第4話


 私は目の前の現実をたちの悪い白日夢なのではないかと思いたかった。私は休日を活用して、記憶の中にある友人知人のうち、各界の有力者を訪ね歩いた。まず、中央区内の島津総合病院院長の島津余太郎のもとを訪ねた。高校時代の同級生で、私が主将を務める山岳部の副主将をしていた男だ。

 島津は「申し訳ありませんが、あなたの事は存じ上げません。私は山岳部に所属し、あなたのおっしゃるように夏は日本アルプスの槍・穂高・剣を登攀した記憶があります。ですが、三年生の時の主将は私が務めていました」と、怪訝そうな表情をして「よろしければ、弁護士の伊達君を訪ねてはどうでしょう?」と、私に伊達弁護士の事務所の住所を記したメモを手渡した。 

 伊達は高校時代の同級生というだけではなく、卒業後も友達付き合いが続いている。さらに、私の口利きで、昨年四月から榎本建設工業と顧問契約を結んでいた。何か分かる可能性があると期待して、伊達豊誠法律事務所を訪ねた。

 私の話を一通り聞き終わると「悪いが、あなたは知らない人だ。法律事務所に来るよりも先に、精神科で診てもらうべきだ」と、突き放した。

 最後の頼みの綱として、政治家の北条英正の事務所に足を運んだ。北条は大学法学部の同窓生で参議院議員だ。彼が選挙の基盤として事務所開きをした初日から、何かと応援してきた仲だ。

 北条は私の姿を見るなり、立ち上がり「よく来てくれた。どうぞ。お気遣いなさらないように」と、愛想よくほほ笑んだ。私の話を聞くと「ほほう、大学の同窓生でしたか――。これは、これは、懐かしい人に会えた」と甲高い声で弁じた。が、話し方がどうにもよそよそしい。本題を切り出そうと思った矢先に「これから、出かける予定がございましてね」と伝え、そそくさと事務所の奥に姿を消した。

 有力者たちは、私を誰一人として知らなかった。私は途方もない寂寥感と哀切な気分で胸の中が一杯になった。家族の存在がなければ、とうの昔に不安感で潰れていた。真相を知りたい、ただそれだけのために、動き続ける必要があった。

 さらに、「会社四季報」や「企業年鑑」を調べ、榎本建設工業が記憶の中だけではなく、現実にも存在する証拠を確かめた。業績を見ると、記憶の中のものより下回っていた。売上高も税引き後の当期純利益も直近十五年分、私の想定数値と違っていた。

 何故か分からないが――実際の数値は、私が管理職になってから常務取締役として務める現在まで、改革を推進し、業績を向上させた事実に相違ない――と思った。誰が何のためにした改ざんなのかと、首を傾げた。

 榎本建設工業の住所は、記憶と相違がなかった。実際に訪ねてみると、ビルは外壁塗装工事をする前の外観だ。

 工事は、私が八年前に会議の席上で「大手デベロッパーの自社ビルの外観は、人目に付いたときに企業の実力を証拠づけてくれる。豪華な造作である必要はないが、相応に立派な外観でなければならない」と主張し実現させていた。反して、私の頭の中でリアルに想起できる記憶と違い、目の前のビルの外観はみすぼらしいままだった。

 周囲の景観も大半は、頭の中にあるものと同じに見えたが、何処となく違う世界のもののようにも見えていた。単なる錯視ではない現象が、展開している事実は疑いようがない。何かの異変が起きた。異変がどのような性質のもので、どうすれば解決できるのかが分からない。今のままでは、出口のない迷路をさまよい歩き続けるだけになる。

 ここまでの経験に照らし合わせると、榎本建設工業に電話でアポをとって訪ねたところで、誰も面会に応じてはくれまい。私は、突撃訪問を敢行した。ここの社員食堂は、外部の者も利用可能なことを思い出した。――今でも、部外者を拒絶しなければ良いが――と思いながら、十四階にある食堂に出向いた。時刻は十一時五十分だ。あと十分もすれば、続々と社員たちがここに来る。

 私の直属の部下の轟部長と青山副部長は、食堂では一番奥から三番目の窓際の席をいつも利用していた。そこは、役員や管理職用のボックス席となっていた。そこに、十二時五分に、轟と青山が現れた。幸いにも、分からず屋の小川次長の姿はなかった。私は思い切って、席に近づくと「君たち、元気そうじゃないか」と、作り笑いを浮かべながら話しかけた。

 轟は少し首を傾げると、私の顔をしげしげと見つめ「どこかで、お会いしましたか?」と尋ねた。轟は「青山君、きみの知り合いなのか?」と横を見た。青山も不思議そうにこちらを見つめ「人違いではありませんか?」と問いただした。

「私は君たちの上司にあたる常務取締役じゃないか。なぜ、俺を陥れようとする!?」と立ったまま、デーブルをドンと叩いた。

 二人の男は、私を見上げたまま青ざめた表情をして「俺たちの上司は、佐伯という常務だよ」と吐き捨てた。佐伯はかつて私の部下だった男だ。しかし、部長時代の彼の業務内容を問題視して、私が引導を渡した状況を思い出した。社長と相談して、退職金を上積みする事で辞めさせていた。

 私は「あいつが背後にいて、画策していたのか」とつぶやくと、二人に向かって「佐伯を今すぐにここへ呼べ」と叫んだ。食堂にいた社員たちは皆、何事かという様子でこちらを見た。

 青山は「少しここで待っていてください」と指図して席を立った。十五分後に戻ってきたとき、同行していたのは佐伯ではなく、警備員三人だった。私は警備員室に連れていかれ「人騒がせな人だなあ。こういう騒動をされると困るのです。あなたの言動は、威力業務妨害の可能性があるので注意しておきます。今度、同様の事態があれば警察に通報しますよ」と諭され、釈放された。

 佐伯一人だけの力で、ここまで大仕掛けの装置を動かし、私を欺けるとは思えなかった。ただし、僅かでも可能性があるのなら、そこを足掛かりにして、真相を究明したかった。

 私は榎本建設工業のビルを後にすると、肩を落とし、自分が何者で、どんな状況にあるのか真剣に考えていた。哲学者でも、ここまで自分を深く掘り下げないと、存在を証明できないと見做す者は居ないと、考えたほどだ。

 そこで、今度は逆に日記に書かれている友人のうち、連絡先の分かる相手に会って確かめようと考えた。藁にも縋る思いだ。スマホを操作してみると、氏名と電話番号が数十件表示された。まず、最初に家族や親類、黒田以外で私の知っている名前を探してみた。そこには、該当する名前が二人あった。一人は、記憶のあの世界では、交通事故で他界していた。

 田丸康太は中学時代からの友人で、酒を飲みに行ったり、ゴルフしたりという仲だったが、二年前の交通事故で他界した人物だった。ところが、彼の家を訪ねたところいかにも元気そうな様子で玄関に出てきた。私は幽霊を見るような気分になり、思わずたじろいだ。

 それにも関わらず、明るい笑顔で私を迎え入れると「入院中に見舞いに行ったときは、まだお前は昏睡状態だったので、話せなかった」と、申し訳なさそうに声を細めた。皮肉にも、私があの世界で、事故死した田丸を訪ねたときは、病院の霊安室で冷たくなっていた。

 目の前の現実では、私が事故に遭遇し、病院に見舞いに来ていたという話だ。まるでオカルトの世界だ。

 田丸もまた、私との再会を喜び「お前が生きて戻ってきてくれて嬉しい」と、思いを告げた。話をしているうちに、元気な田丸の姿を見て思わず抱きしめたいような衝動にかられた。私は――どうか目の前の現実こそが本物でありますように――と、心の中で念じていた。

 次に会った八重垣寅之助は前職の同僚で、Lineで近況報告をし合う仲だ。記憶のあの世界では、都内に住んでいる状況を知りつつもSNS(Line、Facebook)の世界だけの知り合いで私の目の前に現れなかった人物だ。

 どういう因縁かは知らないが、こちらの世界では元同僚で、もっとも仲が良い。八重垣も、入院中に見舞いに来ていた。意識が回復してしばらく経過していたものの、あの世界では会わなかったため、誰が来てくれたのか気づかなかった。Lineの記述を読むと、前職で誰が辞めたとか、出世したという話が大半だ。

 オーナー経営者が猛烈な個性で、何か言われるたびに八重垣が戦々恐々としている様子を書いている。それを私が面白がって、色々と尋ねていた。あちらの世界では経験がないような内容ばかりだ。

 やはり、これらの行動も結果的には徒労に終わった。自分の今の状況を解明できないばかりか、かえって私の記憶の闇に何が潜んでいるのか、という怖れの方が大きく膨らむのを感じた。

 怖れを撥ね退けるため、毎日のように新聞を読み、パソコンを開いてはニュースを検索する習慣で、記憶と現実との差を正しく捉えようとした。勿論、テレビを見るときも、細かいところまで記憶との違いがないかを確認した。メディアが扱う大半は、私の記憶と大差なかった。

 反面、見た経験のないものや、出来事に出くわすと、自分の正気を疑わざるを得なかった。私はまるで、絵本の中の「不思議の国のアリス」のように、異世界に迷い込んだまま帰り道を見つけられない、迷子のような存在だった。

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