【先行一話】妹が三国志演義の関羽になった件~学園独立行政特区「ヨコハマ」で天下統一を賭けた戦いが始まります~

 横浜中華街、関帝廟かんていびょう


 中国の三国時代に名をせたしょく国の将軍「関雲長かんうんちょう」をまつる場所である。


 死後、「関帝」として武勇だけでなく商売の神としても中国文化に根付いたその偉大なる英雄は、こうして多くの人に願いを捧げられる存在となっている。



 からんからん、という木などで作られたおみくじである神筈ポエが投げられる時に響く独特の音色が遠ざかる中、柳明徳やなぎあきのりとその妹である朝雨あさめは参拝も終わり、笑顔だ。



「ご利益あるといいなあ」

「そうだねえ、ってお兄ちゃんは何をお願いしたの?」

「んー……さあ、どうだろうね」



 明徳あきのりははぐらかす。


 口にすることはちょっと恥ずかしい、ささやかなお願いだ。


 でも、それが彼の今の全てだった。


 すなわち、



 ――妹とずっと一緒に居られますように。



 このヨコハマが学園独立行政特区、すなわちひとつの「学園国家」として認められて、はや10年。


 今の『皇帝』が天下統一を果たすまで、多くの涙と悲しみの物語があった。


 柳一家やなぎいっかはそれがゆえんで、ここから少し離れた戸塚とづかエリアで兄妹二人きりの生活を送っている。



「ね、お兄ちゃん、手をつなごうよ」

「お、おう……」



 小さい頃から迷子になりやすい朝雨あさめとは、こうして手を繋ぐのが当たり前の行為だった。


 だが、そうはいっても、お互い高二と高一だ。


 ぐっと近くなる朝雨の長い黒髪からただよう女の子らしい甘い匂いに、少しばかり心臓の高鳴りを感じると、明徳は心を落ち着かせるように、すぐ隣にある路地に入る。


 と、



「そこのカップルさーん、お昼はうちで食っていかないかアル!」



 ちょうど向こうから自転車に乗って来た一人の若い女の子に呼び止められる。


 サイドにスリットが入った赤いチャイニーズドレスに、茶色の髪をツインテールに結わえた大層な美少女だが、二人は全く覚えがなく、中華街によくあるキャッチーだと思って軽く会釈えしゃくしながらかわそうとする、が。



「ちょっと、酷いアル。ワタシアルよ!」



 自転車を止め、内ポケットから黒い丸眼鏡を取り出し、掛ける。



「あ、金澤さん」

「そーアル! 全く、こんな美少女を忘れるなんて酷いアル」

「……お兄ちゃん。誰、この女」

「あー、この人はね、同級生なんだ」



 彼女は金澤江美かなざわえみ


 同じ戸塚にある高等分校のクラスメートだ。


 普段は眼鏡をかけ、目立たない雰囲気なので、明徳はその派手な姿に内心驚く。


「でも、金澤さん。どうして中華街で? あと、その口調……」

「勿論、バイトアル! といっても、親の仕事の手伝いアルけど……、あと、この口調はいかにもな営業口調アル」



 そう言うと、何とも自慢げな表情で江美は胸を張ると、そこにあるふくらみが大きくれる。


 制服の時は全く分からなかったが、相当なボリュームがあり、明徳は思わず目を向けてしまう、と。



「ッ痛!」

「ちょっと、お兄ちゃん。どこみてんの」

「いや、まあなんというか」



 朝雨のやけ冷たいジト目を浴びながら、明徳は明後日の方を向きほおをかく。

 目を向けた先の細い路地に差し込む陽射ひざしは優しく、店舗の軒下にある空の青いコンテナを照らしている。


 と。



「ん、急にくもって来たな……」



 突然、黒く分厚い雲が空に広がり、辺りは一気に暗くなる。


 と、一同の持っている端末が一斉に鳴り始める。


 江美はすぐに確認すると、見る見るうちに青ざめていく。



「なんてことアル……、皇帝が、皇帝が……」



 明徳と朝雨もあわてて自分の端末を見る、とそこに緊急で来ていた通知は――。



「皇帝が、卒業なされたアル!!!!」



 まさに、乱世の訪れを告げるものだった。

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