第三章 その瞳に映るもの ④
突然のせつなの登場に、藤十郎と沙雪にぎょっと目を
「あなたは……! 皆さんがどんなに
せつなは客間の中に入り、沙雪の前に立った。
「それに、第八警邏隊の方々が間抜けですって? そんなことは決してありません! 皆さんとてもお強い方たちばかりです。私は隊士さまたちが戦ってらっしゃるところを見たことがあるので、よく分かります」
「……せつ、今はこの女性と話しているのだ。控えてくれないか?」
藤十郎が困ったような様子でそう
「いいえ! 黙ってなんていられません!」
せつなは勢いよく藤十郎を振り返ってから、再び沙雪の方を向いた。
「皆さん、毎日命懸けであやかし討伐をされています。大怪我を負ってもそれを平気なふりをして。恐ろしく強大な力を持ったあやかしに対しても
せつなは
「それに、急にやって来てなんですか! あなたは第八警邏隊に入隊したいとやって来たのでしょう? 入らせてください、と伏してお願いするのが筋でしょう? 力を貸してやろう、なんて偉そうな態度が気に入りません。あなたみたいな人、どんなに素晴らしい力を持っていようと、こちらからお断りです……!」
鼻息荒く言って、腕を組むが。
「だからせつ、最初からお断りしている」
やけに冷静な声が背後から聞こえてきて、それでせつなははっと我に戻って、自分はなんて余計なことをしてしまったのだろう、と襖の前に戻ってがばっと
沙雪は突然のことに
「……ということで、うちの下働きもこう言っていることであるので、お引き取り願えないだろうか?」
沙雪に告げる藤十郎を見て、自分はなんて生意気なことを言ってしまったのだろうかと後悔する。せつなに、入隊希望者を拒む資格なんてないのに。
「…………。そうですわね、分かりました」
沙雪は怒ったように言ってからすっと立ち上がり、そして藤十郎を見下ろしながら言う。
「ですが、もうどんなに頭を下げて頼んでも、私は第八警邏隊に力を貸す気はありませんから。そのときに後悔しても遅いのですよ」
「ああ。覚えておくよ」
そして沙雪は一礼して、大きく足音を響かせながら廊下を歩いていってしまった。その勢いに、しばらくせつなは動けずにいた。足音が遠ざかっていくと、藤十郎に向かってもう一度頭を下げた。
「すみません藤十郎様、出すぎた真似を……」
あんなふうに憤って声を荒らげるなんて、とんだ失態を見せてしまったと後悔し、消えてなくなってしまいたいような気持ちになった。
華族の娘のはずなのに、たしなみのひとつも持ち合わせていない。自分が恥ずかしくて仕方がない。藤十郎も軽蔑しただろう、若い女性があんなふうに取り乱して、と。
「いや、気にする必要はない」
「いえ、ですが……。恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
「そんなことはない」
その声がやけに近くから聞こえるなと思ってふと顔を上げると、藤十郎がせつなの前にしゃがみ込んでいた。
「あんなふうに必死になってくれるなんて、
「え……いえ……そんな」
まるで吐息がかかってしまうような距離に戸惑い、せつなの頰が熱を帯びた。
「私たちの仕事を、そんなふうに理解して、
「いえ、当然のことです。皆さん私たちのために命を懸けてくださっているのですから」
藤十郎の優しい言葉に、緊張して声が震えてしまう。真っ赤な顔を見られたくなくて、目を合わせることができない。
「ときどき……私たちがしていることはなんなのかと
「え……そんな。人々をお守りする立派なお仕事なのに」
「家のことまで犠牲にして、私がやる必要があるのかと、そんなふうに考えてしまうこともある……」
それはもしかして故郷に置いている妻、すなわち自分のことを思いやってのことなのだろうか。いや、せつなのことだけではなく、故郷の奥沢のことを考えてのことなのだろうけれど。
藤十郎は実家のことをなにも気にしていないわけではないのだ。気がかりながらも、京に住まう人々のことを思って心を押し殺しているという側面もあるのだろうか。そう考えると少しは救われたような気になる。
「藤十郎様は……立派なお仕事をされているのです。ご自分の決めた道を歩まれるのがよろしいかと思います」
それは紛れもない本心であった。
藤十郎に夫として奥沢に戻って欲しいと思っていたが、藤十郎の考えを変えることなんて自分にはできないと理解していた。彼は自分のこと以上に他人のことを大切に思う人物であり、使命に忠実で、そのためには自分のことを犠牲にするのを
「そんなことを言われると、心がぐらついてしまいそうだ」
不意になにか温かいものに包まれたようになり、せつなはびくりと肩を震わせた。
(えぇ……?)
せつなは座った体勢のまま、藤十郎に抱きすくめられていた。
一体どういうことなのか、と理解できずにただじっと身を固くしてしまう。
「ありがとう。身近な人にそう言ってもらえると、私の心も救われる」
そして更に強い力で、せつなを抱きすくめた。
(これは……特別な意味はなく、ただ……自分の側に自分のことを理解してくれる……使用人がいて嬉しいと、それだけの意味で……)
そうは思うのだが、彼の心に触れられて嬉しくて。ずっとこのままで居られたらいいのに、と願ってしまった。
◇◇◇
「違うよ藤十郎様、そっちの赤い糸は向こう側に垂らすんだよ」
「ああ、これは最初からやり直した方が早いかもね」
「がんばって、藤十郎様」
市からの帰り、通りかかったお寺の境内に藤十郎がいた。子供たちに囲まれてなにやらしているようだったので、そっと近寄っていったのだった。
「あ……これは組み
輪の中心に組み台があり、皆がそれを取り巻いていた。どうやら、子供のひとりが家から組み台を持ってきて、皆に組み紐の作り方を教えているということのようだった。
「ああ、ちょうどいいところに」
せつなの姿を見つけるなり藤十郎は立ちあがった。
「代わってくれないか? 子供たちに組み紐のやり方を習っていたのだが、私には素質がないのか、どうにもうまくいかなくてね」
自分の座っていた場所をせつなに譲って、藤十郎は組み台を取り巻いていた子供たちの輪の方へと加わった。
「はい、どうぞ」
藤十郎に組み紐を教えていたらしい、十歳くらいの女の子がせつなに向けて笑顔を向けてきた。
組み紐とは、その名の通り色とりどりの糸を組み合わせて美しい紐を作ることだ。帯締めなどの、着物の装具として使われている。
「あの、私も初めてでなにも知らないのだけれど。人がやっているところを、少し見たことがありますが」
少々戸惑いながらも、組み台の前に座った。
「大丈夫よ、私が初めから教えるから」
少女の頼もしい言葉に励まされ、せつなは彼女の言うように紐の先についた玉を動かしながら、紐を組んでいった。
「次は緑をここに動かして、その次は赤をこっち」
てきぱきと指示され、だんだんコツが
「ほう、どうやらせつは素質があるようだね」
藤十郎に褒められて嬉しい気持ちになってしまうが、これは指導役の少女が細かく指示してくれるからで、彼女なしではなにもできないように感じる。
「私はこういう細かい作業は苦手でね」
「それは意外です。藤十郎様はなんでもそつなくできるように思っておりましたのに」
「それは買いかぶりすぎだよ」
苦笑いを浮かべつつ、せつなの手で組み上がっていく紐を見つめていた。
「藤十郎様は駄目だよ。全然言われた通りにできないんだもん」
まだ五歳くらいの男の子が不満げに言うと藤十郎はその子の背中を優しくたたきながら言う。
「ああ、ごめんね。てきぱきと指示されて、ついつい慌ててしまってね」
「僕にもできたのに! 藤十郎様ができないなんて」
「藤十郎様なら、あっという間に紐ができると思っていたのに」
「あはは、そうだね。駄目だなあ」
子供たちと楽しげに話す藤十郎を見てほっこりとした気持ちになる。第八警邏隊で隊士たちと話す藤十郎とは違う、すっかりくつろいだ雰囲気だ。
「これは……なかなか根気がいる作業なのね」
何十回と手を動かして紐を組んでいくが、出来上がりはわずかである。紐を一本組み上げるのに何百回手を動かさなければならないのだろうと思うと、気が遠くなってしまう。
「そうかしら? 慣れたらもっと早くにできるわよ」
そうして紐を組んでいくこと
「はい、あげるわ」
組み上がった紐を切って組み台から外すと、少女がせつなへと紐を渡してくれた。
「わあ、ありがとう。自分で組み上げたものながら、とても素敵だわ」
赤と緑と白が組み合わさった鮮やかな紐が出来上がった。これは帯締めにするには短いので、なにかの荷物をまとめる時などに使えるかしら、と楽しく考えてしまう。
「じゃあ、次は誰がやる?」
そう言うと子供たちの輪の中から手が挙がり、今度はその子が挑戦するようだった。彼に席を譲ると、先ほどから見ていて手順を覚えていたのか、手早く玉を動かしていった。
「いやあ、助かったよ。子供たちにどうしてもと頼まれて、断り切れずにね」
藤十郎とせつなは子供たちの輪から少し離れた場所に立って話していた。
このお寺の境内は子供たちが集まってよく遊んでいる場所らしく、組み紐を組んでいる子たちの他に、
誰もが笑顔で楽しそうに遊んでいる平和な光景に、心が安らいでいく。子供時代を
「いえ、私もいい気分転換になりました。……と、いけない。そろそろ戻らないと夕飯の準備に間に合いません」
そういえば夕飯の食材を買いに行った帰りであったことを不意に思い出した。そろそろ空の色が青から
「そうか。では帰るか」
そう言われただけなのだが、なんだか嬉しくなってしまった。同じ場所へ帰る、それだけで、本当の夫婦になったような気持ちになったからだ。
「せつの料理も、最近は
「まことですか? それは作る
「ああ、昨日の大根の汁物はなかなかの味だった。最初はどう褒めていいのか分からないような出来だったが……」
「それは
少し
「ははは。そう言えるのも、せつが腕を上げたからだよ」
屯所までの道のりを藤十郎と肩を並べながら歩いて行く。そろそろ夕方という時間からなのか、慌ただしく歩いて行く人が多い中で、ふたりはゆっくりと家路をたどっていた。
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