Phase 03 同化 -Synchronized-

 こんな僕でも、一応仕事上の付き合いは持つようにしている。デスクの隣に座っている同僚は櫨染啓太はじぞめけいたと名乗っていた。年齢は僕よりも少し若く、赤縁あかぶちの眼鏡がよく似合う好青年だと思っていた。

 ある日の昼食休憩中、僕は啓太と話をする。

「なあ、章博。お前って、どうしてウチに就職したんだ?」

 僕はその質問に深井章博としての偽りの答えを返す。

「不景気によるリストラで会社をクビになって、そのまま求人情報誌を見ていたら条件のいい会社が目に留まった。それが濡羽カンパニーだったんだ。前に勤めていた会社よりも手取りも良さそうだったし、なにせ僕はパソコンを使う仕事は一通りこなせる。ただ、それだけの話だ」

「ところで章博って、プライベートとかはどうしているんですかね?」

「その質問には答えられない」

「なーんだ。ケチ」

 当然だ、そんな質問に答えられるわけがない。仮に、僕がサツの犬だとバレたらこの潜入捜査は失敗に終わってしまう。つまり、兵庫県警から永久に追放されてしまうのだ。それだけは防がないと。

 やがて、昼食休憩が終わっていく、現在任されている仕事は「雑誌やインターネットに掲載するマッチングアプリの広告の制作」であり、大型案件というのもあって濡羽カンパニー全体のモチベーションが上がっていた。僕はそういうデザイン関係のソフトウェアにはうといが、櫨染啓太は魔法の様にそのソフトウェアを使いこなしていく。正直、羨ましいと思っていた。可愛い女の子を配置して、女性が惹かれるような宣伝文句をでかでかと書いていく。もちろん、18歳未満は利用できないとの旨も記載しなければならない。それは日本の法律で決まっている。

 日本の携帯電話がスマホではなく、まだまだガラパゴス携帯と呼ばれていた時代には、とある出会い系のサイトが一世を風靡ふうびした。そのサイトの広告を作成していたのが後に「六本木クラブ襲撃事件」で半グレ集団として悪名を轟かせることになる「関東連合」の関連会社だったと言われている。真偽しんぎさだかではないが、今では有名なIT企業の社長である人物と関東連合の間にもコネクションがあったと言われている。そして、広告の掲載料はかなり高額だと言われていた。こうした黒い金はやがてマネーロンダリングに使われ、ヤクザの元へと還元されるのである。

 そんなことはともかく、僕は完成した広告を見させてもらうことにした。かなりセンスが良く、雑誌やネットに載せても遜色のない出来だったのは言うまでもない。

「啓太、お前ってセンスがあるんだな。僕にはこんなセンスのいい広告を作ることが出来ない」

「まあ、これぐらいチョロいっすよ。僕もデザイン会社をクビになってフラフラしていたところに高待遇の求人が舞い込んできたから応募したら偶々就職できた。それだけの話っすよ」

「そうか。まあ、好きにしろ」

「章博って、意外と冷たいんすね……」

「僕がそんなに冷たいとでも?まあ、いいが」

「章博ってなんか近寄りがたい感じというか、相手を寄せ付けないオーラがあるんすけど、実際のところどうなんすかね」

 啓太と話をしていると、濡羽翔平がオフィスの中に入ってくる。どうやら、取引から戻ってきたらしい。そして、そのまま話をする。

「ああ、櫨染君か。大丈夫だ。章博は信頼してもいい」

「あっ、社長ッ!お疲れ様ですッ!」

「櫨染君、その様子だと広告は出来たようだな」

「はい、この通りです!」

「ふむ……『この出会いは、運命かもしれない』か。いいキャッチコピーじゃないか。流石は元デザイナーだけあって、センスが良い。早速、この広告を色んなところに売り込みに行くぞッ!」

「社長ッ!ありがとうございますッ!」

 啓太は深く頭を下げる。当然、僕も深く頭を下げる。奴らが半グレ集団だとして、壊滅の糸口を探そうにも、表向きは普通の会社といった感じである。これじゃあ、手詰まりだ。どうすれば良いのだろうか。ふと、窓の外を見てみる。夜の三宮の街が、妖しくネオンで照らされている。そのネオンは妖艶ようえんであり、淫靡いんびでもある。夜の街は金と欲望にまみれていて、男も女も快楽という深い海に溺れていくのだ。そういえば、あまり意識したことが無かったが、夜の濡羽カンパニー、即ち神戸羅生門の実態とはどんなものなのだろうか。僕は夜の付き合いという名目めいもくで、濡羽カンパニーの夜の仕事を見守ることにした。


 連れて行かれたのは、生田神社から少し横にれた「東門街ひがしもんがい」という歓楽街だった。この通りは昔ながらのその手の店が多く、生粋きっすいの神戸っ子でも滅多に近寄らないと言われている。もちろん、見た目の通り治安もそれなりに悪いので、窃盗や強姦が絶えない場所でもある。

 東門街のキャバクラに、僕は案内される。どうやら、濡羽カンパニーの関連会社であるらしい。即ち、このキャバクラは神戸羅生門の息がかかっているのだ。最悪の場合、神戸を拠点とする関西最大の暴力団である山谷組やまたにぐみともコネクションを持っているかもしれない。そんな事を考えつつも、濡羽将平は僕に酒を注ぐ。僕は、普段飲めないような高価なスパークリングワインを飲むことにした。後でガサ入れの時に知ったのだが、ドン・ペリニヨンという種類のスパークリングワインはボトルで大体10万円ぐらいしていたらしい。そんな貴重な代物を、僕は口につけていたことになる。

 濡羽将平が店のシステムを説明していく。キャバクラと言うのは、基本的に男性が女性に対してお金を払うシステムになっている。要はホストクラブの逆なのだ。

「ここのキャバクラは僕が運営している。だから今日は僕のおごりだ。好きなだけ飲むといい。あっ、深井君はこういうお店は初めてだったよな」

「もちろんだ。とりあえず、この子が気に入った。指名するよ」

「あらぁ、ご指名ありがと」

「まあ、なんとなく君が気に入っただけの話だ」

 指名した女の子は、今時の女子高生をそのまま大人にしたような感じの子であり、見た目通りに派手な服を着飾っていた。

 昔から、僕は女の子に対して奥手、所謂いわゆる童貞である。学生時代はサッカー部に所属していたこともあってそれなりに女子との付き合いは多かったけれども、矢張り女の子の扱い方には慣れていない。もちろん、他のクラスメイトは女子とつるんでいることが多かったので、正直嫉妬していた。

 指名した女の子が僕に近寄ってくる。女の子が近寄るにつれて、僕の心臓の鼓動が、早くなる。股間の「何か」が、固くなったような気がした。これが、「恋をするということ」なのだろうか。やがて、僕の唇に柔らかい感触が触れる。恐らく女の子がキスをしたのだろう。

「ねえ。今夜、しない?ちゃんとその固くなったアソコにゴムは着けるからさ」

 僕は、女の子に誘われるように、ホテルへと向かった。それが男女の生命の儀式だということに、僕は気付かなかった。

 淫らな桃色の照明で照らされた部屋の中に入り、ベッドの上で僕は服を脱がされた。当然、女の子は既に服を脱いでいる。そして、僕は女の子から己の固くなった「何か」にゴムを装着された。白い肌。華奢な体付きに豊満な乳房。その裸体は、まるで瑞々みずみずしい果物のようだった。そして、女の子が僕をいざなうように猫なで声で声をかける。

「早く入れてよぉ」

 僕は、女の子に言われるままに、自分の固くなった「何か」を女の子の中に入れる。女の子は「何か」が子宮の中に入っていった痛みに対して悲鳴とも受けとれる喘ぎ声を上げる。女の子の喘ぎ声に合わせて、僕は躰を動かしていく。やがて、僕の心臓の鼓動が早くなるにつれて、動きは激しくなっていく。裸の男が己の心臓の鼓動に合わせて動き、裸の女と抱き合うよう一つの生命体になり、そして快楽という名の海に溺れていく。ゴムを着けているとはいえ、もしかしたら女の子の中に新しい生命を授かるかも知れない。これが、生命の儀式というものだろうか。しかし、自分がやっていることに対して、「それ」がノイズの様に頭にフラッシュバックしていく。女の子が絶頂するときの悲鳴に合わせて、「それ」は鮮明に頭の中に蘇ってきた。そして、僕はそのまま果ててしまった。


「もう果てちゃったの?案外早いわね」

「いや、こういうのは慣れていないから、自分がどういう状況になっているのかはよく分からない」

「アンタ、要はヤッてから発射するまでのスピードが早いってことよ」

「それはどういう事なんだ」

早漏そうろうってヤツ?男だったらそれぐらい覚えておきなさいよ」

「そうか。僕はそういう人なのか」

「まあ、初めてにしては気持ちよかったけど」

 そう言って、女の子はホテルに備え付けてあったガウンに袖を通した。このままじゃ風邪を引いてしまうので、僕もガウンに袖を通した。そして、そのまま女の子と少し話をすることにした。

「ところで、店で会ってから名前を聞くのを忘れていたな。出来れば、名前を教えて欲しい」

「仕方ないわね。私の名前は梅鼠美咲うめねずみさきよ。覚えておきなさい」

 梅鼠美咲と名乗る女の子は、不機嫌そうに名刺を差し出してきた。意外と気性が荒い性格だと思った。しかし、潜入捜査官の身からすれば貴重な情報源にもなり得る存在だ。使えるものはヤクザだろうがキャバ嬢だろうが何でも使う。それが組織犯罪対策課のやり方だ。

 スマホの時計を見たら、午前4時を回っていた。このままでは拙い。あの一夜は無かったことにしなければ。僕はそう思いつつ、ベッドで眠りについた。


 僕は、夢を見ていた。それは僕が高校生だったときの厭な思い出だ。サッカー部を引退して、そのまま家に帰ってくる。そして、母親の姿が見当たらないので探そうとする。しかし、どこにも見当たらない。一体どこに行ってしまったのだろうか。思い当たるところを探そうとしたら、目を覆いたくなる光景が、そこにあった。脚が顔に当たる感触を感じていたが、上を見渡すと、母親だったモノが首を括って白目を剥いている。慌てた僕は、携帯電話で警察を呼んだ。警察と消防署は直ぐに来てくれたが、矢張り母親の生命は助からなかった。どうして首を括ったのかは分からなかったが、それが「自ら命を絶つ行為」だということは分かっていた。なぜ、そんな事をしたのだろうか。視界が、白くなっていく。ああ、夢から醒めるのか。

 ――また、あの夢か。


 僕はスマホのアラームで目を覚ました。時刻は午前6時きっかりである。午前4時に眠りについたことを思うと、2時間しか眠れていないじゃないか。そんな事はともかく、僕は顔を洗い、歯を磨き、髭を剃り、身なりを整えていく。そして、スーツに袖を通し、そのままホテルのロビーでチェックアウトした。それから、近くのコンビニへと向かいアンパンとコーヒーを購入して、そのままアンパンを口に頬張った。そして、それをコーヒーで流し込む。コーヒーの中に含まれるカフェインが、僕の意識を覚醒させていく。僕が組織犯罪対策課の刑事だった頃は、こうやって自分の意識を覚醒させていたのだ。

 ふと、スマホの時計を見る。時刻は午前7時30分を指そうとしていた。始業は9時なので、僕は何事も無かったように濡羽カンパニーのオフィスへと向かっていく。もちろん、昨日の夜の営みなんて、無かったんだ。

 オフィスに入ると、既に濡羽将平がそこにいた。彼は地下格闘技出身であり、格闘家を引退した今でも体を鍛えるためにトレーニング器具を自分のオフィスに持ち込んでいるのだ。毎日決まったルーティンで、毎日決まったメニューをこなす。鍛え上げられた躰は、同性の自分でも惚れ惚れとしてしまいそうだった。

「ああ、深井君か。今日は出勤が早いんだな」

「はい。たまには少し早く会社に来てみようと思って。ところで、トレーニングがお好きなんですね」

「そうだな。僕は元々格闘家だったからな。これぐらいこなさないと躰が勝手になまってしまう。どうだ、深井君もやってみるか?」

「……遠慮しておきます」

「そうか。また気が向いたら、声をかけるんだな。このトレーニング器具は社員なら使い放題だ。ああ、もちろんちゃんと除菌はしてある。じゃないと他の社員が使えないからな」

 そう言って、濡羽将平はトレーニング器具をアルコールスプレーで除菌していった。「早起きは三文の徳」とは言うけれども、ターゲットとしている彼の意外な一面を垣間かいま見ることが出来た事を考えると、大した収穫だったのではないかと思った。


 始業のチャイムが鳴る。ミーティングによると、昨日作成したマッチングアプリの広告に対する反響が早くもあったらしい。取引先から「素晴らしい広告で、ダウンロード数が右肩上がりで止まらない」とのことだった。矢張り、啓太に感謝すべきだろうと思った。当然ながら、啓太は照れくさい表情を浮かべている。そして、その日のミーティングには初めてお見えにかかる副社長の姿もいた。濡羽将平の話によると、どうやら長期の海外出張から戻ってきたらしい。僕は、改めて副社長に挨拶をする。

「初めまして。深井章博と申します」

「ああ、君のことは濡羽君から聞いているよ。私は蘇芳貴志すおうたかしだ。今後ともよろしく頼むよ」

 蘇芳貴志と名乗る人物は、パイナップル柄のアロハシャツにデニムパンツというラフな格好をしていた。本当にこれで副社長が務まっているのだろうか、正直不安だった。とは言え、飽くまでも僕は組織犯罪対策課の刑事である。これ以上、神戸羅生門のどす黒い沼に飲み込まれてはいけない。そう思いつつ、僕はスマホのカメラで蘇芳貴志を撮影した。もしかしたら、彼もまた何か秘密を抱えているのではないかと思っていた。その秘密を暴くのが、僕の今の仕事である。

 やがて、ミーティングは新事業の話へとシフトしていった。濡羽将平は話を進める。

「さて、広告事業も軌道に乗っているところで、次の仕事だ。僕たち濡羽カンパニーは新事業として三宮にカジノを開業しようと思っている」

 警察の勘が、僕を反論へとみちびく。

「しかし、それは違法なのでは?」

「いや、それは分かっている。正直言って、僕たちも資金繰りに苦しんでいる部分が多い。仮令マッチングアプリの広告収入があったとしても、僕たちが活動していくには雀の涙程度でしかない。だから、法を破ってでも金が欲しい。そのために、。闇カジノは合法なカジノと違って膨大な金額が動いていく。そして、闇カジノで稼いだ金額を元手に、会社を大きくしていく。ただ、それだけの話だ」

 妖しげな表情で野望を語る濡羽将平の顔を見て、彼の本性を改めて感じ取ったような気がする。このまま放っておけば、神戸羅生門の勢いは増していく。彼らの悪行を止めるためにも、どこかで手を打たなければ。しかし、どうすれば良いのだろうか。迷った僕は、とりあえず今までの経緯いきさつを全て大泉警部に伝えることにした。

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