第7話 離れてくれない吸血鬼
街道に戻った私は、暗い道をずんずん突き進んでいた。
「なあーヒト」
だから、その呼び方。私には小町っていう美人に付けられる名前が付いてるし!
でも、亜人に名乗る気はないので、その声を無視することにする。名乗ってないから仕方ないけど、だからって可憐な乙女に対しもうちょっと似つかわしい呼び方ってものがあるでしょうに。
「なあー! どこに向かってるんだ?」
勿論、これも無視する。行き先を伝えて、この後もずっとついて来られても迷惑なだけだ。とんでもない美形だからちょっと甘い顔をしてしまったけど、やっぱりコイツも亜人だった。私に噛みつこうなんて、百年早いんだから。
「ヒトって弱っちいのに、ひとりで大丈夫かー?」
人の血を吸おうと噛み付く寸前だった奴の言葉とは思えなかった。こういうのを、棚に上げるという。
「なあーヒトー! 返事しろよー」
そして、話し方がとてつもなくアホっぽい。というか、本当にこいつ、どこまでついてくる気なんだろう。街道の中には入ってこようとはしないけど、そこそこ近くを平然とした顔で歩いている。魚人には効果があった亜人避けだけど、亜人の中でも強いと言われる吸血鬼には、実はちょっと嫌程度の効果しかないのかもしれない。……拙くない?
でも、噴射したスプレーの効果はてきめんだった。子供騙しな道具と聞いていたから駄目元で持ってきただけだったけど、吸血鬼の吸血行為も止められる優れた代物だった。
高いお金を支払わないと買えない対亜人電子超高音発生装置はさすがに買うお金がなくて、しかも町の外に出る機会すら与えられない一般市民が買い求めたら、どう考えても怪しまれる。お金が掛からなくて大量に持ち歩ける代用品を必死で探した結果、辿り着いたのがこれだった。
ちゃぷん、とホルスターに収まっているスプレーボトルに一瞥をくれる。にんにくパウダーとオニオンパウダーを水に溶いただけの物だけど、これなら必要な分だけ溶いておけば済む。ちゃんと粉の方も持ってきたから、濃度調整だって自由自在だ。ちなみに初回は量が分からなかったので、そこそこ濃度は濃いめに作ったけど正解だった。
これとは別バージョンで、チリパウダーも持参している。だけど、これはヒトにも害があり、間違って目に入るととんでもなく痛いらしいので、今回混ぜてはいなかった。でも、次からは遠慮なく混ぜようと思う。なんせ、亜人はヒトの話なんて聞かないのが今日一日でよく分かったから。
亜人は、基本的に聴覚・嗅覚ともにヒトより優れているんだという。かつては同じヒトから派生した亜種の彼らは、汚染され環境破壊が進行し生きることが困難となってきた時代に、突然変異として生まれた。環境に適応出来ないヒトがバタバタと死んでいく中、完全隔離された居住区の外に住まう彼らは、短期間で恐るべき進化を遂げた。
汚染された水辺に住む者は、魚人へ。荒れ果てた森に住む者は、人狼へ。吸血鬼がどう進化してそうなったのかは分からないけど、識者の見解によると、食糧不足の地域で血液から栄養を摂取出来た個体だけが生き延びた結果では、とかなんとか。
とにかく、環境にいち早く適応した者が、同じく環境に適応した者と番い、亜人としてヒトとは異なる進化を遂げた、らしい。
それはヒトだけに限らず、ヒト以外の動物についても同様だった。その中で、ヒトと交わることで種の保存を図った種族もいた。人狼がそのいい例だ。だから、彼らはヒトであると同時に狼だ。でも、さっき見たところ、喋る犬という感じでヒトっぽさはなかったから、そういう進化を遂げたんだろう。
「それにしても、さっきのすっげー臭かったぞ! ヒトって弱いと思ってたけど、すげえの持ってるんだなあ!」
少し離れて私に話しかけてくる超絶美形の青髪の吸血鬼は、さっき私に臭いスプレーを顔面に噴射されて「臭い! 染みる!」と泣きながらのたうち回ってたのに、何だって未だについて来るんだろう。
もしかして私に惚れちゃったとか? いやでも、亜人との恋なんて、そんな駄目――。
チラリと男に目を向けると、呑気そうに頭の後ろで腕を組んでいた男がニカッと笑った。
「なあー。お前ひとりなんだろ? この先はでかい亜人街もあるし、お前みたいな美味そうな匂いさせてる奴が来たら、一瞬で食われちまうぞ?」
亜人街。へえー、そんなのあるんだ、と頭の中のメモ帳に記す。
「なあ、喋ってくれよー。独り言みたいじゃないか」
端正な顔で唇を尖らせないで。可愛いとか思っちゃうじゃないの。
「なあーヒトー」
だから、その呼び方。私はハアーと大きな息を吐くと、立ち止まって男の方を見た。
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