Phase 06 欲望 -Desire-

 闇カジノのオープンまであと1日。僕は「神戸羅生門」の一員としてその日を迎えていた。大泉警部からの話によると「暫く闇カジノを泳がせておけ」とのことだったが、一体どういう思惑おもわくなのだろうか。そんな事を思いつつ、僕は改めて接客マニュアルを確認していた。まあ、僕が任されているのは所謂受付役であり、カジノのかなめと言われているディーラーは啓太が担当することになった。まあ、彼はコミュニケーション能力も高いし大丈夫だろう。実際、濡羽将平や蘇芳貴志からも「櫨染啓太はディーラー役に相応しい」と言われていた。

「いよいよ、明日っすね」

「そうだな。お前のカードさばき、期待している」

「まあ、カード捌きって言っても、実際にはイカサマしているんですけどね」

「そうだな。お前はマニュアル通りにカードを捌いて、あとはイカサママシンがイカサマをしてくれる。それだけの話だ」

「ところで、善さんって何かとかしてないんすか?」

 その問いに対して、僕は悩んでいた。本当の事を打ち明けるべきなのか、それとも闇の眷属としてこの事を最後まで隠し通すべきなのだろうか。考えても仕方ないので、僕は敢えて沈黙を貫き通した。

「……」

「あっ、やっぱ隠し事してるんすかね。オレはそういうの気にしないし誰にも言わないから良いんすけど、社長が赦してくれるかどうかは分からないっすよ?」

「……そうだな。でも、どうしても隠し事を曝け出す日が来ても、啓太は受け入れてくれるよな」

「ああ。善さんの隠し事なら、どんな隠し事でも受け入れるっすよ」

「そうか。お前がいてくれて良かった」

 啓太がいてくれるから、僕はこうやってサツの犬だとバレずに潜入捜査を行うことができる。けれども、いずれ潜入捜査にもほころびが出るかもしれない。仮に、その綻びが絡まって、僕という存在が一つの大きながん細胞になってしまったら、どうなるのだろうか。矢張り、濡羽将平に始末されるのだろうか。それとも、生田署の警官や組織犯罪対策課の刑事が助けに来てくれるのだろうか。そうなったら、西田仁美という存在に助けに来てほしいような気がする。それだけ、僕は彼女を信頼している。それは管轄の警官ではなく、一人の女性として信頼しているのだ。王子様が囚われのお姫様を救うという話はよくある御伽噺おとぎばなしである。しかし、お姫様が囚われの王子様を救うという話は聞かない。もしかしたら、僕が知らないだけでそういう話はあるのかもしれない。でも、今の僕は囚われの王子様と言っても過言ではない。

 やがて、闇カジノの開業準備が終わっていく。豪奢ごうしゃな調度品を並べて、ポーカーテーブルやスロットマシンを設置。ただし、このスロットマシンは普通のパチスロ店にあるようなスロットマシンではなく、所謂「闇ロム」と呼ばれるロムを搭載したスロットマシンである。余程「証拠品として兵庫県警に提出しよう」と思ったのだが、大泉警部の言葉を思い出して、僕は踏み止まってしまった。もしかしたら、大泉警部はとある疑惑を持つ有名人を闇カジノに誘い込んで、神戸羅生門と一緒に一斉摘発するつもりなのだろうか。


 僕がその疑惑を聞いたのは、当然僕がまだ「古谷善太郎」として兵庫県警の組織犯罪対策課に籍を置いていた頃の話である。

「古谷君、唐突ですまない。週刊誌の記事は読んだのか?」

「週刊誌ですか?僕はそういう雑誌はあまり読まないのですが……」

「まあ、情報の一つとして読んでおくべきだ」

 そう言って、僕は大泉警部から週刊誌の記事を受け取った。


【芸能人を蝕む闇カジノの実態!】

 先日、日本アカデミー賞の最優秀男優賞を受賞した経験もある俳優の桑染雅史くわぞめまさしが賭博罪で逮捕された。桑染雅史は、歌舞伎町で半グレ集団が運営する闇カジノの常連客であり、その闇カジノは桑染雅史の他にも、大手音楽レーベルAの大物歌手や大手芸能事務所Jの有名なアイドルも常連客と言われている。週刊文潮では、引き続き芸能人を蝕む闇カジノの実態を調査していきたいと思っている。(民岡正義 2022年9月30日)


「なるほど。神戸でもそういう闇カジノが出回る可能性があるのかもしれないのか」

「流石古谷君、読みが鋭いな。まさしく、神戸は在留外国人が多いが故にカジノ開業のニーズも絶えない。仮に、こういう闇カジノが神戸に出来てしまったら、日本の貨幣だけではなく外貨も暴力団や半グレ集団の資金源になる可能性が高い」

「まあ、そうなったら僕たちが摘発するだけなんですけど。半グレ集団だろうが暴力団だろうが、僕たちの敵ではない」

「そうだな。今まで互いに死地を潜り抜けてきた存在だ。これぐらい、赤子の手をひねるようなものだ」


 そういう話を大泉警部としていたのに、僕は闇カジノの運営に関わっている。それは飽くまでも「半グレ・深井章博」としての人格であって、「刑事・古谷善太郎」としての人格ではないと分かっているのだけれど、正直言って僕はガラス戸の向こう側で複雑な表情を浮かべていた。そして、ガラス戸には死んだ魚のような目をした自分の顔が映っていた。自分の顔を見ていると、啓太が後ろから話かけてきた。

「善さん、矢っ張り何か隠し事してるんすよね?正直に言ってくださいよ」

「いや、何でもない。啓太には関係ない事だ」

「そうっすか……それなら良いんすけど」

 本物の半グレ集団の一員に、本当のことなんか言えるわけがない。僕はそう思いながら、闇カジノの開業準備を終えた。いよいよ、明日が勝負の日である。


「大泉警部、神戸羅生門の闇カジノの開業日が決まりました。12月1日です」

「そうか。古谷君、ご苦労だった」

「それで、この闇カジノを摘発したら僕は元の部署に戻れるんですか?」

「それはどうだろうか。組織犯罪対策課の刑事なんていくらでも代わりはいる。つまり、仮に古谷君が神戸羅生門を壊滅させても、君の籍が戻ってくる保証はない」

「そ、そんな……」

「まあ、余程のことが無ければ君の職場復帰は保証できるが、正直言って私はあの射殺事件のせいで君を信頼していない。仮に、報復のためと雖も現リーダーである濡羽将平に危害を加えたら、懲戒処分では済まないからな」

「……分かっています」


 念のために、仁美にも連絡することにした。僕は、スマホで仁美に電話をした。もちろん、電話は直ぐに繋がった。

「仁美、よく聞いてくれ。僕は今、『神戸羅生門』の一員として闇カジノの運営に関わっている。もしかしたら、生田署の警官や刑事がこちらに乗り込んでくる可能性もあるかもしれない。しかし、僕は飽くまでも潜入捜査官だ。間違えて逮捕しないでほしい」

「なるほど。そういえば、神戸って闇カジノがありそうでないんですよね。仮に今回、善太郎さんが摘発に関わるとしたら、初めての案件になりますね」

「そうだ。東京の話で申し訳ないが、俳優の桑染雅史が逮捕された事件は知っているな」

「はい。知っています。母親が桑染雅史のファンだったので、ショックを受けていたのを覚えています」

「そうだな。彼は大河ドラマにも出演していたし、もちろん日本アカデミー賞も受賞している。それだけの大物俳優だって、闇カジノという甘い罠にかかってしまったら俳優人生はその時点で終わってしまう。そういえば、半グレ集団とのコネクションで思い出したが、とあるタレコミを大泉警部から聞いていたな」

「タレコミ?」

「ビクトリア神戸の大迫嘉紀おおさこよしのり選手は知っているな」

「はい。ビクトリア神戸の絶対的エースですよね?」

「大泉警部からの話によると、彼は

「そ。そんな……」

「その様子だと、仁美は大迫選手のファンだな」

「ファンもなにも、大迫選手は降格不可避と言われていたどん底の状態から奇跡の残留に関わった絶対的エースです。むしろ神戸市民でファンじゃない人を探すほうが難しいんじゃないんですか?」

「そうだな。僕も彼のファンというか、人柄に憧れている」

「だからこそ、そんなことあってはいけないんですよ」

 仁美は、電話越しで泣いている。大迫選手が半グレ集団と関わっているかもしれないという情報を提供したからというより、僕に対して何か言いたげな、そんな震える声をしていた。

「善太郎さん、もしも大迫選手が本当に半グレ集団と付き合っていても、逮捕出来るんですよね?」

「ああ、任せろ。その時は、『深井章博』という仮面を投げ捨てて『古谷善太郎』としての本性で、大迫選手を逮捕してやるからな」

「わ、分かりました……」

 そして、そのまま電話を切った。心の奥底に引っかかるモノを覚えつつも、僕は美咲と会うことにした。もちろん、待ち合わせ場所は例のホテルである。


「あら、善太郎ちゃん。本当に来てくれるとは思わなかったわ」

「そうだ。僕は約束を破られるのが嫌いだからな。ところで、明日オープンするカジノには来てくれるよな」

「そうね。気が向いたら行くわ。私だって賭け事には慎重になるから、あまりそういうのは好きじゃないのよ」

「なんとなく、美咲らしいな」

「あら、そう?私はキャバ嬢と雖も、矢っ張りお金の使い方には慎重になるわよ。仮に私が自分で稼いだお金をパチンコやパチスロで使ったら、大損する可能性のほうが高いじゃないの。私が自分で稼いだお金は、ブランド品の鞄を買ったり所謂『勝負服』を買ったりするために使うのよ。善太郎ちゃんは『キャバ嬢は稼げる』っていう幻想を抱いているかもしれないけど、現実は厳しいのよ」

「残念だけど、僕はそんな幻想を抱いたことはない」

「あら、そうなの?意外ね」

「意外なのか。それはともかく、夜の女の世界は勉強になることが多い」

「じゃあ、今日も、ヤッちゃう?」

「そうだな。美咲の言葉に甘えるよ」

 僕は、己の肉体を曝け出す。もちろん、美咲は既に服を脱いでいる。白い肌に、豊満な躰。カラートリートメントで染めたブロンドの長髪が、少し痛々しく見えた。恐らくダメージヘアによるものだろう。そんな事を思いつつも、僕は美咲を抱く。乳房越しに、美咲の心臓の鼓動がどくどくと伝わってくる。これが、生きている証なのだろうか。美咲の心臓の鼓動に合わせて、僕は腰を動かしていく。美咲の喘ぎ声は、獣のようにとても荒々しいものだった。やがて、心臓の鼓動が早くなるにつれて、腰を動かすスピードが早くなる。軋むベッドの上で、僕と美咲は欲望の海に溺れるように一つの生命体になっていく。そして、美咲はよろこびの顔を見せている。


 ――僕は、美咲に対して口づけをした。美咲は、淫らな顔を浮かべていた。


 美咲と一つの生命体になった後で、僕は本題に入ることにした。

「なあ、美咲。お前は蘇芳貴志とも肉体関係を持っているのか?」

「ええ、もちろん。でも、アンタの方が気持ちいいわよ。本当にヤッたことないの?」

「そういうのは趣味じゃないからな」

「そっか。それで、他に聞きたいことはないの?」

「そうだな。どうして神戸羅生門は暴走族から半グレ集団になったんだ」

「それ聞いちゃうのね。いいわ、一から話してあげる。その代わり、長い話だけど良いかな?」

「構わない。夜はまだ始まったばかりだ」

 こうして、僕は美咲から神戸羅生門の経緯を聞くことになった。

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