻撃する術は、魔法しかない。
再びあの魔物と遭遇した際には、身を守らなくては。
わからないなりに状況を呑み込み、ただはるか遠くに浮かぶ建物の影を目指して歩きます。途中で再び魔物と遭遇しました。回避できる場面もありましたが、どうしても逃れられない場面では仕方なく魔物と戦闘を開始します。弱い炎魔法を使用し、『スライム』に当てます。魔物は避ける様子もなく、攻撃魔法を食らうとそのまま消えてしまいました。
『アンドロメダは勝利した! 経験値を10獲得。アンドロメダはレベル2になった』
直観的にあの文字表示が変わっているのではないかと感じます。
確認してみると『レベル』が2になり、『経験値』が10となっています。『体力』と『魔力』の数字も変化していました。増加している? 敵を倒したから?
魔物を倒すことによって、数字を増やす。
なぜそうなるのかの理屈はまるでわかりませんでしたが、できることは自分の使える魔法を増やすこと。さっぱり意味が分かりませんが、自分が呪いのようなものにかかっていることを何となく感じます。この漠然とした指示というか、手段に沿ってしか行動できない。
できることはあまりに限られていて、直感に任せて動くより他はありませんでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます