第4話


 梅雨入り前で、蒸し蒸ししていて、駅まで歩くのがだるかった。

 ダイヤゲート池袋のアンダーパスにもぐりこんところで、ホームレスが、ビッグイッシューを売っていた。スニーカーがボロボロだ。

 こんな貧しい人がいるのに、西武はこんなにごついビルを建てる程銭があまっている。

(そんなに同情していられない。あとちょっとで俺もビッグイッシューを配らないとならなくなる)

 駅の近くまで行ったら、偶然、靴の量販店にナルソックのワンボックスが到着する場面に出くわした。売上金の回収に来たらしく、警備員の一人がジュラルミンのケースを抱えて店内に入って行くと、もう一人が特殊警棒をカシャ・カシャ・カシャと伸ばして、通行人を威嚇するように反対側の手の平を打っていた。

(この野郎。警察でもない癖に格好つけやがって。ちょっと因縁つけてやろうか。

でもやめた。ナルソックも裏で警察とつるんでいるかも知れないから。何しろ刑務所を経営するぐらいだから。オムニ社と同じだ)


 池袋駅から埼京線に乗り、赤羽で京浜東北線に乗り換えた。

 電車はすぐに荒川橋を渡りだした。

 レールのつなぎ目の音がコツンコツンと鉄橋に響いていた。

 電車が徐行すると、車窓から緑地で野球をしている人達が見えた。

 窓の上半分が開放されていて、なまぬるい6月の風が入ってきていた。

 何時も小川はここで妄想を開始する。

 突然、連結部のシルバーシートのあたりに、「太陽にほえろ!」の関根惠子巡査が浮き出てきたのだ。

 窓から、緑地のグラウンドの方が見ている。

 陽の光受けた惠子巡査の横顔は、ローマのコインに彫刻してもいいぐらいの美形だった。

 日差しに目を少し細めていて、髪の毛が窓の上半分から入ってくる風になびいていた。

 電車は徐行していて、トラス構造の鉄橋の斜材の日影が惠子巡査にカシャ、カシャっと差していた。

 突然連結部のドアが勢いよく開くと、な、なんと悪役商会、丹古母鬼馬二と八名信夫が乱入してきた。

 丹古母が勢いをつけて惠子巡査の隣に座り込む。

 そして、匂いでもかぐように顔を近づけて、目をぎょろぎょろさせながら迫っていく。

 惠子巡査は体を小さくした。

 つり革にぶら下がっている八名が言う。

「よぉ姉ちゃん、真っ直ぐ帰ったってつまんねーだろう、これから俺たちとどっか行こうじゃねえか、カラオケでも行こうじゃねえか、よお」

 そして丹古母は考えられる限りの下品な笑い方で笑うと、首筋あたりをめがけて、べろべろべろと舌を出す。

 電車ががくんと揺れた。

 八名が、「おっーっと」と言って身を翻すとそのまま惠子巡査の膝の上に座ってしまう。

「電車が揺れたんだからしょうがねえや」

「やめろーッ」叫ぶと小川は敢然と立ち上がった。

 二人は、一瞬あっ気に取られた様にこっちを向く。

 なーんだ兄ちゃんか、という感じで、惠子巡査を放置すると肩をいからせてこっちに迫ってきた。

「なんだこのあんちゃん。スポーツでもするか」

 言いつつ八名がこっちの襟を掴みにくる。

 すかさず小川は手で払った。

 おっ、猪口才な、みたいな顔をして更に手を突っ込んでくる。

 それを又払う。

 ネオ対エージェント・スミス、みたいな組み手をしばらくやるのだが、丹古母が、遠巻きに小川の背後に回ると、懐からドスを抜いた。

 そして卑怯にも背後からドスで小川の背中を袈裟切りに切り付ける。

 白いワイシャツが裂けて背中の肉もざっくりと切れる。

「キャーッ」と悲鳴を上げて惠子巡査が顔を覆う。

 しかし小川はがっばっと丹古母の方に向き直ると、超人ハルク並のパワーを発揮して、まるで紙袋でも丸める様にぐしゃぐしゃにるすと放り投げてしまう。

 今度は八名に向き直ると、「ちょっと待ってくれ。話せば分かる」

 などと泣きを入れてくるのを無視して、同様にぐしゃぐしゃにして放り投げる。

 ……電車が反対方向の電車とすれ違って、窓ガラスが風圧でバーンと鳴った。

 妄想から覚めた。

 電車が行ってしまって静かになっても、もう妄想の続きはなく、惠子巡査は現れない。

 なんとなく背中に手を回したがシャツが切れているわけもない。

(あのまま妄想が続いていたら、俺は殉職していただろう。

 シャツが切れて肉もさけて、そっから出血して出血死する。

 惠子巡査が覆いかぶさる。

「死なないで、死なないでー」

 しかし俺は息を吹き返す事はなかった。

 …萌える。

 自分の死に萌える。

 何でだろう。

 何で俺は殉職したいんだろう)

「京浜東北線の南浦和行きです。次の停車駅は川口です」

 という車内アナウンスで我に返った。

 しかし、何故殉死したいのかという謎はしばらく脳内を駆け巡っていた。

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